52 出会い
―――成人までは生きられないだろう。
たまたま村を訪れた旅の魔法使いは、寝台に眠る少女を見て、そう言った。
予感はしていた。
幼い頃から幾度となく、何の前触れもなく倒れ、意識を失う。その度に半狂乱になって必死で呼びかけ、ようやく目を覚ます。その繰り返し。医者も原因が分からない、と投げ出してしまった、治す方法のわからない病。
病気と関係があるのかないのか、身体が弱く、年中熱を出したり、咳き込んだりしていた。ほとんどの日を寝台の上で過ごしてきたせいか、まだ10歳になったばかりだというのに、少女は何もかもを諦めてしまったかのように、すべてに無気力だった。生きること自体にも。
謎の病と、病弱な体に、生きる気力もない。
彼女はきっと長くは生きられない。
でも、認めたくはなかった。
自分にとって、たった一人の、命よりも大切な少女。
絶対に失いたくはなかった。魔法使いの男に縋りつく。
「そんな! あんた、魔法使いなんだろう!? 頼む! なんとかしてくれよ!」
「私の力では……だが、王都のエテルネル法院になら、実力ある魔道士がたくさんいる。あるいはこの子の病気を治せる魔道士もいるかもしれないな」
彼はそう助言して、力になれなくて済まない、と言うと部屋を後にした。
このカロンの村から王都は遠い。母が病でなくなって以来、村の人々のお情けで雑用のような仕事をもらい、細々とした暮らしを日々送るだけで精一杯なのだ。路銀を用意することも難しい。
一体どうしたらいい? このまま何もできないのか?
自分の無力さにがっくりと肩を落とし、うなだれる。
「……エリック、私、死ぬの?」
眠っているものだとばかり思っていた少女が、急に目を開いたので、ぎくりとした。今の会話を聞かれていたのか。
だが、彼女の黒い瞳に不安の色はない。自分の死にすら、無感動なのだ。
無理やり笑顔を作ると、少女の手を取り、きつく握りしめる。
「大丈夫だ。王都にはすごい魔法使いがいっぱいいる。エレナの病気を治してくれる魔法使いを、俺が見つけてくるよ。絶対に」
必ず、なんとしてでも。
王都でエレナを救ってくれる魔法使いを見つけ出す。
もう希望はそこにしかない。
親切な村の人々に金を借り、何かと自分たちの面倒を見てくれる隣家の老夫婦にエレナを預け、王都へ向け一人旅立った。
十三歳の少年にとって、その旅路は決して平坦なものではなかった。途中で路銀が尽きては、時給のよい酒場で皿洗いや給仕の仕事をして金を稼いだ。
子供の一人旅だ。危険な目にもたくさんあった。
森で野宿して獣の気配を感じた時は、一睡もせず息を殺して夜を明かしたし、苦労して稼いだ金を酔っ払った荒くれ者にぶん殴られ、奪われた。珍しい黒髪に目を付けられ、人さらいに攫われそうになり、どうにか逃げ延びたこともあった。
それでも、どうにか少年は王都へたどり着いた。
そして今、目の前にあるのは、天に届かんばかりにそびえる巨大な塔と、それを取り囲む六つの小塔。
「ここが、エテルネル法院……」
未だかつて感じたことのない威圧感に、入口の前で立ちすくむ。
先ほどから、巨人が通れるほどの高さのある門に、ローブを着た魔法使いらしき者たちが出入りしている。彼らの中には、髪や瞳が青、緑、紫など、普通では見たこともない色をしている者が幾人もいた。こんな髪色の人間がいるのなら、自分の黒髪などたいして珍しいものではないと思われた。
この中から、エレナを救ってくれる魔法使いを探さなければならない。だが、皆門の前に突っ立っている、みすぼらしい身なりの子供になど目をくれることもなく、足早に去っていく。声を掛ける間もない。
そこへ、自分より少し年下、エレナと同い年くらいの子供が通りかかった。
