戦利品の味【麻婆豆腐回想】
麻婆豆腐は、自分が嫌われていることを知っていた。
知っていて、やめられなかった。
全チャで草を生やす癖も、やたら大きい声も、強がりも、全部。わざとだ。空気を読めないんじゃない。読む気がない。読んだところで、どうせ誰も自分を見ないからだ。なら、こっちから殴りに行く。見てほしいなら、嫌われるのが一番早い。好かれる努力は面倒だし、報われない。
現実だってそうだった。
頑張ったやつが評価されるとは限らない。愛想がいいやつ、顔がいいやつ、雰囲気が柔らかいやつが、いつも得をする。努力は見えないのに、得は目に見える。それが腹立たしい。
ゲームなら違うと思った。課金した分だけ強くなる。時間を使った分だけ上に行ける。数字は裏切らない。だから麻婆豆腐は課金した。勝ちたかった。勝てば、誰かが認める。誰かが羨む。誰かが媚びる。そういう世界にしたかった。
なのに、サーバーには「ユキ」がいた。
戦力9位。トップ3じゃない。圧倒的でもない。
それでも、女どもが群がる。
意味が分からなかった。
麻婆豆腐からしたら、ユキは「ちょっと強い、無難なやつ」だ。口数も少ない。煽りもしない。競争心も薄い。勝つことに執着していないように見える。なのに、女の目がユキを追う。チャット欄に名前が流れた瞬間、空気が変わる。
ああいうのが、一番嫌いだ。
努力せずに得するやつ。
いや、努力してるかもしれない。けど麻婆豆腐の目にはそう見えない。見えない努力は評価できない。評価できないなら存在しないのと同じだ。
麻婆豆腐は、ユキに勝ちたかった。PvPでも、存在感でも、女の人気でも。
でも、勝てなかった。
勝てない理由があるとすれば、ユキが「優しい」からだ。
優しい。
それは武器だ。ずるい武器だ。相手を殴らず、噛みつかず、挑発せず、ただ話を聞く。否定しない。落ち着いた言葉で受け止める。そうやって女を安心させる。女は安心を「好き」と勘違いする。麻婆豆腐には、そんな芸当はできない。できるかもしれないが、やりたくない。媚びたくない。なのにユキは「媚びてるように見えない」ままやってのける。
だから余計に腹が立った。
そんなある日、麻婆豆腐はみっふぃを見つけた。
みっふぃは明るい。甘い声で、絵文字で、距離を詰める。見た目の情報がないゲーム内でも「女」を武器にできるタイプだった。全チャでも目立つ。男なら誰だって反応する。そのくせ、みっふぃの目はいつもユキに向いていた。分かりやすいくらいに。
最初、麻婆豆腐は笑った。
「え、みっふぃまでユキなの?まじかよw」
そう思っただけだった。
でも、みっふぃが病むのを見た瞬間、麻婆豆腐の中で何かが切り替わった。
ユキがログインしない夜。返信が遅い夜。ユキが誰かと組んでいるのを見た夜。みっふぃは全チャでは笑ってるくせに、個チャでは妙に弱くなる。言葉が荒くなる。矛盾したことを言う。「大丈夫♡」の後に「でもさ」「ねえ聞いて」が続く。ああ、依存だ。典型的な。
麻婆豆腐は、そこに入り込んだ。
慰めるふりをして、味方のふりをして。
「ユキ冷たくね?w」
「俺ならそんな思いさせないのにw」
「みっふぃちゃんってさ、可愛いのに勿体ないよw」
言葉は軽い。草も生やす。冗談みたいに言う。けど核心は外さない。みっふぃが欲しいのは、解決じゃない。安心だ。肯定だ。「私は悪くない」の保証だ。それなら麻婆豆腐でもできる。むしろ得意だった。誰かを慰めるのは、支配しやすい。
みっふぃは少しずつ麻婆豆腐に寄った。
正確には、ユキに届かない苦しさから逃げるために、麻婆豆腐を使った。
麻婆豆腐は、その事実に気づいていた。気づいていて、嬉しかった。
使われてもいい。少なくとも今、みっふぃの視界には自分がいる。ユキだけを見ていた目が、こっちにも向く。勝った気がした。
そして麻婆豆腐は言った。
「結婚しない?w」
