22 導師会議
扉の先は、六角形の形をした、小さな部屋だった。壁も床も紺碧の石で出来ており、何やら壁に魔術文字が細かく記されている他は、家具も何もなく、がらんとしている。
てっきり入ったらすぐに導師たちが居並んでいるものと思っていたリシェルは拍子抜けした。
シグルトは部屋の真ん中で立ち止る。
「さ、最上階まで一気に行きますよ」
リシェルは訝しがりながらも、師の隣に並ぶ。
と、突然、足元の床が明るく輝き出す。見れば、白い光線によって先程までなかった魔法陣が描きだされていた。
同時に、周囲の景色がぐにゃりと歪む。やがてそれは、まるで様々な色の絵の具が中途半端に混ざり合ったような、マーブル状に変わっていく。床に足をつけている感覚はあるのに、魔方陣の描かれていた床も今は消え、足下にもその謎の空間が広がっている。
「な、なんですか!? これ!?」
落ちてしまうかもしれないと、驚いたリシェルは思わずシグルトにしがみついた。
「魔力による移動装置ですよ。空間の歪みを通るんです」
「空間の歪み?」
「ほら、君がパリス君にさらわれた時、私が助けに行く時に使った“道”ですよ。説明が面倒なんで省きますけど、まあ高速移動できる近道みたいなものです。入り口を見つけるのも通るのもかなり魔力を使うし、一歩間違えると永遠にこの空間内をさ迷うことになるんで、導師くらい実力のある魔道士しか使えませんけどね」
永遠にこの空間内をさ迷う。
恐ろしい言葉に、リシェルはシグルトにしがみつく手に力を込めた。シグルトはその様子に笑う。
「まあ、この“道”はちゃんと魔力装置で制御されてるから大丈夫ですよ。“空間の歪み”を通るのは、危険もあるけど便利なんです。会議の間は最上階にあるんでね。階段や昇降機を使うより、この方がずっと早く着くんですよ」
「先生、なんか気持ち悪い……」
内蔵がふわふわ浮くような、今まで味わったことのない感覚がリシェルを襲う。吐き気がするのに、吐けないような、気分の悪さだ。
「最初は皆そうなるんですよねぇ。そのうち慣れるから大丈夫ですよ」
シグルトはリシェルの背を優しく擦る。
リシェルは目をつぶって、背を擦ってくれている師の手に意識を集中させることで、気持ち悪さにひたすら耐えた。
どれくらいそうしていただろうか。
時間にすればおそらくほんの短い時間だったのだろうが、リシェルには随分長いように感じられた。
やがて、気持ちの悪い感覚が止む。
同時に、
「あら、仲がいいこと」
笑いを含んだ女の声が耳に飛び込んできて、リシェルはおそるおそる目を開けた。
そこは、先ほどの狭い部屋とは一転、広々とした部屋だった。
見上げる程高い天井は、導師のローブと同じく、深い濃紺で、輝く銀色の石が散りばめられている。おそらく、夜空を模しているのだろう。部屋の中心には、大きな大理石の円卓があり、その周りに青いビロード張りの豪奢な椅子が六脚置かれている。そこには既に何人かの男女が腰かけていた。
一番手前に腰かけている女性が、頬杖をつき、こちらを見てくすくすと笑っていた。赤紫色の髪と瞳を持つ、妖艶な雰囲気を持った美女。シグルトと同じローブを纏っているところをみると、彼女も導師の一人なのだろう。
「こんなところで何をベタベタひっついてるんだよ?」
今度はつい先程聞いたばかりの声だ。
女性の二つ隣に腰かけた、黄緑の髪の少年。ルゼルが不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。その後ろには、先程の貧相な男が控えていた。
ルゼルの言葉に、自分が師にしがみついたままだったということに気づき、リシェルは赤くなって慌ててシグルトから離れた。恥ずかしさに足元に視線を落とすと、魔法陣の描かれた石の床がある。
「おや、まだ全員揃っていないようですね」
リシェルとは裏腹に、シグルトは周囲の視線などまるで気にかけていないように、一番奥の席へと歩き出す。あれがシグルトの席のようだ。リシェルも続いた。
「ふぉふぉふぉ、いつもはお前さんが一番最後に来るのに珍しいのぉ」
シグルトの席の右隣に座っている老人が笑いながら言った。90歳は超えているだろうと思われる皺くちゃの顔に、白い豊かなひげを蓄えた、いかにも世間一般で想像されるであろう“魔法使い”といった風貌だ。髪もひげも真っ白だが、多分魔力の影響ではなく、普通に年齢のせいだろう。
