妹という免罪符
Laylaは朝早くからユキを訪ねてきた。
自分が女になっていることが知れ渡ってる。
その事実は、麻婆豆腐が部屋に来た時点で、もう察していた。
だからLaylaが来ること自体は不思議ではない。
ただ、来方が問題だった。
「ユキ、ほんの少しだけでいいから話したい……」
「何もしない。前みたいに全チャで迷惑かけたりしないから……」
「開けてくれるまで、ずっと待つ」
扉一枚隔てた向こうで、気配が動かない。
本当に待つのだろう。何時間でも。そう想像しただけで胃の奥が重くなる。
出たくない。けれど、騒がれる方がもっと面倒だ。
ユキは小さく息を吐き、鍵に手をかける。
扉がいつもより重く感じる。
そこにいたのは、いつものゴスロリの少女――のはずだった。けれど、前までのオドオドしたLaylaとはまるで違う。
頬は上気して熱を帯び、瞳の焦点が合っていない。
(出なきゃよかった……)
そんな後悔が脳裏をかすめる。
「何の用……?」
距離を置くように、わざと声を低くして尋ねる。
けれどLaylaは答えない。ただ、ユキを上から下まで、ゆっくりと舐めるように見つめる。
そして、ユキの胸元で縫いとめられるように、視線が止まった。
「……すごい」
息を吸う音が、近い。
「ちゃんと、女の子だ……」
一歩、近づく。さらにもう半歩。
あまりに強引な詰め寄り方に、ユキはたじろぐ。
「みんなにも、ちゃんと見せなきゃ」
震えた声なのに、熱がある。懇願のようでいて、命令みたいだ。
その言葉にユキはわずかに眉を寄せる。
――見せる?何を基準に?
「隠してちゃだめ」
震える声で続けると、Laylaはユキの腕を掴んだ。予想以上に強い力で、指先が皮膚の奥に食い込む。
「少しだけでいいの。外に出て」
半ば引きずられる形で廊下に出る。
ユキの制止なんてLaylaの耳には入ってない。先程から聞き取れないくらいの独り言をブツブツと呟いている。
瞬間、彼女の表情が曇り、指先の力が増す。
「……だめ」
さっきまでの高揚が、濁った色に変わる。
「やっぱり、だめだ」
ユキを自分の方へ引き寄せる。守るみたいで、囲うみたいな動き。
「ユキが浅ましい奴らに見られるなんて、だめ」
瞳の奥に怒りが浮かび、呼吸が荒くなる。感情がジェットコースターみたいに反転している。
ユキの背筋に冷たいものが走った。
「離して」
刺激しないよう、静かに言う。けれど腕を掴む力は一向に緩まない。
「お願い。守りたいの。みんなが欲しがる前に」
焦点の合わない目。どう考えても、まともな人間のそれじゃない。
あ、これ、話通じないやつだ――と、他人事みたいに思ってしまう。
勢いのまま廊下へ引かれかけた、そのとき。
「なーにやってんの?」
背後から、場違いなくらい軽い声が落ちた。
振り向くと、agjtmが立っている。ポケットに手を入れたまま、覗き込むように笑っている。場に似合わないほど柔らかい顔で。
「そーゆーの、よくないんじゃないかな?」
声も柔らかい。けれど次の瞬間、agjtmはLaylaとユキの間に強引に割り込み、Laylaの手首を掴んだ。
「離せって」
声だけが低くなる。笑みは残したまま。
据わった目のまま、Laylaが睨む。
「あなたには関係ない」
「関係あるよ」
「俺のもんだから」
当然のことのように、さらっと言う。
Laylaの顔が歪む。
「違う!ユキは——」
「うんうん、分かる分かる」
笑ったまま遮って、agjtmはユキの腰に腕を回した。
「帰ろっか」
身体が宙に浮き、そのまま抱き上げられる。
「ちょ、何——」
抗議しかけて、ユキは言葉を飲み込む。