黄緑の髪と目を持った少年。銀糸の刺繍を施された濃紺のローブを纏っている。それは明らかに、他の魔法使いたちのものよりも上質で豪華なものだった。彼の後ろを黒いローブ姿の魔法使いたちが何人もぞろぞろと付いていく。まるで、少年が彼らを引きつれているかのようだ。
「あ、あの! 君!」
年下だ、という気安さもあって、勇気を出し、声を掛ける。
「俺、病気の治療とか、そういうのに詳しい魔法使い……じゃなくて、魔道士を探してて、知ってたら教えて欲しいんだけど!」
「何だ? お前。まさかこのボクに話かけてるのか?」
少年が、立ち止まった。気分を害したように、じろじろと黄緑の瞳で睨め上げてくる。
「なんだこの薄汚い子供は。魔道士じゃないな」
「導師様になんて無礼な!」
少年の後ろの魔法使いたちが騒ぎ出す。
ドウシサマ? なんだろう、それは。
不穏な空気にたじろぐ。
「俺はただ、病気の治療ができる魔道士を探していて――――」
最後まで言い終えることはできなかった。
突然、声が出なくなったのだ。正確には、舌が動かなくなった。舌だけではない。頭から足の先まで、身体すべてが固まってしまった。手も足も、指先すら動かない。
「口の聞き方も知らないガキが。そこで1日反省してろ」
少年は、嘲笑って、そのまま背を向け、去って行こうとした。
どうやら、これはこの子供の仕業らしい。
怒りが湧いた。
自分はただ、ちょっと質問しただけだ。何か悪いことをしてしまったのなら謝りもするが、理由も教えてくれないし、言い訳も聞いてくれない。
あんまりではないか。
自分には時間がないのだ。こんなところで、1日を無駄にするわけにはいかない。
動け。動け。
念じながら、全身に力を込めた。
指先が、微かに動く。
直後に身体が一気に弛緩し、膝から崩れ落ちた。
去りかけたローブの少年が驚いたように振り返る。
「なんだ? ボクの魔法が効いてない……? まさか魔力で対抗してるのか? いや、違う……ボクの魔力が、打ち消されてる……? そうか、その黒髪……お前、破魔の力があるのか……」
少年の顔に、嬉々とした笑みが浮かぶ。
「これはいい! 滅多にお目にかかれない実験材料だ」
子供が珍しい虫を見つけて喜ぶような、無邪気な笑顔。だが、同時に歪んだ残忍さも滲んでいた。
「この小僧を捕えろ。魔法は使うな。まだ能力は覚醒させたくない」
少年が命じると、彼の背後にいた黒いローブの男たちが、取り押さえてくる。
「何すんだよっ! 放せよ!」
怒鳴って、抗っても、大人の男たちの力には敵わなかった。周りにいる他の魔法使いたちは、ただ遠目から様子を見守っているだけで、助けてくれそうな者は一人もいない。
「連れて来い」
無理やり立たされ、引きずられるように数歩歩かされた、その時――
「ルゼル導師。その子をどうされるおつもりですか?」
声が響いた。門の前に、立ち塞がるように一人の女が立っていた。
まだ若い。黒いローブを着ているから、彼女も魔法使いなのだろう。肩口で揺れる、灰色の艶のない髪。醜くはないが、美しいとも可愛らしいとも形容できない地味な顔立ち。だが、その灰色の瞳は強い光を宿して、黄緑の髪の少年を真っ直ぐに見据えている。
「……シグルトの弟子か」
ルゼルと呼ばれた少年は、舌打ちした。自分より背の高い女を少しでも威圧しようとするかのように、つんと顎を突き出し、尊大に言い放つ。
「このガキが導師であるボクに無礼な態度を取ったから、罰を与えてやろうとしているだけだ」
「まだ子供です。それに魔道士でもない。法院の掟で罰するべきではありません」
