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14 告白


 広間の中ほどへ出ると、シグルトと向かい合い、預けたのと逆の手をその肩に置く。シグルトはリシェルの腰にもう片方の手を回した。


 ゆったりした曲に合わせてステップを踏む。踊りは得意ではないリシェルでも、定番の曲で、ステップも基本的なものがほとんどなので、案外上手く踊れた。


「上手いじゃないですか」


 シグルトが感心したように言った。


「わざわざ踊りの先生まで呼んで習わせてくれたんですから、さすがにこれくらいは踊れないと、先生に申し訳ないですよ」


 シグルトは魔法だけは教えてくれなかったが、その他の勉強や教養を学ぶ機会は惜しまず与えてくれた。おそらく良家の子女並みの教育は受けてきたと思う。


「先生こそ、こういう華やかな場所は嫌いだって仰ってたのに、すごくお上手です」


 リシェルの知る限り、シグルトがこういった会に出席することはほとんどなかったはずだ。なのに、基本的な踊りとはいえ、シグルトは先ほどから完璧なステップを踏んでいる。それだけでなく、他の踊っている男女とリシェルがぶつかりそうになると、さりげなく位置を変え、それを避けてくれた。かなり慣れているように感じた。


「まあ、私も君よりは人生経験積んでますからね」


 リシェルは頭一つ分高い、目の前にあるシグルトの顔を見上げた。


 動きに合わせて白銀の髪が揺れている。特別目を引く美男子という程ではないが、それなりに整った顔立ちには善良そうな柔らかな微笑みが浮かんでいた。紫の瞳は優しさを湛えて自分を見下ろしている。


 六年前、自分を拾ってくれた時と何も変わらない。


「……前からお聞きしようと思ってたんですけど……」


「なんです?」


「先生ってもしかして、ほんとは百歳越えてます? 魔法で若返ってるとか?」


 弟子の質問に、シグルトは噴き出した。


「君ね、いくら私の髪が白いからって、それはないんじゃないんですか? そんなお爺ちゃんに見えます? まだ二十代ですよ、私」


「だって、先生くらいの地位になれば、それくらいいっててもおかしくないのかな、って……」


「導師になるのに年齢は関係ありません。基本的に魔道士の世界は実力主義ですからね。それに、私が導師になったのは、君と出会った直後くらいですから、そんなに前じゃないんですよ」


「でも、先生、ブラン様と同い年なんですよね。ブラン様よりお若く見えますけど……やっぱり魔法ですか?」


 六年前、自分を拾ってくれた時、二十過ぎくらいに見えたシグルトの容姿は、今も何一つ変わっていない。今年二十八になるブランと同い年には見えなかった。


「特に魔法は使ってませんよ。若く見えるのは、可愛い弟子に恋してるからかな?」


 ふざけて言う師に、当の可愛い弟子はまたかと呆れ、半眼になって見返した。


「ちなみに、導師の中には、私より年上で、私よりずっと若い外見の人もいますよ」


 シグルトは笑った。


「魔力の影響で、髪の色が変わったのはショックでしたけど、どうやら老化が遅くなったらしいのは良かったかな。君とこうして踊っていても、周りからはきっとお似合いの恋人同士に見えているだろうしね。いっそほんとに恋人だってことにしちゃいましょうか?」


「また先生はすぐそういうこと言う……」


「口説いてるんです」


「弟子をからかわないで下さい」


「からかってなんかいませんよ」


 紫の瞳に覗きこまれながら言われ、その距離の近さになんとなく気恥ずかしくなって目を逸らす。


 そして気づいた。

 自分達をじっと見つめる視線に。

 シグルトの肩越しに、踊る人々の間から、柱にもたれてこちらを凝視している若い男がいた。

 見たことのない赤い騎士服をまとった、黒髪の青年。

 

(エリックさん?)


 気を取られて、ステップを踏み間違える。シグルトの足を踏みそうになるが、シグルトは素早くそれを避けた。


「リシェル、踊りの最中によそ見はいけませんね」


「す、すみません……」


 もう一度ちらりと見やったが、エリックと思われる騎士の姿はもう消えていた。

 見間違いだったのかもしれない。


「見目麗しい貴公子でもいましたか?」


「そんなんじゃありません。ブラン様どうしてるかなって探してただけです」


 リシェルは適当なことを言ってはぐらかそうとした。


「ブランねぇ……目の前にこんないい男がいるのに、どうしてそっちに目が向くんですかね」


「自分で言いますか」

  