背後から突き刺さるLaylaの視線を思えば、こちらのほうがまだましだった。
「……好きにして」
諦めたように力を抜くと、agjtmはそれを“許可”として受け取ったか、抱き上げる腕を自然に強めた。
「…好きにする」
恋人との睦言のように耳打ちしてくる。
耳にかかる吐息にぞわぞわするが、抵抗する気力は既に失われている。
ユキを抱えながら部屋へと入っていくagjtmの背中を、Laylaは憎悪に染まった瞳で見つめていた。
部屋に戻り、ベッドに下ろされる。
「ほら、もう大丈夫」
いつもの軽い声。けれどユキは視線を上げず、しばらく黙り込んだ。喉の奥に残るざらつきが消えない。
「……ねえ」
「何?」
ユキが顔を上げる。警戒が濃い。その警戒は、いま自分が“女として見られること”に向いている。
「私のこと……女として見てるの?」
agjtmは一瞬、ユキの表情を観察した。
そこにあるのは拒否と、逃げるための準備。
――あー、そういう顔するんだ。
理解した瞬間に、答えは決まる。
「違うよ」
即答だった。
「妹みたいで心配なだけ」
声は自然で揺れない。妹などいないが、それはどうでもいい。
大事なのは、ユキが欲しがってる安全を、言葉で渡すこと。
その言葉を聞いて、ユキの肩がわずかに落ちる。
ユキの反応を見て、agjtmは確信する。
今は、欲を見せたら終わる。
“女として見てない男”でいることが、最短距離だと。
「……そっか」
安堵した表情でユキは呟く。
その顔を見ると、喉の奥が熱くなる。
言ってしまいたくなる。見てると。見てないわけがない、と。
今だって、その細い首筋に齧りつきたい衝動を堪えてる。
agjtmは笑ったまま、何も言わなかった。
代わりに、ほんの少しだけ間を置いてユキを観察する。
今なら触れても、強い拒絶はないはず。
そう判断したタイミングで、ゆっくり手を伸ばす。
「……ほら」
長い指先が、こめかみにかかる髪に触れる。
整えるふりをして、わずかに頬へ滑る。親指の腹が頬骨の下をゆっくりなぞり、強くは押さないのに、離れない。
ユキの息が一瞬止まる。
「無防備すぎ」
低く呟きながら、指先を顎の下まで滑らせる。喉元には触れない。その手前で止める。止めている――という演出だけを残す。
「……やめて」
思った通り、弱々しい拒絶。
agjtmは一瞬だけ視線を落とす。唇。首筋。鎖骨の影。触れたら終わる場所を、目だけでなぞる。
そして何事もない顔で戻す。
「妹だろ?」
そう笑いながら、今度は耳の後ろに指を差し入れる。髪を払う動作の延長で、耳朶を軽くかすめる。
耳の後ろに差し込まれた指が、一瞬だけ、頭を動かせなくする。
……けれど、ユキが声を上げる前に、それは羽のような軽さで離れていった。
わざとゆっくり離れていく指先が、触れた感覚だけを残していく。
ユキの肩が、ピクリと震える。
触れられた場所が、嫌悪と別の熱を帯びる。
考えたくなくて、シーツを強く握る。
agjtmはそこでようやく手を引いた。
「変な顔すんなよ」
軽い声だが、少しだけ抑えるような震えがあった。
ユキは何も言い返せなかった。
――だって“妹扱い”なんだから。変だと思う自分が自意識過剰なのかもしれない。
と、逃げ道を自分で作ってしまう。
「ゆっくり寝とけよ」
頭をぽん、と軽く叩く。兄のふりで。
でも、手が離れたあとも皮膚の内側が落ち着かない。ユキは無意識にその場所を押さえる。
(……なんか、こわい)
深く考えるのも面倒で、目を閉じる。
agjtmはその様子を見て、ゆっくり息を吐いた。
手応えは、あった。
笑みだけは消さないまま、部屋を後にした。