不意に部屋が明るくなった。
先程リシェル達が立っていた、魔法陣が描かれた場所が白く発光している。ほどなく光が消えると、ブランとパリスが立っていた。
「お、シグルトが時間より早く来てるなんて珍しいな」
ブランはシグルトの左隣の席に向かって歩きながら言った。それに続くパリスの顔色がひどく悪い。きっとさっきの移動装置で気分が悪くなったのだろうとリシェルは思った。
「弟子に給料泥棒なんて言われないように、今日から少し真面目に働こうかと思いましてね」
シグルトは笑いながら腰かける。導師の座る椅子は、高い背もたれと肘掛があり、足の部分にまで細かな意匠を施された、まるで玉座のような立派なものだ。その少し後ろに、肘掛のない小ぶりな白い椅子が置かれていた。
「君はそこに座って下さい」
どうやらこれが弟子の席らしい。腰かけると、斜め後ろから師の横顔を見る位置だった。
シグルトは周りをぐるりと見まわし、自分の真正面に位置する空席で目を止めた。
「さて、後来ていないのはヴァイス導師だけですか」
その言葉が終らぬうちに、再び部屋が明るく輝く。
光源を見ると、白い光の中から導師のローブをまとった、若い男が現れた。
「ああ、僕待ちでしたか。お待たせしてすみません」
はっとするほどの美青年だった。思わず見とれる程の、優し気で整った顔立ちに穏やかな笑みを浮かべ、シグルトの真正面の席へと向かう。歩くたび揺れる、背に流された長い金髪が濃紺のローブによく映える。
リシェルは彼から目が離せなくなった。単純にその美貌に見とれていたわけではない。
(この人、何か、普通の人と違う――――)
うまく言い表せない、何か違和感のようなものを感じた。
リシェルの視線に気づいたのか、彼の目がこちらを見た。
緋色の瞳。
ぞくりと背筋に悪寒が走った。
理由は分からない。
同じ赤い瞳でも、ブランの瞳が炎を連想させるのに対し、彼の暗めの瞳は、どこか不吉で、血を想わせる。
美貌の青年は、リシェルと目が合うと、形のよい赤い唇を微かに吊り上げた。
得体の知れない不安が湧き上がり、リシェルは目を逸らし、俯く。
だから、師がちらりと横目で送ってきた視線には気付かなかった。
青年が席につくと、シグルトが声を張って言った。
「これで全員揃いましたね。それでは、これより定例会議を始めます」
どうやらシグルトがこの会議の進行役を務めているらしい。正直、意外だった。仕事に対してやる気のかけらもない師匠がそんな重要な役を任されていることが、“導師にはろくな人間がいない”という彼の言葉を裏付けているように思えた。
「では、議題に入る前に、本日よりこの会議に出席する二人の紹介をしましょうか……では、ブラン導師の弟子からどうぞ」
シグルトに促され、パリスがぴんと背筋を伸ばし、立ち上がる。
「パリス・ユーメントです。まだまだ未熟者ではありますが、この会議に出席を許された者としての誇りを胸に、与えられた責務を精一杯果たしていく所存です。宜しくお願い致します」
まだ顔色は冴えないが、その少女然とした風貌に似合わない、実に堂々とした挨拶だった。大貴族の子息だけあって、こうした自己紹介の場には慣れているようだった。
「次は私の弟子です。リシェル、ご挨拶を」
師に振られ、リシェルは慌てて立ち上がった。
居並ぶ全員の視線が自分へと集中する。心臓が突然鼓動を早め、体温が上がり、かあっと顔が熱くなる。
「リ、リシェルです! よ、よよよよろしくお願いします!」
事前にあれこれと挨拶を考えていたにも関わらず、いざ本番となると緊張で全部飛んでしまい、それしか言えなかった。
師の肩が笑いを堪えるようにわずかに震えているのを見て、自分が情けなくなる。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。初々しくて可愛いなぁ」
正面の席では、ヴァイスが微笑みかけてくる。
「ブランの神童くんと、シグルトの小鳥ちゃん。可愛い二人が入ってこの会議も華やかになるわね」
彼の隣に座る、赤紫の髪の女導師が、自身の赤い唇に指先で触れながら、くすくす笑いながら言った。その仕草が妙に色っぽい。
(こ、小鳥ちゃん……? 私のこと……?)
