獰猛な執着
中央広場の噴水脇。
人の波が絶え間なく行き交うその一角で、ユキはベンチに腰を下ろし、黙々とデイリークエストの報酬を整理していた。インベントリを開き、素材を仕分け、不要なドロップ品を売却リストへ送る。単純作業の繰り返しは、余計なことを考えなくて済むから楽だった。
視界の端で、他プレイヤーたちが笑い合い、パーティ勧誘の声が飛び交う。中央広場はいつも騒がしい。けれど、ユキの周囲だけが妙に静かに感じられた。自分から距離を取っているからだと、分かっている。
――そこに。
「ユキ」
低く、よく通る声。
聞き慣れすぎた声音に、ユキは内心で小さく舌打ちした。
(……またか)
振り向くまでもない。
この距離感、この遠慮のなさ。
視線だけをゆっくり持ち上げる。
そこに立っているのは――agjtm。
最近、やたらと接触頻度が高い男。
偶然を装うには無理があるくらい、タイミングが良すぎる。
「曜日ダンジョン、もう終わった?」
気軽な調子で続ける。
「まだならさ。一緒に回ろうぜ」
誘い方が、軽い。
断られることも想定済みで、でも断られても痛くない顔をしている。自信が前提にある声音。
ユキは、ようやく正面から男を見た。
整った顔立ち。
無駄のない体格。
腰に下げられた大剣は、課金限定排出率0.3%のレア装備。磨き上げられた刃が、広場の光を反射している。
(……はいはい、勝ち組ね)
どう見ても、選ばれる側の人間。
ゲーム内でも、現実でも。
そういう男が、なぜ自分に絡むのか。
本気で理解できなかった。
「……嫌だ」
短く、冷たく。
感情を乗せない声で切り捨てる。
「えー?」
agjtmは肩をすくめて笑う。
「それ、寂しくない?」
「せっかく一緒に遊べるのにさ」
言いながら、一歩、また一歩と距離を詰める。
(……うわ、近い)
ユキは無意識に半歩下がった。今の距離感は限界許容は超えてる。
その動きを、agjtmは見逃さない。
ふと、目が合う。その瞬間。ぞくり、と背筋を何かが撫でた。
口元は笑っている。声も、軽い。
なのに。瞳の奥だけが、異質だった。
計算でも、社交でもない。
“決めた”目。
獲物を視界に入れた肉食獣のような、逃がさないと決めた光。
(……あ、これ……ダメなやつだ)
理屈より先に、本能が警鐘を鳴らす。
「なぁ、ユキ」
声のトーンが、わずかに落ちる。
低く、柔らかく、耳の奥にまとわりつく声音。
「俺さ」
「……ユキに、めちゃくちゃ興味あるんだけど」
にやり、と笑う。
「もっと知りたいんだよね」
「どんなこと考えてんのかとかさ」
まるで――
“気に入ったから、俺のものにしたい”とでも言うみたいに。
(……最悪)
ユキは、心の中で吐き捨てる。
(こうやって口説いて)
(落として)
(飽きたら捨てるタイプ)
見なくても分かる。
今まで何人を泣かせてきたのか。
「……悪いけど」
ユキは、真正面からagjtmを見返した。
冷え切った目で。
「……興味とか、いらないんで」
迷いなく、切る。
「他当たってください」
普通の男なら、ここで引く。
冗談めかして笑って、体裁を保って距離を取る。
――普通なら。
「……は?」
agjtmは一瞬きょとんとした。
それから。
くつ、と喉の奥で小さく笑う。
「あー……そっか」
口元は余裕を保ったまま。
だが、瞳の色が変わっていた。
ぎらり、と。
「俺、フラれた?」
冗談めかした言い方。
けれど、足は止まらない。
また一歩。
ユキの背後にある柱との距離が、じわじわ縮む。
逃げ道を、無意識に潰すように。
「初めてかも」
ぽつりと落とす。
「ここまで、はっきり拒否られたの」
ユキは眉をひそめる。
「……だから何ですか」
「いやさ」
agjtmは肩をすくめる。
「普通さ、もうちょい遠慮するじゃん?」
「様子見たりさ。気ぃ遣ったりさ」
指先で空気をなぞるように言葉を並べる。
「ユキ、ゼロじゃん?」
「遠慮」
「忖度」
「期待」
一本ずつ削ぎ落とすように。
「全部ゼロ」
くす、と笑う。
「……最高じゃん」
「は?」
素で聞き返す。
agjtmは、少しだけ声を落とした。
「俺くらいになるとさ」
「勝手に期待されんの」
指を一本ずつ折る。
「金」
「装備」
「ステータス」
「肩書き」
「全部込みで」
「『いい人そう』とか」
「『頼れそう』とか」
「『付き合ったら楽しそう』とか」
吐き出すように言う。
「……もう、飽きるほど聞いた」
そして、まっすぐユキを見る。
逃がさない目で。
「でもさ」
「ユキは、俺のそれ」
「一切見てねぇだろ」
「ただ」
「『うざい男』って顔してる」
心底楽しそうに笑う。
「そこがさ」
「めちゃくちゃ刺さった」
ユキは内心で舌打ちする。
(……やっぱりヤバい)
(面倒なタイプだ、これ)
「……興味ないって言ったよね」
もう一度、突き放す。
「俺も、興味ない」
「あなたに」
空気が、一瞬だけ凍る。
それでも、agjtmは折れない。
「あー」
納得したように頷く。
「そう来るか」
にやり、と笑う。
「じゃあさ」
「興味持たせたら、俺の勝ちじゃん?」
背筋に、ぞわりと寒気が走る。
「……何言って」
「決めた」
あまりにもあっさり。
「俺さ」
「ユキ落とすわ」
軽く言う。
宣言の重さを理解していないわけがないのに。
「時間かかってもいい」
「嫌われてもいい」
「逃げられてもいい」
一歩、距離を詰める。
吐息が触れそうな位置。
「でも」
低く、囁く。
「最終的に」
「俺のこと見るようにする」
甘い声。
けれど、そこにあるのは執着だ。
「……最悪」
ユキが小さく呟く。
「褒め言葉」
即答。
満足そうに笑う。
「そういう顔するの」
「マジで逃がしたくなんねぇんだよ」
ユキは、心の底から理解した。
(……やっぱり)
(できるだけ関わっちゃダメなやつだ)
だが。
この男はもう、距離を取るつもりがない。
追うことを楽しみ、拒絶を燃料にするタイプ。
軽く笑っているくせに、
一度決めた獲物から目を離さない。
中央広場の喧騒は、相変わらず賑やかだ。
けれどユキの周囲だけ、空気がじわりと濃くなったように感じられた。
逃げられるはずなのに。
なぜか、背後の柱がやけに近い。
agjtmは、まだ笑っている。
その目だけが、まったく笑っていないまま。