周囲の態度や彼女の言葉遣いからして、この少年は子供だが、魔法使いの中では地位が高い存在なのだろう。だが、女は少しも臆することなく、はっきりとした口調で言った。
「放してあげてください」
ルゼルの表情がみるみる険しくなった。
「……このボクに口答えするつもりか? ただの一魔道士の分際で」
「私は、私が正しいと思ったことをしているだけです」
女は凛とした態度を崩さない。その様子がさらにルゼルを苛立たせたようだった。
「……お前、ちょっと天才だのなんだの言われて、調子に乗ってるようだな。師匠の教育が悪いようだ。いいだろう。ボクが導師として、直々に指導してやる」
ルゼルの足元から風が巻き起こった。濃紺のローブが風を孕んで膨らみ、黄緑の髪がふわっと浮かび上がる。
異変は女の方にも起こった。彼女の足元から太い植物の蔓が数本、石畳を突き破って飛び出すと、その手足に巻き付く。
彼らを見守る周囲の魔法使いたちに、動揺が広がった。だが、女の方は全く動じていない。
「私がご指導を受けたら、その子は見逃してくださいますか?」
女がちらりとこちらを見た。視線がぶつかる。強い意志の宿った灰色の瞳。綺麗だな――――こんな状況なのに、そんなことを思ってしまった。
「は? なんでボクがお前の頼みを聞いてやらなきゃいけないんだよ?」
ルゼルは鼻先で笑った。
「このガキは、僕が見つけた貴重な実験材料だ。お前ごときの頼みで手放すか」
女が小さく息をついた。苦笑し、まぶたを閉じる。
「立つ鳥跡を濁さず……で行きたかったんだけどなぁ。ごめん、先生」
再び、そのまぶたが開かれ、灰色の瞳が現れると――――パンッと、女の手足に絡みついていた蔓が弾け飛んだ。
「お前! 逆らう気かっ!」
ルゼルが叫びながら両手を女へと向けた。彼の周りで巻き起こっていた風が、黒味がかった深緑色に変わり、その手の先へ突風となって向かって行った。
「さっき魔道士辞めましたから! あなたに従う義務はありません!」
女の方も同じく手のひらをルゼルへ向ける。その手から生まれた白い光が、ルゼルの黒緑の風を押し返した。
二人の立つ中間地点で、魔力がぶつかり合い、激しい光と風を周囲に撒き散らす。
「くっ……!」
だが、力が拮抗していたのは長い間ではなかった。
程なく、女の発した光がルゼルの風を押しきり、少年の体を吹っ飛ばした。
ルゼルは体を反転させながら後ろに顔面から倒れこむ。突っ伏した導師の姿に、周囲の者たちは息を飲み、時が止まったかのような静けさが訪れた。
ゆっくりと腕をつき、体を起こしたルゼルは、自身の顔に手をやり、そっと触れる。その手にべったりと赤いものがつく。ルゼルの顔は傷だらけで、鼻からはだらだらと血が滴っていた。
「導師様が……負けた……?」
誰かが蚊の鳴くように囁いた声は、しかし静寂の中、ルゼルの耳へと届いてしまった。
途端に少年の顔が、怒りと屈辱でぐちゃっと歪んだ。
「殺す! 殺す! お前だけは絶対に!」
少年の声変わり前のかん高い声が、絶叫する。
女が動いた。たんっと地を蹴ったかと思うと、もうすぐ目の前にいた。
「ひっ……!」
自分を取り押さえていた男たちが怯んだのか、拘束を解いた。だが、解放された腕は今度は女に捕まれる。
「逃げるわよ!」
女が地を蹴る。ふわりと体が浮いた――――と思ったら、地表からわずかばかり足が浮いた状態で、一気に前方へ加速する。周りで見ていた魔法使いたちの輪へ向かって突っ込んでいく。
「逃がすな! 捕らえろ!」
背後でルゼルが叫ぶが、向かってくる自分たちに驚いた彼らは反射的に避け、道ができた。
あっという間に魔法使いたちの間を抜けると、女が呟いた。
「ここから入れそうね。行くわよ!」
