表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/39

モユル包囲開始

セーフティゾーンの片隅、石壁に沿って置かれた長椅子の影。そこにナカジマは立っていた。立っているというより、呼吸を殺して“居た”。この世界では、声量も距離も、すべてが無駄に近い。近いから、聞こえる。聞こえるから、壊れる。

 少し離れたところで、みっふぃと恋歌とagjtmが、珍しく三人で固まっていた。普段なら全チャで軽口を叩くか、パーティで“ゲームらしく”消耗品のように狩りに出る。なのに今日は、狩りの話を一切していない。人間関係の話しかしない。

「……モユル、最近キツくない?」と、みっふぃが小声で言った。「ユキに対してさ。制限、増えてるでしょ」

 恋歌は視線を泳がせた。日和見の癖に、限界が来ると突然正論を吐く女だ。「うん……。個チャもダメ、全チャで話題にするのもダメ。パーティ固定。あれ、守ってるっていうより……」

「囲い込みだろ」agjtmが笑った。軽薄な声。だけど言葉だけは鋭い。「俺さ、正直さ。モユル一強すぎておもんねーんだよね」

 みっふぃは頷く。「うん。別に奪うとかじゃないよ? あたしだって……そこまでは……」と言いながら、言外に“奪う気もある”が滲む。「でも、監視きつすぎる。ユキがしんどそう」

 恋歌が息を吐いた。「……牽制、くらいでいいよね。モユルに『やりすぎ』って分からせる程度」

 agjtmが肩をすくめた。「牽制、ね。まあ、全チャが一番効く。ああいうタイプ、外堀から埋めると死ぬほど焦る」

 ナカジマは、唇の裏で笑った。

(牽制、ね)

 彼らは“止めたい”のだろう。モユルを中心に起こってるこの空気感を。ユキが息をできる程度に。たぶん、そこまでが本音だ。みっふぃは面倒を避けたい。恋歌は空気が悪いのが嫌い。agjtmは……単純に、自分が中心にいたい。

 でも。

 ナカジマの目的は違う。

(ユキが欲しい)

 欲しい。手に入れたい。近づきたい。誰にも渡したくない。……そして、モユルから剥がしたい。あの女が“正しい顔”でユキを抱えるのが、堪えられない。

 ナカジマは、自分に言い聞かせる。

(俺はユキが嫌いだ)

 そう。嫌いだ。優しすぎる。何も拒絶しない。自分が惨めになる。そのくせ、周囲を惹きつける。何もしていない顔で人の感情を釣り上げる。ああいう奴は嫌いだ。……嫌いだから、壊したい。孤立させたい。縋らせたい。

 それを、“救い”という言葉で飾るつもりはない。

 聞き耳だけで満足できるほど、彼は品行方正じゃなかった。

 ナカジマは、わざと足音を殺して椅子の影から離れ、反対側の壁沿いへと回った。彼らの会話が終わったタイミングで、自然にすれ違える距離へ。目立たない顔と、地味な雰囲気。こういう時だけは自分の“地味”がありがたい。

 みっふぃたちが散る。恋歌は司祭と何か話すふりをして距離を取り、agjtmはあくびをしながら歩き出す。みっふぃは、最後にもう一度だけ振り返った。

「とりあえず、やるなら“それっぽく”ね。喧嘩腰はダメ。ユキのためって空気で」

 綺麗ごとで包んで、泥を塗る。人間はそういうのが大好きだ。

 ナカジマはそのまま、誰にも見られていない顔で、個チャを開いた。

 最初の送信先は、恋歌でもみっふぃでもない。もっと簡単に燃える人間。燃えて、周りを巻き込む人間。

 麻婆豆腐。

 彼なら、“考えなし”に最適な火薬を投げる。

(……いや、まだ早い)

 ナカジマは手を止め、代わりに“下準備”を始めた。小さく、同じ文面をばら撒く。数人に、軽く。あくまで心配の体裁で。疑いを作る。共通認識を作る。

『最近、ユキ疲れてない?』

『モユルの管理、キツすぎない?』

 答えはすぐ返ってきた。

『思ってた』

『言いづらかったけど…』

(だよな)

 人は、言いたい。言えないだけで。そこを突けば、勝手に崩れる。

 そして数日後。ナカジマの狙い通り、全チャに“温度”が出始めた。本人が書かなくても、勝手に誰かが言い出す。群れは便利だ。責任を薄めてくれる。

【全チャ】

>みっふぃ:最近ユキ元気なくない?

>恋歌:ちょっと思った…

>agjtm:あーわかるわ

 たった三行で、空気は変わる。

 モユルは、当然、見ている。ユキの周りの会話を監視するように。監視している自覚はないのだろう。彼女の中では“保護”だ。自分が正しいと信じている人間ほど、目が曇る。

 そこへ、誰かが軽く続ける。

【全チャ】

>Noname:最近pt固定多すぎ

>Noname:自由なくね?

