明け方の信徒
明け方。
セーフティゾーン中央広場は、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。露店は閉じられ、チャットログも流れない。
その中を、Laylaは一人で歩いていた。
今日もまた、眠れなかった。
こういう事はたびたびある。現実世界にいた時もそう。
始まりは中学の頃にいじめを受けて、不登校になってからだと思う。
気休めの為に始めたリスカはもう、長袖でも隠せないくらいに手のひらの方まで侵食してる。
異世界に来てからは、睡眠薬も飲めてない。手首を切っても、すぐまた不安が戻ってくる。
気付けば外に出ていた。
そして。
視界の先に、二つの影が伸びてくるのが見えた。
足が止まる。
「……え」
朝の薄い光の中を、ナカジマが歩いている。その腕の中に、誰かを抱えて。
一瞬、呼吸が完全に止まった。
脳の処理が遅れ、目だけが先に情報を拾っていく。
抱えられているのは華奢な身体だった。
白い脚が月光の残り香を受けて淡く光り、小さな傷から滲んだ血がゆっくりと滴っている。
白くて透き通るような肌。伏せられた睫毛。薄桃色の唇。潤んだ瞳。
腕の中に収まるその姿は、ガラス細工みたいに繊細で、人間というより最高級のビスクドールに近かった。
「……ユキ……?」
声が掠れる。
女の子の姿だった。それもとびきり美しい。
そして、その姿はただの“変化”ではないと、Laylaは直感した。
これは偶然でも異常でもない。仮初の姿でもない。
“もう一つの姿”。
つい最近までユキは男だった。乾いた目で世界を俯瞰し、感情を削ぎ落とした王のように立っていた。
その冷たさに、Laylaはどこかで救われていた。誰からも触れられない場所にいる神聖な存在。
それなのに。
今は、柔らかく、壊れそうな少女としてナカジマの腕に収まっている。
「……なんて、きれいなの」
理解が崩れた瞬間、代わりに別の感情が流れ込んできた。
男にもなれる。女にもなれる。
どちらにも縛られない。
境界の上に立ち、形を固定しない存在。
そんなの、人じゃない。
「すごい………」
喉が乾く。息が浅くなる。
興奮が、隠せない。
「やっぱり……」
身体の奥が熱を持ち始める。
その熱を確認するように、両手を胸の前で組む。
「ユキは、神様なんだ……!!」
声に出した瞬間、それは確信へと変わった。
朝焼けと夜の狭間に立つ存在。
触れられる距離にいるのに、決して掴めない。抱かれているのに、決して所有されていない。
なのに、全ての人間から渇望されてる。
ナカジマは必死な顔をしている。壊れ物を扱うみたいに、強く、けれど慎重に抱きしめている。
ユキは、静かに微笑っていた。
ナカジマに対して何の感情も持たず、ただそこにあるだけのものとして、受け入れている。
その無垢さが、逆に異様だった。抱かれているのに、寄りかかっているのに、それでもどこか遠い。
ユキの足から流れる血の匂いが、ここまで漂ってくる。
甘い、それでいて人の脳を狂わせる香り。
耐えられない。今すぐにでも舐め取りたい。
今、選ばれているのは、ナカジマ。
でも、見ているのは、自分。
その事実に、ぞくりとした快感が背筋を走る。選ばれなかった側なのに、目撃を許された。
距離を保ったまま、この奇跡の瞬間に立ち会えた。
Laylaの瞳がゆっくりと潤む。
「私、やっぱり……」
震える声は、もう迷っていない。
「ユキに会うために、この世界に来たんだ」
恋とか愛なんて感情はとうに超えてる。
ユキこそが、自分の存在意義そのもの。
「この世界で、ユキは神様になる」
それは予想ではなく、宣言に近い。
「私を導いてくれる……」
涙が滲む。だが悲しみではない。恍惚に近い湿り気だった。
ナカジマは気づかない。ユキも振り返らない。
自分はただ、明け方の暗い壁のそばで立ってるだけ。
でも、今かつてない幸福に包まれてる。
「待っててね……」
小さく囁く。だが、その声音には静かな狂気が滲んでいる。
足の震えは止まらないが、もう迷いはなかった。
「ちゃんと、信じてるから……」
明け方の広場に、誰もいない。
ただ一人。
Laylaだけが、このセーフティゾーンに新しい何かが訪れる事を確信していた。