どういうことだと問う間もなく、突然周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。何もかもが溶けて、どろどろの絵の具が中途半端に混じりあったような、謎の空間へと変わっていく。
振り返っても、どこまでも同じ空間が続くだけで、もうルゼルも他の魔法使いの姿たちも見えなかった。
「な、なんだよ。これ?」
少しの安堵と、大きな戸惑いと共に、吐き気に似た、今まで感じたことのない不快感がせりあがる。
「気持ち悪い……」
「ちょっと我慢して。しばらくしたら慣れるから。とにかく、これで多分追って来れないわね」
女が振り返って言った。近くで見ると、化粧気のない、そばかすの浮いた顔は思ったより若く、少女と言っていい幼さも少し感じる。年の頃は17、8だろうか。
「私、アーシェ。あなたは?」
「エリック……」
気持ち悪さに耐えながらどうにか答える。
「あなたも災難だったわね。ルゼルに目をつけられるなんて。あのまま連れて行かれてたら、ひどい目にあってたわよ。何だって法院にいたの? 魔道士志願者ってわけでもなさそうだけど」
「俺……カロンから、病気の治療に詳しい魔法使いを探しに来て……そしたら、あいつにいきなり捕まって……」
「……もしかして、家族が病気とか?」
頷くと、アーシェは目を細めた。
「……そう。じゃあ、このままカロンまで送ってあげる。ついでに病人も私が診てあげるわ。私に治せるかはわからないけどね」
「本当か!?」
「ま、これも乗り掛かった船だしね。どうせもう戻る場所もないし」
アーシェの声は軽く、後悔も不安も微塵も感じさせなかったが、その言葉に思わず目を伏せた。
彼女は見ず知らずの自分を助けるために、あのルゼルとかいう魔法使いに逆らったのだ。怒ったルゼルはアーシェに殺すと言っていた。戻ればきっと命はない。
自分のせいで、彼女は居場所を失った。
「あの……」
「何?」
「ごめん……俺のせいで……」
申し訳なさに目を合わせられない。
「別に気にしなくていいわよ。私、もともと法院は出ていくつもりだったから」
「でも……」
平穏に出ていくのと、命を狙われて逃げ去るのでは、全然違う。
うなだれていると、突然ぱちんっという音とともに額に痛みがはしる。アーシェが指で弾いてきたのだ。
「いてっ! 何す――」
「あのね、こういうときはありがとうって言うのよ。目を見てね」
言われて、自分より少し背の高い彼女を見上げる。その灰色の瞳を見つめながら、小さく言った。
「助けてくれて……ありがとう……」
「どういたしまして」
アーシェは笑った。
その笑顔は、強い女、という彼女の印象とは違い、意外にもとても柔和で可愛らしいもので、思わずどきりとした。
アーシェに手を引かれ、この奇妙な空間をしばらく歩くと、やがて急に視界が白くなった。
現れたのは、白い山々と、雪が積もる木々。足元には、いくつか人の足跡の残る、雪が踏み固められた細い道があった。空からは、ちらちらと白い雪が舞い落ちてくる。
見慣れた故郷の景色だ。
自分が何日もかけてたどり着いた王都から、ほんの僅かな時間でここまで戻って来てしまった。
魔法のすごさを実感する。こんな奇跡のような力を使える彼女なら、エレナを本当に救ってくれるかもしれない。
「うー寒っ!」
しかし自分の期待をよそに、アーシェは身震いすると、身を縮ませた。ローブでしっかり体を包み込む。すごい魔法をさらっと使う癖に、寒がりなのかと内心少しおかしかった。
「多分、このあたりがカロンのはずだけど……」
「ああ、村はこの道を真っ直ぐ行ったところに――――」
言いかけて、気づいた。