そんな呼び方をされるのは初めてだった。
「ふぉふぉふぉ、お前さんがいたから元から華やかじゃったよ、ロゼンダ」
白ひげの老人が言うと、女導師が妖艶に微笑む。
「あら、お世辞でも嬉しいですわ。ガーム導師」
「そういえば、ディナはまだ任務から戻ってこれそうにないんですか? ガーム導師」
ブランがふと思いついたように口を開いた。
「ああ、手こずっておるようじゃな」
「残念だなぁ。この子たちと年が近いし、若手同士、色々教えてやって欲しかったんですが」
どうやら、ディナというのがガームの弟子らしい。
「なあに、次回の会議までには戻ってくるじゃろうて。わしの孫娘じゃ。そうそう長引かせはすまいよ」
ガームは長い白ひげを指で梳きながら、目を細めて笑った。
「おしゃべりはいいからさっさと始めよーよ」
無駄口を叩くなと言わんばかりに、ルゼルが苛立たしげに促す。シグルトは頷き、再び声を張った。
「では、本日の議題に入りましょうか。まず、先日の会議から持ち越しになっていた、ラディキア地方支部からの研究費増額要請について……」
そこから先は、リシェルにはよくわからない話が続いた。
地方支部の予算増額、王都の結界強化、法院内の昇級制度の見直し、禁術認定の基準改定……
いずれの議題でも、シグルトは淡々と議事を進行させていく。
リシェルは会議の間、居並ぶ導師とその弟子たちを観察していた。
赤髪の大男ブラン、幼い少年の姿をしたルゼル、金髪の美青年ヴァイス、妖艶な美女ロゼンダ、最も高齢と思われるガーム、そしてシグルト。
これが天をも動かすと評される、国家最高位の魔道士達、六導師。
それぞれの個性の強さに、顔と名前を覚える苦労はなさそうだ。
ブランの後ろにはパリスが、ルゼルの後ろにはずっとうつむいているルーバスが、そしてシグルトの後ろには自分が控えている。ガームの後ろには弟子のための席があるが、空席だ。さっき話に出ていたディナという弟子の席なのだろう。
席の後ろに弟子の席が設けられていない、ヴァイスとロゼンダには弟子がいない、ということだろうか。
弟子たちは基本的に発言をしない。シグルトが議事を読み上げ、他の導師達に意見を求めて、それに導師達が応える。一番よく発言しているのはブランで、それにルゼルが反論し、ヴァイスかロゼンダがどちらかの意見を支持して決着する、という形が多かった。ガームは目を閉じてまったく動かず、起きてるのか眠っているのかもわからない。
そうやって会議を観察しているうちに、ヴァイスとまたもや目があった。柔らかな微笑みを向けられる。先程感じた悪寒はもうなかったが、なんとなく居心地が悪い。メモを取るふりをして、さりげなく視線を逸らす。
「次、最後になりますが、先日新たに創設されたクライル王子を団長とする、ラティール騎士団について、国王陛下より今後の任務遂行にあたって、魔道士派遣の協力要請が来ています」
リシェルははっと顔を上げた。エリックの所属する騎士団のことだ。
「魔道士派遣? てことは何? 反乱分子の鎮圧だの、魔物退治だの、その手の任務をするわけ? てっきりただのお飾りの騎士団だと思ってたけど」
「ええ、他の騎士団と同じく、そういった危険度の高い任務も遂行していくそうです」
ルゼルの疑問にシグルトが答える。
「あのボンクラ王子が総大将でしょ? 国王も何考えてるんだか……」
「あえて危険な任務に王子様を向かわせようとしてたりしてね……」
ロゼンダの呟くような一言を、ヴァイスがやんわりとたしなめた。
「ロゼンダ導師、滅多なことは仰らないほうがいいですよ」
「ふふ、そうね」
ロゼンダは隣の美青年に視線を送り、微笑みながら同意した。
「陛下のお考えはともかく、法院としては他の騎士団からの要請同様、基本的には協力するってことで問題ないと思うが」
ブランの発言に、ルゼルが馬鹿にしたように鼻先で笑う。
「お前はあの能無し王子の味方だもんなぁ」
「……ルゼル導師。あなたがクライル王子をどう思っていようと構いませんが、仮にも王族に対してその口のきき方はどうかと思いますよ」
「別にいいよ。告げ口したって。王族だろうが何だろうが、ボクに怖いものなんてないからさ」
ルゼルとブランがしばし睨み合う。どうも二人は仲が良くないらしい。あの穏やかで優しいブランが、誰かと対立するのを初めて見た。中庭での一件からも、ルゼルはやはり人格的に少々問題があるのかもしれない。
そこへシグルトが静かな口調で割って入った。
