23 ロドムの死
王城へと向かう馬車の中で、パリスはぼんやりと窓の外を見ていた。
瀟洒な建物が並ぶ通りには、多くの人々と馬車が行きかっていた。子供の頃から見慣れた王都の賑やかな街並み。現国王の治世になって、都はますます栄えている。そこには大国の都に相応しい華やかさがあった。
外の景色を見ることに集中することで、パリスは頭の中にこびりついて離れない、池に捨てられていたルゼルの“玩具”を意識から消そうとする。
(……やっぱり、あの人は苦手だ……)
ルゼルに対しては、もともといい印象がなかったが、六年前に目撃したあの事件のせいで、今は嫌悪感すら覚える。
「パリス」
呼びかけに、パリスは窓から目の前に座る師へと顔を向けた。
「これはさっき会議が始まる前、シグルトにも伝えたんだが……」
会議前、用があるからとブランがどこかへ姿を消したのは、シグルトと会っていたからだったのだ。会議前にわざわざ会うということは、急ぎの話だったのか。師の真剣な面持ちに嫌な予感がする。
「……ロドムが死んだ」
「……!」
パリスは息をのんだ。
あの事件の後、ブランはロドムを拘束し、今回の件を不問に処す代わりに、どこかに捕えられているはずの“商品”の解放と、人身売買の顧客名簿を渡すことを要求していた。ロドムは“商品”を解放することにはすぐに応じたが、顧客名簿を渡すことにはなかなか首を縦に振らなかった。後々恨まれて、自分の命が狙われることを危ぶんでいるようだった。
「散々悩んだ挙句、ロドムはリシェルを買うといった人間の名前を教えるから、他の顧客の名を明かすのは見逃してほしいと言ってきてな。その人物の名を口にしようとした途端、突然血を吐いて死んだ」
「どういうことです……?」
問う声は少し擦れていた。自分が利用しようとした人間が突然死んだと聞かされ、動揺していた。
「おそらくは、その人物に自分の名前を言おうとすると発動する、死の呪いを掛けられていたんだろう」
「ということは、魔道士……?」
「ああ」
パリスもそうだったように、法院内でリシェルを快く思わない魔道士は多い。彼女を法院から追い出したいと思っている人間は、おそらくパリス以外にもいるはずだ。
だが、リシェルに反感を持つ魔道士が、偶然パリスとロドムの企みを知ったのだとしても、彼女を追い出したいならば、ただ静観すればいい。わざわざロドムから彼女の身柄を手に入れようとしていた、となると別の理由があるようとしか思えない。
「一体誰が……?」
ブランは腕を組みながら、渋い顔をする。
「導師の弟子を、それもシグルトの弟子を攫おうとするなんて、おおそれたことを考えるのはそれなりに腕に覚えのある魔道士だろうな……ロドムがリシェルを売ろうとしていた人間に心当たりはないか?」
「わかりません……」
パリスは首を横に振った。ロドムとは、実家が表向き真っ当な商売をしている彼の商会と近年取引があり、顔見知りだっただけだ。偶然にも彼の商会が人身売買をしている、という黒い噂を聞きつけ、上手く鎌をかけたら白状したので、彼の裏の仕事を知った。父親に言いつけてやろうと思ったが、せっかく弱みを握ったのだし、どうせなら利用してやろうと、リシェルの誘拐を依頼したのだ。事が露見した場合は、ロドムにすべての罪をなすりつけるつもりだった。元々悪党なのだから、さらに罪が増えたところでたいした違いはないだろう、と。
ブランが聞いたら憤慨し、長い長い説教が始まりそうなロドムとの経緯だったが、パリスにとってロドムは所詮捨て駒に過ぎなかった。お互い信頼関係があったわけでもないし、商売柄口の堅いロドムが顧客の話をすることもなかった。
リシェルを狙う者など、見当もつかない。
「……どこかの貴族に雇われたお抱え魔道士か、法院の上級魔道士か、あるいはもっと上の……」
ブランは推測を並べる途中で、口をつぐんだ。おそらく、弟子と同じことを考えたのだろう。パリスの脳裏に先程会議に出席していた面々の顔が浮かぶ。
「いずれにせよ、リシェルが狙われてる可能性があるわけか……あの子がちょっと珍しい容姿だからか、それともシグルトの弟子だからか……」
狙っている人物が魔道士であるならば、後者に原因があるように思える。
