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101 リシェルの魔力

「パリス……!」


 部屋の扉を押し開けた直後、ベッドの上で半身を起こすパリスの姿を見て、リシェルはもう言葉が出てこなくなった。


「リシェル?」


 パリスが目覚めたという連絡を受け、リシェルとディナはすぐにパリスのいる法院の治療室へと向かった。目覚めたと言っても、息も絶え絶えなのではないか。意識がはっきりしていないのではないか。実際パリスがどのような状態かわからず不安を抱えたまま部屋に入ったリシェルは、突然現れた自分たちに驚き、青い目を見開く、普段通りに見えるパリスに、声にならない感情が突き上げてくるのを感じた。 


「お前、無事か? 怪我は? ルーバスに何もされなかったか? ……って何泣いてるんだよ?」


 質問を投げかけていたパリスは、リシェルのほおをぽろぽろと涙が伝い落ち始めたのを見て、困惑した。


「パリスが死んじゃうんじゃないかって思ってたから……ほっとして……」


 リシェルは勝手に流れ出る涙を手でぬぐいながら、かすれた声を絞り出した。

 パリスの横に立つブランが、口を開いた。 


「正直、かなり危ない状態だったが、シグルトがすぐに治癒してくれたおかげで、どうにか命は助かったんだ」


「先生が……?」


「腹に大穴が空いてたんだ。普通なら魔法でも直せる怪我じゃない。それを完治させちまうんだから……本当にたいした奴だよ、あいつは」


 ブランが感嘆混じりに言う。

 シグルトが、パリスを助けてくれた。攻撃魔法の直撃をくらい、血まみれで倒れていたパリス。あの時はもう助からない、と絶望した。今目の前のパリスは、少しせたものの、顔色も悪くなく、傷を痛がる様子もない。あの瀕死ひんしの状態から、ここまで回復させるなど、奇跡のようだ。


(やっぱり、先生はすごいんだ……)


 改めて感じると同時に、引っかかるものを感じた。

 パリスのあの大怪我を治せるほどの力があるのなら。


(アーシェのことは、本当に助けられなかったのかな……?)


 それはシグルトの力を持ってしても、不可能だったのだろうか。


 ふわっと生じた小さな違和感は、しかしブランの言葉ですぐにかき消された。


「まあ、ここまで目覚めなかったのは、シグルトの魔力が強すぎた影響だろうが……よく耐えきったな、パリス。記憶や精神状態にも異常無いみたいだし……さすが俺の弟子だ」


 ブランはぽんっとパリスの頭に手をのせた。弟子に注がれる優しい眼差しを見て、リシェルは気づいた。彼の目尻もまた、自分と同じように濡れていることに。ディナから、ブランが時間さえあればパリスの様子を見に行っていることは聞いていた。彼もどれだけ弟子のことが心配だったことだろう。


 ブランがリシェルへと視線を移した。


「リシェル、その……あの事件の日、お前の方は大丈夫だったのか?」


 どこか気まずそうな雰囲気に、リシェルは思い出した。彼と最後に会ったのは、リシェルがシグルトの家を飛び出した時だ。泣きながら、乱れた服装で走り去ったのを見られた。彼はおそらくシグルトとリシェルの間に何があったのか、察しているだろう。リシェルも気恥ずかしくなって、目をそらした。


「はい、私は大丈夫でした。パリスのおかげです」


 そらした視線の先にいた友に、リシェルは微笑んで言った。

 

「あの時は助けに来てくれて本当にありがとう、パリス」


「別に僕は……結局、このざまだし……」


 パリスはわずかに頬を赤らめて、うつむいた。


「本当よね、格下のルーバスにやられるなんて、ちょっと油断しすぎだわ。天才だの神童だの言われて、調子乗っちゃってたのかしら?」


 ディナにからかうように言われ、パリスは再び顔を上げて彼女をにらむ。


「僕は油断なんてしてません。ただ、思った以上にルーバスの魔力が強くて……」


「それを油断って言うんじゃないの?」


 パリスは唇を噛んだ。確かにルーバスの力をあなどっていたのは事実だ。だが、リシェルを助けるため、油断などしていなかった。なのに、負けた。不意打ちを食らったわけでも、卑怯な手段を取られたわけでもなく、真っ向勝負で。悔しさがこみ上げる。


 ディナがふと目元を緩めた。


「まあ、でも、命張ってリシェルを守ろうとするなんて、あなた意外といい奴じゃない。見直したわ」


「……どうも」


 いつもいがみ合っている年上の魔道士に褒められ、パリスは戸惑い目をそらすと、話題を変えた。


「リシェル、あの時、僕は途中で動けなくなって、頭もぼんやりとしてたから、はっきり覚えてないんだ。僕が倒れた後、どうなったんだ? 意識が完全に途切れる前に、何かすごい魔力を感じたけど、シグルト様がすぐに助けに来てくださったのか?」


「それは……」


 パリスにはすべて打ち明けるべきだろう。今までずっと魔法の修行に付き合ってくれ、今回リシェルを助けるために大怪我まで負ったのだ。リシェルは魔力が暴走したことや、シグルトにずっと魔力を封印されていたことを正直に話した。


