そのあと【agjtm視点続き】
翌日。セーフティゾーンは相変わらず平和だった。
露店の呼び込みに笑い声が重なり、クエスト報告の自慢や愚痴が飛び交う。チャットウィンドウは絶えず流れ、誰かのレベルアップ演出が光る。昨夜の騒動など、この世界には最初から存在しなかったかのように、空気は軽い。
――なのに。
agjtmだけは、ずっと重苦しかった。
ガラス越しに貼りついていたナカジマの顔。焦点の合っていない目。吐息で白く曇った窓。見たくもない光景だ。今でも思い出すたび、胃の奥から苦いものがこみあげてくる。
「はぁ……」
吐き出した息は、感情を外へ逃がすには足りない。
視界の端にユキの姿が映った。
ベンチに腰を下ろし、スマホを眺めている。いつも通りのだるそうに。足を少し投げ出し、誰かのチャットに軽く返事をしているらしい無防備な横顔。
(……こいつが……)
昨日の“原因”。
何も知らない顔をしている。いや、知っていて知らないふりをしているのかもしれない。どちらにせよ、その曖昧さにイライラする。
「……ユキ」
気づけば声をかけていた。ユキがゆるく顔を上げる。
「ん? なに?」
軽い。あまりにも軽い。
昨夜、誰かの尊厳を踏みにじってたとは思えない表情だった。
(なんだよこいつ…腹立つ……)
苛立ちは唾とともに呑み込んで。
「最近さ」
できるだけ自然を装って切り出す。
「ナカジマと、よく一緒にいない?」
ユキが返答を探すように、ほんの一瞬間を置く。その瞬間を、agjtmは見逃さなかった。
「あー……まぁ……」
曖昧な薄笑い。
「話しかけられるし?」
それだけで済ませる。
(……嘘つけ……)
胸の奥がざわつく。だから更に踏み込みたくなった。
「……あいつ、ちょっと変じゃね?」
冗談めかした口調を作る。バレない程度に、探りを入れながら。
ユキはスマホから目を離さずに答えた。
「そう?」
興味があるのかないのか分からない。でも明らかに素っ気ない。
「普通じゃない?」
そして会話を切った。
(あ、これ……)
分かっている。
ナカジマの異常さも、依存も、執着も。全部わかってやってる。
「……へぇ」
乾いた笑いが出てしまう。
「お前、怖いな」
ユキがちらりと視線を寄越す。ほんの一瞬だけ。そして、薄く微笑った。昨日と同じ、誰にも向けていないような笑み。
「なにそれ」
軽い声。だが、目は笑っていない。
(あー)
確信に変わる。
こいつは自覚して、楽しんでいる。
アレを、わざと壊そうとしてる。
「……なぁ」
声が自然と低くなる。
「……あいつ、ヤバいぞ」
「そのうち、お前のせいで壊れる」
空気がわずかに硬直した。
ユキはしばらく黙ったまま、指先で画面をスクロールする。それから、ぽつりと。
「……壊れたら」
「どうなるの?」
冗談ではない。軽口でもない。真顔だった。
(……は?)
ぞくりと背中に冷たいものが走る。
「なに、それ…」
「お前……」
言葉がうまく出てこない。
ユキは視線を逸らした。
「別に。なんでもない」
だが、その声はわずかに震えていた。
(……クソ……)
嫌な予感が、胸の奥でじわじわと広がる。
「やめとけよ」
思わず強く言う。
「遊ぶなら、ほどほどにしろ」
「あれは、洒落にならない」
ユキは少し黙り込んだ。やがて、ふっと小さく笑う。
「……心配してくれるんだ」
その一言で、agjtmの心臓が妙な跳ね方をした。
違う、そうじゃない。
「……別に」
視線を逸らして、誤魔化す。目が合ったら自分が何を考えてるか見透かされそうで。
「迷惑だから言ってるだけ」
ユキは何も返さない。ただスマホを見つめる。そのまま数秒が過ぎ、やがて。
「ありがと」
聞こえるかどうかの声。
(……ずる……)
その言い方。そのタイミング。反則だろ…
その瞬間、遠くに立つナカジマの姿が視界に入った。こちらを見ている。いや、正確にはユキを。
一秒も逸らさず。
自分のモノだと主張するように。
agjtmの背中を冷たいものが撫でる。
(やべぇ…)
(もう、手遅れだろ…)
三人とも。
もう、戻れないとこまできてる。
そんな確信だけがあった。