シグルト個人に恨みを持つ者、あるいはリシェルを人質に、シグルトに何らかの要求を突きつけようとする者……
だが、シグルト程の高名な魔道士となれば、該当しそうな者はそれこそ星の数ほどいるだろう。
「パリス、リシェルに危険が及ばないよう、気をつけてやってくれないか?」
師の言葉に、パリスは驚いて目を丸くした。
「な、なんで僕が?」
「お前にとってリシェルは命の恩人だ。いや、俺にとってもか。あの時、リシェルがシグルトを止めなかったら、俺もお前も命はなかった」
「そんな……僕はともかく、ブラン様はご友人ではないですか」
「……友達だからって手加減するような奴じゃないんだよ、あいつは」
ブランは苦笑いしながら、長年の友をそう評した。パリスには師の考えがわからない。
「……どうしてそう思っていらっしゃる方と友人でいられるのか、僕にはわかりません」
「ああ、俺にだってわからないよ。なんだってあんな奴の友達やってるんだろうな、俺」
ブランはため息とともに、肩をすくめる。自分で自分に呆れているようだった。
「ただ……あいつはリシェルを何より大事に想ってる。もしリシェルを失うようなことになれば……今度こそあいつ、壊れちまうだろうな………」
確かに、シグルトがリシェルに対して並々ならぬ強い想いを抱いているのはパリスにもよくわかる。彼がリシェルに向ける眼差しには、単なる弟子への親愛や、恋愛感情などといった言葉では説明できない程の執着を感じるのだ。
「シグルト様はどうして彼女にそこまでこだわるんです?」
「さあ、俺に聞かれてもな」
パリスは一瞬逡巡したが、思い切って疑問を口に出した。
「……もしかして、アーシェと関わりがあるから、ですか?」
「……どういうことだ?」
師の怪訝そうな反応で、彼が何も知らないということがわかる。パリスは、事件の日、ロドムが言っていたことを話した。
「……リシェルが、カロンでアーシェと一緒にいた……?」
「確証はありませんが、灰色の髪の女魔道士なんて珍しいですし、六年前、場所がカロンとなれば、おそらく間違いないと思います」
「……アーシェ、か」
「ブラン様はあいつ……リシェルがどういう経緯でシグルト様に引き取られたのか、ご存じなのではないですか?」
「俺もシグルトからは、例の任務のために向かったカロンの雪山で、記憶を失って倒れていたリシェルを偶然見つけて拾った、としか聞いてないんだ」
「記憶を失って……?」
「ああ、知らなかったか? リシェルはな、十歳より前の記憶がないんだよ。自分の本当の名前も、家族も、何もわからないんだ。」
あなたに何も持っていない人間の気持ちなんてわからない――――
リシェルの言葉を思い出す。
おとなしいとばかり思っていた少女が、自分を睨みつけてきた時は正直驚いた。そして、アーシェのことを聞いてきた時の必死さにも。
その理由を今知った。彼女は本当に何も持っていない――失ってしまったのだ。
私には……私には先生しかいないの――――
あの時の言葉の重さに今更ながらに気づく。
その彼女から、自分は唯一の拠り所を奪おうとしたのだ。
「シグルトには俺からロドムの話は伝えておこう。それまでアーシェのこと、聞かれてもリシェルには言うなよ。事情がどうあれ、前の弟子がその……ああいうことになったっていうのは、シグルトだって知られたくないだろうし」
「……わかりました」
ロドムの死。リシェルの過去。彼女を狙う謎の魔道士の影。そして……アーシェとリシェルの繋がり。
わからないことが多すぎた。自分が嫉妬心から起こした行動のせいで、この先厄介なことに巻き込まれる。そんな予感がした。
やがてパリスたちの乗った馬車は、王城の門をくぐった。
先の止まっていた馬車からはちょうど、シグルトとリシェルが降りてくるところだった。パリスは思わずリシェルの顔をじっと見つめた。それに気づいたリシェルが、不思議そうに問う。
「どうかした? 私の顔に何か付いている?」
「……お前も大変なんだな」
「へ?」
「面倒事はごめんだけど……お前には借りがあるしな。仕方ないか」
「何の話?」
「こっちの話」
首をかしげるリシェルに、パリスはただため息をついた。
今回短いです^^;
ほんとはもうちょっと先まで書く予定だったのですが、きりのいいところまで終わらなくて・・・次回に持ち越しです。