結婚システムは知っていた。パーティで狩りをして親密度を上げ、一定まで到達すると結婚できる。結婚すればボーナスがある。肩書きが付く。二人の関係が「公式」になる。ゲームの中とはいえ、それは鎖になる。
みっふぃは、少し迷った。
その迷いが、麻婆豆腐の優越感を煽った。
迷うってことは、ユキが「今すぐの答え」じゃないってことだ。
迷うってことは、俺が候補に入ったってことだ。
みっふぃは最後に「いいよ♡」と言った。軽い声だった。だけど麻婆豆腐は、その軽さにこそ救われた。重い同意は怖い。責任が生まれる。軽い同意なら、遊びで済む。遊びでいい。麻婆豆腐は本気になるのが怖かった。負けたとき痛いからだ。
結婚した。全チャで冷やかしが飛んだ。祝福もあった。ユキも「おめでとう」と言った。
麻婆豆腐は、その一言で勝利を確信した。
見たか。
みっふぃは俺のものだ。
ユキ、お前の周りの女、ひとり減ったな。
そう思った。
――で、終わるはずだった。
結婚してから、麻婆豆腐は気づいてしまう。
みっふぃは、ユキを見ていた。
結婚しても、ずっと。
狩りに行っても、報酬の話をしても、チャットの流れの中にユキの名前が出ると、みっふぃのテンションが変わる。ほんの少し声が甘くなる。返信が早くなる。視線のないはずの世界で、それでも“向き”が分かる。女は、好きな相手に向けて呼吸を変える。麻婆豆腐はそれを知っていた。
腹の底が冷えた。
戦利品だと思っていたものが、最初から空だったみたいな気分になった。
勝ったと思って掴んだ旗が、別の男の名前で刺さっていた。
麻婆豆腐は、ユキが嫌いになった。前よりずっと。
ユキは何もしていない。ユキはいつも通りだ。
それが一番むかつく。
努力してないように見えるのに、奪っていく。
奪う気もないのに、奪っていく。
麻婆豆腐は歪んだ。
PvPで勝てばいい。数字で叩き潰せばいい。強さで黙らせればいい。
だから、もっと課金した。もっと強くした。もっと勝とうとした。
でも、勝っても満たされなかった。
みっふぃの視線は、変わらなかった。
麻婆豆腐は焦った。
焦りは苛立ちになり、苛立ちは暴力になる。言葉の暴力、態度の暴力、ゲーム内の嫌がらせ。
そして、最悪の発想に辿り着く。
「ルールを曲げれば勝てる」
誰にも言わない。誰にも見られない。そう思って、麻婆豆腐は手を出した。ほんの少しだけ。勝率を調整する程度。運が良かっただけに見える程度。そうやって、自分の正しさを保ちながら。
でも運営は見ていた。麻婆豆腐は垢停止を食らった。
その瞬間、麻婆豆腐の中で何かが崩れた。
俺は、なんだったんだ。
課金して、強くなって、勝って、結婚して。
それでも結局、ユキには勝てない。みっふぃの心も取れない。
ただ滑稽なだけじゃないか。
麻婆豆腐は全チャで吐いた。
「こんなゲームまじおもんないwww」
「まだやってるやつ引くわwww」
引退宣言。捨て台詞。最後の強がり。
それで終わるはずだった。
なのに。
数日後、麻婆豆腐はまたログインしていた。
誰にも言わず、こっそり。だが耐えきれず、全チャに降臨してしまう。
「まだやってるんだww」
煽り。
反応が欲しい。見てほしい。存在を確認したい。
結局、それだけだった。
セーフティゾーンでユキを見かけた日、麻婆豆腐は思った。
こいつは、きっと気づいてない。
自分が、どれだけ人を壊しているか。
優しさで。無自覚で。安全圏から。
だから、麻婆豆腐は決めた。
勝てないなら、引きずり下ろす。
自分が沈むなら、道連れにする。
戦力でも、人気でも、みっふぃの心でも勝てないなら。
せめて、この世界でユキが「安心して立っていられる場所」だけは、壊してやる。
それが麻婆豆腐の、最後の誇りだった。
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