さよならの理由【モユル視点】
セーフティゾーンの中央広場は、いつもと変わらず騒がしかった。
人の声が重なり、足音とエフェクトの光が交差して、世界は絶えず動いているのに、その中でモユルだけが、時間から取り残されたみたいに立ち尽くしていた。
視線の先には、ベンチに座るユキの背中がある。
報酬画面を開いたまま、黙々と指を動かす横顔。
誰にも話しかけず、誰にも頼らず、ただ一人でそこにいる姿。
前は、違った。
もっと周りを見ていたし、誰かが近くにいれば、必ず気づいて、声をかけていた。
今は、違う。
近くにいても、見えていないみたいだった。
モユルは、手に持ったアイテム袋を見下ろした。
今日も、ユキのために集めてきたものだ。
レア素材。回復アイテム。強化用の結晶。
必要そうなものは、全部。
それが、いつの間にか癖になっていた。
喜んでほしかった。
役に立ちたかった。
そばにいる理由がほしかった。
でも今日は、その袋がやけに重く感じられる。
腕じゃなくて、胸の奥に。
渡してしまえば、また同じ関係が続く。
何も変わらないまま、ズルズルと。
それが、怖かった。
(……まだ、離れたくない)
そう思ってしまう自分が、いちばん怖かった。
何度も深呼吸してから、モユルはようやく一歩を踏み出した。
「……ユキ」
声は、思ったより小さくなった。
ユキが振り向く。
「なに?」
短い。
事務的で、温度のない声。
昔は、違った。
名前を呼べば、必ず笑ってくれた。
今は、呼ばれても、ただ返事をするだけ。
胸の奥が、きゅっと縮む。
「……これ」
アイテム袋を差し出す。
指先が、わずかに震えている。
隠そうとして、ぎゅっと握りしめる。
ユキが、何気なく手を伸ばす。
その瞬間。
指が、触れた。
ほんの一瞬。
ほんのわずかな接触。
でも、確かに。
初めてだった。
これまで、何度も物を渡してきたのに、不思議なくらい、ちゃんと触れたことはなかった。
ずっと、距離を保っていたみたいに。
やっと触れられた。
ずっと欲しかったはずの瞬間だった。
なのに。
伝わってきたのは、冷たさだった。
思っていたより、ずっと冷たい。
人の体温というより、長く放置された金属みたいな温度。
それが、指先から、腕を伝って、胸の奥まで染み込んでくる。
モユルは、反射的に手を引いた。
心臓が、ぎゅっと掴まれたみたいに痛む。
(……ああ)
(……もう……違うんだ)
この人は、もう。
昔のユキじゃない。
ユキは、何事もなかったように袋を見る。
「ありがと」
それだけ。
視線も、ほとんど合わない。
その一言が、余計につらかった。
「……ねえ」
モユルは、意を決して口を開いた。
声が、少し掠れる。
「私さ……ずっと考えてた」
ユキは黙ったまま、こちらを見る。
「前のユキね」
言葉を探しながら、続ける。
「もっと……あったかかった」
「誰にでも優しくて」
「損しても、平気で」
「……自分より、人を優先する人だった」
思い出すたび、胸が締めつけられる。
あの頃のユキが、まだここにいる気がして。
「私……それが好きだった」
声が、わずかに震える。
でも、止めない。
止めたら、言えなくなる。
「でも今は」
顔を上げる。
「わざと冷たくして」
「人が困るのを見て……少し、楽しんでる」
言ってしまった瞬間、後悔が押し寄せる。
でも、取り消さない。
もう、戻れない。
沈黙。
ユキは、否定しない。
言い訳もしない。
その沈黙が、答えだった。
モユルの喉が詰まる。
「……たぶんね」
ゆっくり、言葉を選ぶ。
「私が縛りすぎたせい」
「そばにいたくて」
「離れたくなくて」
「……重くなって」
「……壊した」
全部、自分のせいだと思いたかった。
そうじゃないと、耐えられなかった。
「ごめんね」
深く、頭を下げる。
視界が滲む。
それでも、泣かない。
泣いたら、縋ってしまうから。
「だから……もう、来ない」
ゆっくり、顔を上げる。
目は赤いのに、涙は落ちない。
「これ以上」
「……ユキを、壊したくないから」
「私のせいで」
「これ以上、歪ませたくない」
「……それだけ」
ユキは、何も言えない。
止めることも、否定することも、できない。
モユルは、それを見て、少しだけ笑った。
苦しくて、壊れそうな笑顔。
「……元気でね」
そう言って、背を向ける。
一歩、踏み出す。
二歩。
三歩。
三歩目で、ほんの少しだけ足が止まりかける。
最後にもう一度だけ、振り返りたい。
声をかけてほしい。
引き止めてほしい。
そんな期待が、胸の奥で暴れる。
でも。
振り返らない。
そのまま、雑踏の中へ歩いていく。
もう戻らないと、決めた人の背中で。