「個人的な感情はともかく、ブラン導師の言う通り、法院としては基本的には要請を受けるものとし、任務の内容をその都度検討し、派遣する魔道士の決定を行うという方針で問題ないものと私も思います。特に協力を拒む理由もありませんしね。異議のある方はいらっしゃいますか?」
口を開くものはなかった。ルゼルはとりあえず一言言いたかっただけで、具体的な反論があるわけではなかったようだ。
「それでは、本日の議案は以上ですので、これで閉会とします」
シグルトの言葉に、皆が次々席を立った。移動の魔法陣が描かれた場所へ立つと、その姿は光に呑まれ、消えていく。
ヴァイスの姿が消える一瞬、またあの緋色の瞳が自分に向けられていたように見えた。
……妙に意識されているように感じたのは、自分の思い過ごしだろうか。
「さて、私達はこれから国王と謁見ですね」
他の導師と弟子たちが部屋から姿を消すと、シグルトがブランに向かって言った。
「ああ、気が重いよ……」
「君は苦手ですからねぇ、あの人」
「まあな。ああいうタイプはどうもな……」
「君みたいな真っすぐ人間とは真逆の人ですからね」
師匠たちの会話を気にしながらも、リシェルはパリスに歩み寄った。
「どうしたの? ずっと顔色が悪いけど……もしかして先生に言われたこと気にしてる?」
「……いや、ちょっと朝から気持ち悪いもの見ちゃって……」
パリスは何か思い出したのか、眉をしかめる。
「お、お前ら仲直りしてくれたのか?」
弟子二人が話しているのを聞いて、ブランが嬉しそうに顔をほころばせた。
「は、はい」
「そうかそうか。パリス、許してもらえてよかったな」
ブランが笑ってパリスの背をどんと叩いた。その衝撃にパリスがうっと口元を手で覆った。
「どうでした? 初めての導師会議は?」
シグルトがリシェルに微笑みかける。
「導師の皆さんのこととかは、まだよくわかりませんけど……とりあえず緊張しました」
「これから慣れますよ」
「ひとつ疑問だったんですけど……」
「何です?」
「皆さん、私のこと先生の弟子だって、認めて下さったんでしょうか……?」
自分を正式に弟子にすることについて、他の導師に絶対何か言われると思っていた。法院内ですれ違った魔道士たちの冷たい視線を思い出す。リシェルが魔法が使えないということはルゼルも知っていたし、そんな人間が導師会議に出ることに当然反発があると予想していただけに、誰もそのことに触れてこなかったのは拍子抜けだった。
「特に異議もなかったし、承認されたってことですよ」
「でも……」
「基本的に導師は、他の導師の行動や決定に口出ししてはいけないんです。それがその導師に裁量権のある事柄である限りはね。誰を自分の弟子にするかというのは、その導師の一存で決められるんです。よほど問題がない限り、何か言われることはありませんよ」
魔法が使えないことは、よほどの問題ではないのだろうか。
リシェルの考えを察したように、シグルトが言った。
「君は現時点で魔法が使えないというだけですから。……君がこの先修行しても魔力が開花しなかったとしたら、また別でしょうけど」
「……私、魔法使えるようになるでしょうか?」
リシェルはすがるように師を見上げた。
「さあ?」
「さあって……」
シグルトの答えはまるで他人事だ。弟子の恨みがましい目線に、師は意味ありげに笑う。
「こればっかりは生まれつきの才能ですからね。まあ、魔道士になれなくても、君には別の選択肢もあるわけだし、気負わずにのんびり君のペースで頑張ればいい」
「別の選択肢って……?」
「私は気が長いですから安心して下さい」
紫の瞳が少し近づいて、覗き込んでくる。その答えで、師が言わんとする意味を悟り、リシェルは赤くなった。ごまかすように違う質問をする。
「あの……先生、降りる時もやっぱり、あの移動装置を使うんでしょうか?」
またあの気持ち悪さを味わうくらいなら、どんなに時間がかかろうと、できれば階段を使いたい。
「ええ、残念ながら。この部屋への出入り手段はあれだけなんでね」
シグルトは困ったように眉を下げる。
「辛かったらさっきみたいに私に抱きついていいですからね」
「大丈夫です! ……多分」
リシェルは一応首を横に振ったが、正直自信はない。
国王との謁見という緊張の場面の前に待ちかまえる試練に、げんなりとした。
一気に登場人物が増えました……
覚えていただけるか不安に思いながら書いていたら、木曜更新になってしまいましたので、次話は来週木曜アップにしたいと思います。間に合わなかったら日曜になるかもしれません^^;
宜しくお願いします。