村へと続く道。こちらへ二人の男がやってくる。足早に歩き、口から絶え間なく白い息を吐いていた。一人は背の低い小太りの、商人風の男。もう一人はがっしりした体躯の大男だ。肩に何かを担ぎあげている。
「エレナ!?」
大男が抱えているのは、家にいるはずの黒髪の少女だった。意識がないのか、手足はだらりと垂れ下がり、長い黒髪とともに、男が歩く度揺れる。
「待て!」
叫んで男たちの前に立ち塞がる。彼らは足を止め、突然現れた子供に訝しげだ。
「なんだお前?」
「お前らこそなんだよ! エレナをどこへ連れていく気だ!?」
二人の顔に見覚えはない。村の人間ではない、よそ者なのは明らかだ。
「その黒髪……お前、この娘の身内か?」
商品風の男の顔に、いやらしい笑みが浮かんだ。
「これはいい! 黒髪の子供がいるらしいと聞いて来たが……まさか二人もいたとはな。稀少な商品が二つも手に入るとは、こんな田舎まで来た甲斐があったというものだ」
男がにやつきながら掴みかかってくる。
「な! 離せよ!」
「しかも、お前もずいぶん綺麗な顔をしてるじゃないか。これなら相当高値で――」
男の言葉は最後まで続かなかった。
ばちっと一瞬、視界に火花が散ったかと思うと、男が手を離す。
「あいたっ!?」
叫んで、痛そうに手をさすった。
「あなたたち、人さらいね」
声に、アーシェを振り返る。今のは彼女の魔法だったようだ。
「ま、魔道士!?」
黒いローブ姿の女に気づくと、男たちは明らかに動揺した。
「なんでこんなところに魔道士が……?」
「そっちの女の子を放しなさい」
「……」
応じるべきか迷っているのか、黙って動かない男たちに、アーシェは語気を荒げた。
「早く!」
男たちの足元で火花が散った。
「ひやぁっ!」
情けない悲鳴を上げ、大男が少女を地面に寝かせると、二人は脇をすり抜け走って逃げていく。
「エレナ!」
すぐに横たわる少女のもとへ駆け寄る。息はしているものの、目は閉じられたまま。大声で呼び掛けても、反応がまるでない。
いつもの謎の病だ。呼び掛け続ければいずれ目を覚ますのだが、今年に入って、意識を失う頻度は増え、目覚めるまでの時間は長くなってきている。
今度こそ、もう目覚めないのではないか――不安が膨らんでいく。
「ちょっといい?」
アーシェが側へ来て、少女の額にそっと手を置いた。
「この子……生まれつき魂と肉体の波長が合ってないのね。互いに反発しあってる。それで多分、肉体的にも精神的にも不調が出るんだわ。今は魂がこの子の体から抜けかけてる」
「治せないのか!?」
必死さのあまり、怒鳴るように問いかける。今頼れるのは彼女だけだ。
アーシェは眉を寄せた。
「……魂を拘束して、この地に留める召喚魔術を応用すれば……でも、この子に強い魔力がなければ、自我が失われる可能性がある……完全に治すのは難しい……けど、先生なら、あるいは――」
そこまで言って、アーシェは口を閉じ、唇を噛む。
しばらく思案した後、少女の体の上に、両手を掲げた。
「とにかく、応急処置だけど、私の魔力でこの子の肉体の波長を、魂と合わせるわ。それで魂をこの体に戻せるはず。あなたは名前を呼び掛けてあげて」
アーシェに言われて、少女の冷えきった、白く小さな手をぎゅっと握りしめた。彼女が自分を置いて、遠くへ行ってしまわないように。
必死で呼び掛ける。
「エレナ! エレナ! 頼む、目を開けてくれ!」
どうか、どうか、俺を一人にしないでくれ。
お前は、俺のたった一人の――――
――――エレナ!
リシェルはゆっくりと目を開けた。
視界がぼんやりする。何か黒っぽいものが目の前にあった。徐々に焦点が合っていく。
(エリックさん……?)
そこにあったのは、不安で揺れる漆黒の瞳。眉根を寄せ、苦痛に耐えるかのように歪んだ、エリックの顔だった。