歪んだ視線
セーフティゾーン中央広場は、今日も人の波で満ちていた。
狩りを終えた者が装備を修理し、露店を冷やかし、次のレイドに向けて仲間を募る。重なる足音とチャット音が絶え間なく響く。
その喧騒からわずかに距離を取った場所に、ナカジマは立っていた。
視線の先には、ベンチに腰掛けるユキの姿。インベントリを開き、黙々とアイテムを整理する横顔。笑顔も、特別な仕草もない。ただ、そこにいるだけ。
――それなのに。
(今日も、生きてる)
(ユキが近くにいる)
声に出せない言葉が、胸の奥で静かに沈殿する。話しかける勇気はない。近づく資格もない。見るだけでいい。遠くから、存在を確かめるだけで。
―――そばにいたい。
その感情だけが、動かない体の内側で軋む。足は動かない。人の流れは絶えず動いているのに、自分だけがそこに固定されている。
「なぁ、ユキ」
横から軽い声が割り込む。agjtmだった。
「今日のレイドさ、あの編成どう思う?」
「んー?」
ユキが顔を上げる。その瞬間、agjtmの視界はユキで埋まった。
近い。意識したときには、もう十分すぎる距離。
(おい、またじゃん)
自然に詰まる距離。本人は無自覚。
(これ、俺だからだよな?)
根拠のない確信が、静かに積み上がる。
「ここさ」
ユキが画面を差し出す。肩が触れそうな距離。指先が冷える。腹の奥だけが、じわりと熱い。
「ここ変えたら、楽かもな」
声が低くなる。
「……ユキ」
零れる。
「ん?」
振り向いた顔は、無防備だった。喉が渇く。
(無防備すぎだろ)
理性が警告を鳴らす。だが、離れられない。
少し離れた場所で、ナカジマはそれを見ていた。
動けない。一歩でいい。その一歩が、出ない。
広場は騒がしい。笑い声も、取引音も、すべてが流れている。自分だけが止まっている。
ユキが笑う。agjtmが身を寄せる。二人の間に、空気が生まれる。
喉が鳴る。
それでも足は動かない。
そのとき。
ユキの視線が、わずかに揺れた。斜め後ろ。ナカジマの立つ方向。
目が合う。
ほんの一瞬。
何かがあったような気がする。何だったのかは、分からない。時間が伸びる。
ナカジマは、息を止めたまま、ただ立っている。
agjtmは、それを見た。
理解する。
頭の熱が急速に引いていく。指先は冷たい。腹の奥だけが、焼けるように熱い。
(俺じゃない…)
視線はナカジマに向いていた。それだけ。それだけなのに。
目が離せない。
最悪だと分かっている。それでも、見続けてしまう。
「……ユキ」
低い声。
「俺のこと、どう思ってる?」
「……んー……普通?」
無邪気で、残酷。
「……そっか」
乾いた笑いが漏れる。
そのとき、ユキの視線が、わずかに揺れた。斜め後ろ。ナカジマの立つ方向。
一瞬。ほんの、一瞬。それだけ。
理解する。
(ダシにされてる)
指先が、氷みたいに冷える。腹の奥だけが、焼けるように熱い。
(最悪だ)
(分かってる。俺、終わってる)
喉の奥で、低く笑いそうになる。
(寝取られてるみたいな顔してんのに)
(なんで、目が離せねぇんだよ)
視線は勝手に追う。ユキが、誰を見るのか。どんな顔をするのか。それを知りたい。知りたくて、たまらない。
自分がどれだけ滑稽か分かっている。それでも、離れられない。
ナカジマは、動かない。声も出せない。離れることもできない。
壊れながら、見続ける。
ユキはもう一度だけ、視線を揺らす。それが誰に向いたのか、確信は持てない。だが、何かが歪んだ。
そのまま、ユキはagjtmの方へわずかに身体を寄せる。肩が触れる。
誰も何も言わない。
それでも三人の関係は、確実に歪み始めていた。
静かに。逃げ場のない形で。




