眠れなかった男と熟睡の女
明け方は耳鳴りがするくらい静かだった。
カーテンの隙間からはまだ暗い空が広がってる。白い足がシーツの上をゆっくりと這う。
夜の熱を少しだけ残した空気の中で、agjtmは目を閉じたまま天井を見ていた。
眠れなかった。
正確には、眠る気になれなかった。
腕の中には、まだぬくもりがある。
丸まった身体。規則正しい呼吸。胸元に当たる柔らかな重み。
動けば起きる。わかっているのに、動けない。まだ起こしたくない。
(俺、何してんだ)
こちらにハマらせたところで、壊すつもりだった。
その為に、冷静に計算して、奪う側でいるはずだった。
なのに。
一晩中、寒くならないように抱えていた。
守る姿勢のまま、朝を迎えている。
自分で自分が笑える。
そのとき、腕の中の体が小さく動いた。
「……ん」
ユキが眉をひそめ、ゆっくりと目を開ける。
焦点が合うまで数秒。ようやく視界が定まる。
そして。
「……おはよ」
あまりにも普通の声だった。
自分がagjtmの腕の中にいることを、理解していない顔。
「……おはよ」
掠れた声で返すと、ユキは不思議そうに目を細めた。
「なんでそんな顔してんの?」
目の下のクマ。固まった肩。痺れた腕。
全部、自分のせいだと気づいていない。
「……寝てねぇから」
正直に言うと、ユキは小さく首を傾げる。
「ふーん」
それだけ。
罪悪感も、照れも、気まずさもない。
だが次の瞬間、ユキは無意識のまま、さらに体を寄せた。
頬が胸元に当たる。
「昨日、あったかかった」
ぼんやりした声。
きっと覚えていないはずだ。言葉の意味も深く考えていない。
ただ、体が覚えている。
その一言で、agjtmの心臓が跳ねた。
「……覚えてんのかよ」
「なにが?」
本気でわかっていない顔。
ああ、そうだ。全部、俺だけが背負っている。
ユキは、何も覚えていない。
ただ、あたたかかったという感覚だけを残している。
(ずるいだろ)
昨日、鍵を閉めた。逃げ道を塞いだ。
それを忘れたふりをしているのは、ユキじゃない。自分の方だ。
守るつもりなんてなかった。
優しくするつもりもなかった。
それなのに、今。
離れたくないと思っている。
「お腹減った」
唐突に言われ、思考が途切れる。
ユキはゆっくり身体を起こし、何事もなかったかのようにベッドの上で伸びをする。
昨夜の重さも、距離も、全部なかったことのように。
「ごはんある?」
agjtmは数秒黙ったあと、短く息を吐いた。
「……あるよ」
立ち上がる。
腕に残るぬくもりが、やけに寂しい。
キッチンへ向かいながら、ぼそりと呟く。
「俺、ほんと何やってんだろうな」
壊すつもりで、部屋に招き入れた。
なのに、次に考えているのは朝食のメニューだ。
背後で、ユキがあくびをする。
その無防備な音に、胸の奥がまた小さく締めつけられる。
(……もう遅いか)
自嘲混じりに笑いながら、agjtmはフライパンを手に取った。
朝は、何事もなかったみたいに始まる。
でも確実に、何かは変わっていた。