「シグルト様が……? 魔力を封印しておいて、ずっと黙ってお前が修行するのを見てたっていうのか? それはいくらなんでもひどくないか?」

 

「あらら、シグルト崇拝者のパリス君でも、あいつを批判することがあるのね」


 眉を寄せ言うパリスに、ディナが茶化すように言う。

 黙って話を聞いていたブランが突然、リシェルに向かって頭を下げた。


「リシェル、すまない」


「え?」


「俺は、シグルトがお前の魔力を封印してることに気づいてた。お前の魔力を引き出してやった、あの時に」


 何のためらいもなく頭を下げ、打ち明けた導師に、若い三人は顔を見合わせた。

 

「シグルトを問い詰めたが理由は言わなくて……あいつにも何か考えがあるんだろうと思って、お前には言わなかったが……ずっと黙っていてすまなかった」


「ブラン様、それで僕にリシェルの修行をみるように、特に魔力制御の訓練をするようおっしゃったんですね……」


 パリスの言葉に、ブランは頷いた。


「そうだ。いつか何かのきっかけで封印が完全に解けた時のために、魔力の扱いを知っておくべきだと思ってな。パリス、お前にも事情も言わずに頼んで悪かった」


 弟子に謝った後、申し訳無さそうに続ける。


「リシェル、いつかは言わなきゃいけないとは思ってた。でも、お前がシグルトと結婚することになって、考えが変わったんだ。ずっとあいつの側にいるなら、封印が解ける心配もない。魔道士なんて危険の多い道をわざわざ選ぶ必要なんてないだろう、もうこのまま黙っていようと、そう思った。でも……俺がお前の人生を決めるなんて、おかしいよな。本当に悪かったと今は思ってる」


「ブラン様……」


「お前がまだ魔道士になりたいというなら、俺からもシグルトに封印を解くよう頼んでみるよ。あいつが俺の言う事なんて聞くかはわからないが……」


 リシェルはゆっくりと首を振った。


「魔力の封印のことは……もういいんです。先生から理由は聞きましたから……」


「どういうこと?」


 眉を寄せるディナに、リシェルは言葉を慎重に選んだ。シグルトが禁術を使ったことを伝えるわけにはいかない。


「その……私の病気を治すために必要なことだったって……」


「病気はもう治ったんじゃないの? じゃあもう魔力の封印は解いてもらえるってこと?」


「えっと……封印を解いたら、また病気になる可能性があるかもしれなくて……」


「何よ、それ。あいつにとって都合が良すぎじゃない。あなた、それ信じてるの?」


 呆れ顔のディナに続いて、パリスも眉間にしわを寄せた。


「つまり……お前は魔力が封印されたままでいい、魔道士は諦めるってことか?」


「……う、ん……そうなる、よね……」


 はっきりしない返答に、パリスの顔に苛立ちが浮かぶ。


「シグルト様に言って、何とかならないのか? せっかく魔力があるのに? 魔道士になれる才能あるんだぞ? しかも、意識を失う前に、お前の暴走した魔力を感じたけど、あれはめちゃくちゃ強――――」


 ふと、何かを思い出したように、パリスは言葉を切った。


「パリス?」


「あ、いや……何でもない」


 なぜか困惑した表情で、パリスは黙り込む。その沈黙を埋めるように、ブランが再び口を開く。


「リシェル、じゃあシグルトとはその……話はしたんだな?」


「はい……その、今日謝りに来てくれて……」


「そうか、あいつ、ようやく会いに行ったのか。お前に合わせる顔がないって、ずっとうだうだ悩んでてな……」


 ブランはどこかほっとした様子だ。


「それで、仲直りしたのか?」


「……いえ。それは……まだ、いろいろ混乱してて……」


 リシェルの答えに、ブランは少し肩を落とした。


「そうか。まあ、その……あいつを許せない気持ちもわかる。だが、シグルトもだいぶ反省してるみたいだったし、話は聞いてやって欲しい」


「ブラン様って、なんでいつもあいつの肩持つんです? 昔からの友達って言ったって、いつも仕事押し付けられたり、振り回されたり……愛想尽かしても良さそうなものなのに。何か弱みでも握られるとか?」


 ディナは心底不思議そうに首をかしげている。

 

「うーん、そうだな……弱みではないが、恩は感じてるな。同い年ってこともあって、シグルトとは昔から任務で組まされることが多かったんだが、あいつには何度も危ないところを助けられたから……かな?」


 ブランは自分でもよくわかっていないようで、考え込みながら答えた。


「まあ、あいつにとっては俺を助けるなんて造作もないことで、もう覚えてもいないだろうが……なんだかんだ言って、あいつが俺を見捨てたこと、一度もないんだよな」


 友との過去を思い出したのか、ブランはふっと微笑んだ。


「あいつはいろいろ性格や考え方に問題はあっても、根っから悪い奴ってわけじゃない。……と、思う。多分」


「ブラン様……」


 苦笑いしながら言うブランに、リシェルの心の内で複雑な想いが渦巻く。

 

 ブランも、アーシェも、何があってもシグルトを信じてきた。

 自分はどうだろうか?