 曲が終了すると、二人は手を離し、礼にのっとって、リシェルはドレスのスカートを両手でつまんで、シグルトは片手を胸に置いて、お互いに一礼した。


 次の曲が始まり、踊りだす人々の合間を縫って、広間の端のほうへ移動して一息つくと、


「喉が渇いたでしょう?」


 シグルトが給仕からジュースのグラスを受け取って持ってきてくれた。


 リシェルは礼を言って、濃い赤色をした液体を喉に流し込む。おいしい。甘すぎず、濃厚な深みのある味わい。二口、三口と立て続けにグラスを傾けた。貴族というのはこんな贅沢なものを飲んでいるものなのか。あっという間にグラスを空にした。


 なぜか、次第に顔が火照って、頭がぼんやりしてくる。

 シグルトがにやにやしながら言った。


「リシェル。それお酒ですよ」


「ええ!? 騙したんですね!?」


「私はお酒じゃないなんて言ってませんよ」


「先生、ひろい……」


 初めて経験したアルコールに酔いが急激に回る。くってかかろうとしたが、舌がもつれた。


「酔っちゃったみたいですねぇ。お酒、弱いのかな。少しテラスに出て覚ましましょうか」


 シグルトは苦笑すると、リシェルの手を引いて外へと出た。

 広いテラスへ出ると、中の喧騒が少し遠くに聞こえる。夜のひんやりした空気が、酒で火照った肌に心地いい。

 

「リシェル。いいものを見せてあげますよ」


 師に手を引かれ、リシェルはテラスの手すりへ近づいた。

 屋敷の庭が一望できる位置まで来ると、リシェルは思わず声を上げた。


「わあ……! きれい……!」


 庭は清らかな青白い光で満たされていた。

 屋敷に到着した時は、気にも止めなかった庭中に咲く白い花が、ぼんやりと淡く光を発している。まるで夜空に輝く月と星の光を受け止め、照らし返しているかのようだ。


「月光花ですよ。月の光を受けると、こんな風に淡く光るんです。王都では滅多に見れないんですが、リンベルト伯爵の地方の領地がこの花の産地でね。庭中に植えて、夜会の名物にしてるんですよ。これを君に見せたくてね」


「ほんとうに綺麗ですね……!」


 酔いも手伝って、リシェルは幻想的な光景にうっとりと見とれた。


「喜んでもらえたならよかった」


 そういうシグルト自身も、嬉しそうに目を細めてリシェルを見ている。

 しばらく二人で庭を眺めていたが、やがてシグルトが口を開いた。


「リシェル」


 呼びかける声にどこか真剣さを感じて、リシェルは庭から師に視線を戻した。 


「……大事な話、しましょうか」


「……はい」


 師の言葉に、リシェルは表情を引き締め、師へと向き直った。

 話とは一体なんなのだろうか。確か、お願いしたいことがある、そう言っていた。


 君に魔道士としての素質はない、成人を機に弟子を辞めて欲しい――そう言われてしまうのではないか。

 そんな不安に胸がざわつき、酔いが急激に覚めていく。


「君は、記憶を取り戻したいから、魔道士になりたい――そう言いましたね」


 リシェルは頷いた。


「どうして記憶を取り戻したいんです?」


「え?」


 師の問いかけに、リシェルは面食らう。

 失われたものを取り戻したいと願うのは、当然のことではないのか。まさか理由を問われるとは思わなかった。


「私は……自分が誰なのか知りたいんです。本当の名前や、生まれた場所、どんな家族がいて、どんな風に育ったのか……みんなが当たり前に知っていることを、私も知りたいんです」


「……それがどんなに辛くて悲しい過去でも?」


「え?」


「……あくまで仮定の話ですよ」


 シグルトはテラスの手すりに身をもたせて、淡く輝く庭を見下ろす。

 

「私はね、リシェル。こんなことを言ったら君は気を悪くするかもしれないけれど、時々、君が羨ましいんです」


 リシェルはほのかに青白く照らされた、師の横顔を見つめる。庭を見下ろす師の瞳は、悲しげで、どこか虚ろだった。今、彼には何が見えているのだろう。


「私もできれば、過去のことなんて忘れ去ってしまいたい。そうできたらどんなに素晴らしいか」


 自分は過去がないことで、自分の存在に自信が持てず、ずっと悩んできた。

 でもこの人は逆に過去があることによって苦しめられている。

 忘れ去ってしまいたい過去とは一体何なのか。


 知りたいと思った。

 でもそれを聞くことで、師の心の傷を抉ってしまうのは怖かった。


「……君には、過去よりも未来を考えて欲しい。私と一緒に」


 シグルトは手すりから身を離し、リシェルに向き直った。いつになく真剣な、紫の瞳がまっすぐにリシェルを見つめる。


「魔道士になるのは諦めてくれませんか?」


 やっぱり――予想していたことではあったが、はっきりと言われてしまうと、思った以上の動揺があった。どうして、と理由を問う声もすぐには出せない。


 だが、次のシグルトの言葉は、それ以上の動揺、いや衝撃をリシェルにもたらした。 


「魔道士になるのは諦めて――――私の妻になってくれませんか?」


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