待ち焦がれた瞬間
それから、数日。
ユキは、妙に機嫌がよかった。
昼間は、よく話す。 よく笑う。 よく近づく。
「ナカジマ、これ見て」 「ねえ、聞いてる?」 「今日さ、ちょっと眠くない?」
何でもないことを、わざわざ話しかける。
距離も、近い。
ベンチに座れば、自然に隣。 立てば、半歩横。 振り返れば、すぐ後ろ。
ナカジマの心臓は、そのたびに跳ねた。
(……なに……?) (……最近、近くない……?)
期待するな。 勘違いするな。 そう言い聞かせても、無理だった。
だって。
ユキは、わざと触れる。
肩が、かすめる。 指が、当たる。 視線が絡む。
一瞬だけ。 すぐ離れる。
「……あ」
みたいな顔をして。
何事もなかったように、スマホを見る。
(……殺す気か……)
ナカジマの精神は、日に日に削れていった。
夜。
セーフティゾーンに戻る時間。
ナカジマは、毎回、同じ場所に立つ。
あの部屋の前。 あの窓の下。
無意識だった。
気づけば、そこにいる。
今日こそ。 今日は、もしかして。
昼のあの距離。 あの視線。 あの声。
――開けるんじゃないか。
淡い期待。
でも。
カーテンは、閉まっている。
きっちり。 隙間ゼロ。
右。 左。 中央。
完璧。
(……今日も……)
中から、微かな音がする。
椅子を引く音。 布の擦れる音。 小さな吐息。
いる。 確実に、いる。
なのに、見えない。
ナカジマは、その場から動けない。
見ても意味がない。 分かっている。
でも、離れられない。
(……なんで……) (……なんで閉めるんだよ……)
胸の奥が、じわじわ痛む。
一方、その頃。
部屋の中。
ユキは、ベッドに座っていた。
スマホを弄りながら。 カーテンを、ちらりと見る。
閉まっている。 完璧。
(……いるな)
分かる。
この時間。 この場所。
絶対、いる。
耳を澄ませば、かすかな気配。
息を殺している感じ。 動かない感じ。
(……ほんと、バカ)
口ではそう思うのに。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
(……今日も……)
わざと。
カーテンの前を横切る。
影だけが、揺れる。
わざと、椅子を動かす。
音を立てる。
わざと、小さく息を吐く。
「……はぁ……」
独り言みたいに。
ナカジマに届くかどうか、微妙な音量で。
(……あ)
自分でやってて、自覚する。
完全に、弄んでる。
(……終わってんな、私)
でも。
やめない。
やめられない。
次の日。
昼。
また、ユキは近い。
「ナカジマさ」 「昨日、ちゃんと寝た?」
覗き込む。
距離、30センチ。
目が合う。
ナカジマの思考、停止。
「……え、あ、……うん……」
嘘だ。 全然寝てない。
ユキは、それを知ってる。
知ってて、にやっとしない。 何も言わない。
ただ。
「そっか」
って言って、微笑む。
それだけ。
(……なんなんだよ……)
期待だけ、積み上げる。
夜。
また、閉まっている。
今日も。
明日も。
明後日も。
ずっと。
カーテンは、開かない。
ナカジマは、もう限界だった。
目の下にクマ。 動きが鈍い。 集中力ゼロ。
なのに、離れない。
(……お願いだから……) (……一回でいいから……)
祈りに近い。
そして、数日後。
その夜。
ユキは、珍しく、ため息をついた。
「……そろそろ……かな」
独り言。
カーテンの前に立つ。
指が、布に触れる。
一瞬、迷う。
(……開けたら、終わるのに)
でも。
ゆっくり。
ほんの少しだけ。
指一本分。
開ける。
外の光が、細く差し込む。
影が、浮かぶ。
ナカジマの、立ち尽くす姿。
微動だにしない。
まるで、待ち続けた犬みたいに。
それを見た瞬間。
ユキの背中に、ぞくっとしたものが走る。
(……やば)
嬉しい。 怖い。 気持ち悪い。 気持ちいい。
全部。
「……ばか」
小さく呟いて。
それでも。
今日は、閉めなかった。