 嘘をつかれ、裏切られ、彼の想像もしなかった一面を知ってしまった。

 それでもシグルトを、もう一度信じられるだろうか? 二人のように。 






 


 それからしばらくは四人で近況報告をしていたが、気づけば外も暗くなっていた。回復したばかりのパリスの元に、あまり長居するわけにもいかないだろうということで、リシェルとディナは帰ることにした。


 二人が去って少ししてから、ブランもまた、座っていた椅子から立ち上がり、ベッドの上のパリスに告げた。


「さて、俺もそろそろ帰るか。お前も明日魔法医にちゃんと診てもらって、問題なければ実家に帰れそうだな。ご家族も心配してたぞ」


「はい。ブラン様、今回はその……ご心配とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。僕がもっと強ければ……今回の件で、自分の未熟さを自覚しました。これからは、さらに修行に励むつもりです」


 ブランは何も答えず、じっとパリスを見つめた。


「ブラン様……?」


 自分の師とはいえ、無言で大男に見下されるというのは、なかなか圧がある。戸惑うパリスに、ブランは不意に手を伸ばすと、その頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。


「何す――」


「そういうとこ……お前、本当にパリスなんだな」


「え?」


 しみじみとした声で言われ、青い髪を乱したまま、パリスは師を見上げた。大男の顔には、泣くのをこらえながら、なんとか保とうとしてるかのような、どこか苦しげな微笑みがあった。


「命が助かっても……シグルトの魔力の影響がどう出るかわからなかったからな。目が覚めたら、記憶を失って俺のことも忘れてるんじゃないか。自分が自分であることもわからなくなって、正気を失ってるんじゃないか。お前がお前でなくなってるんじゃないかって、ずっと不安だったから……嬉しくてな」


 そういうブランの目尻に光るものを見て、パリスは胸が温かくなるのを感じた。

 自分が意識を失っている間中、彼はずっと不安を抱えながら、自分の目覚めを待ち続けてくれたのだろう。その目覚めの先に、さらに絶望があるかもしれないと知っていた分、きっとその心配と不安は、実の家族と同じか、あるいはそれ以上だったかもしれない。


「ブラン様……」


「あのシグルトの魔力に耐えきったんだ。お前はやっぱり才能がある。シグルトの弟子になれば、俺なんかより、ずっとすごい魔道士になれるだろう。楽しみだな」


 目尻を拭いながらブランは笑う。パリスは無意識にぎゅっとシーツを握りしめていた。そうだ、自分は決めたのだった。シグルトの弟子になろう、と。


 だが、決意したはずなのに、言えなかった。シグルトの弟子になる、あなたの弟子を辞める、とは。


「まあ、今はシグルトはリシェルのことで頭がいっぱいで、弟子入りどころじゃないだろうが……お前もまだ本調子じゃないだろうし、俺や仕事のことも気にしなくていいから、とにかく今はしっかり休めよ」


 ブランは最後にぽんっとパリスの頭に優しく手を置くと、部屋の扉へ向かう。彼が部屋を出る直前、パリスは思い出し、慌てて声をかけた。

  

「あの、ブラン様、リシェルの魔力のことなんですが」


「ん? なんだ?」


「あいつの魔力を引き出してやった時、何か感じませんでしたか?」


「え? あ、うん。そうだな。おそらく相当強い魔力だとは思った」


「他には?」


「うーん、ほんの一瞬しか感じ取れなかったしな……なんだ、何か気になることでもあるのか?」


 弟子の質問の意図がわからず、ブランは怪訝けげんそうにしている。


「あ、いえ……ならいいんです」


 パリスは首を振った。


 リシェルの暴走で、その強力な魔力を感じた時。ひどく懐かしい感じがした。


 魔力は魂の波動だ。弱いとはっきりとは感じ取れないが、強く発せられると、個々人で癖のようなものが出る。同じ曲を弾いても、楽器や奏者によって違いが出るのと同じようなものだ。温かい陽光のような、冷たく厳格な、儚げで悲しげな――人によって感じ方もその表現も異なるが、それはまるで音楽を聞いた時に抱く印象に似ていた。


 感覚の鋭い魔道士なら、魔法が使われた痕跡こんせきや魔道具にかけられた魔力で、誰が術者か特定できることもある。


 あの時感じたリシェルの魔力。

 決して折れないような力強さがありつつも、でもどこか柔らかく温かくて、心地よい。

 

 あれは、あの魔力は――

 

 アーシェのものだった。

 

 六年前、彼女がルゼルと戦った場に居合わせ、感じた魔力とまったく同じ。


(……って、そんなわけないよな)


 ありえないことだ。

 あの時は、意識も朦朧もうろうとしていたし、自分の勘違いだろう。


 パリスはそう結論付けて、この違和感を胸の奥底に押し込め、忘れることにした。


お読みいただきありがとうございました!


今選考中の、ネット小説大賞の一次選考に通過しておりました。

飽きっぽい私がここまで書き続けていられるのも、読んでくださっている皆様のおかげです。

本当にいつもありがとうございます。

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