>Noname:ユキ絡みじゃんそれ

 名指しはない。だが、全員が分かる。

 モユルの個チャが増えた。ユキに対して。短く、命令に近く。

『今日は誰とも組まないで』

『変なのに絡まれないで』

 ユキは、表に出さない。だから厄介だ。嫌だと言わない。反抗しない。受け取ってしまう。それが“許可”に見える。周囲もユキも、誰も止めない。止められない。

 ナカジマは、そこで“意図的に”全チャへ出る。

 最初は、軽く。芯だけを刺す。

【全チャ】

>ナカジマ:……言えないだけかもよ

 たった一文。だが、これは毒だ。“言えない”を置かれた瞬間、周囲は勝手に想像する。ユキは被害者になる。モユルは加害者になる。世界が簡単に色分けされていく。

 反応が返る。

【全チャ】

>恋歌:……それ

>みっふぃ:わかるかも

>agjtm:核心突いたな

 モユルはすぐ食いつく。焦りが出る。

>モユル:勝手な想像しないで

>モユル:ユキは私のこと信頼してる

 ――私の。

 その一言が、致命傷だと気づかない。気づけない。

【全チャ】

>誰か:所有物みたい

>誰か:無理

>誰か:こわ……

 空気が完全に傾いた。その時、ナカジマは“ようやく”麻婆豆腐に個チャを送った。

『最近全チャおもろいぞ。ユキの話出てる。お前の出番じゃね?』

 誘導はシンプルでいい。馬鹿は、餌だけで動く。

 数分後。

【全チャ】

>麻婆豆腐:www最近ユキ監禁されてね?www

>麻婆豆腐:檻付きペット説www

 一瞬止まって、爆発

麻婆豆腐の発言に、全チャは一瞬で荒れた。

【全チャ】

>みっふぃ:は? いい加減にして

>恋歌:冗談でも言っていいことと悪いことあるよ

>agjtm:お前それ一線越えてるわ

 正論が並ぶ。

 誰もが“正しい側”に立とうとする。

 ――その中で。

 麻婆豆腐は、鼻で笑った。

>麻婆豆腐:は? でもさ

>麻婆豆腐:正直さぁ

>麻婆豆腐:ユキも悪くね?wwww

 一瞬、時が止まった。

>みっふぃ:……は?

>恋歌:ちょっと……

 だが、麻婆豆腐は止まらない。

 考えなしだからこそ、踏み込める。

>麻婆豆腐:いつもさ

>麻婆豆腐:はっきり主張しないじゃん

>麻婆豆腐:どっちつかずでフラフラしてさwwww

 画面に並んだ文字が、ナイフみたいに刺さる。

>麻婆豆腐:嫌なら嫌って言えばいいのに

>麻婆豆腐:何も言わないから

>麻婆豆腐:みんな勘違いすんじゃん?ww

 全チャが、凍りついた。

>みっふぃ:……やめて

>恋歌:それは違う

>agjtm:お前ちょっと黙れ

 必死に止める声。

 でも。

 もう遅かった。

 ユキの胸の奥に、言葉が落ちていた。

(……あ……)

 心臓の奥が、ぎゅっと縮む。

(……それ……)

 否定できない。

 全部、図星だった。

 嫌なことは嫌と言えない。

 離れたい時も、笑ってやり過ごす。

 期待されると、応えてしまう。

 縛られても、「大丈夫」と言ってしまう。

 ――自分が、悪い。

(……私が……)

 喉の奥が、ひりつく。

(……中途半端だから……)

 誰も悪者にしたくなくて。

 誰も傷つけたくなくて。

 結果、全部引き受けてきた。

 それが。

 今、全部、裏目に出ている。

 ユキは、無意識に指を握りしめていた。

 ナカジマは、それを見ていた。

 ユキの表情が、ほんの一瞬だけ歪んだのを。

(……入った)

 心の奥に、確実に刺さった。

 傷は、もう開いている。

 あとは、崩れるだけだ。

 そしてモユルが、反射で殴り返す。ここも狙い通り。彼女は“正義”の顔をして怒るから、余計に悪役っぽく見える。

>モユル:ふざけんな

>モユル:ユキ守って何が悪いの?

 ナカジマは、胸の奥で拍手した。

(守る、ね)

 その言葉は便利だ。縛っていても、守っていると言えば正当化できる。本人は本気でそう思ってるから、なお救えない。

 さらにagjtmが、決定打を打つ。

>agjtm:じゃあなんで隠すんだよ

>agjtm:全部オープンにしろよ

 モユルは答えられない。答えられないから、黙る。黙るから、悪役が完成する。こういうの、マジで簡単だ。人間関係はいつも薄い氷の上にある。

 その夜。全チャは完全にモユル包囲網になった。擁護がない。味方がいない。遠巻きの視線だけが増える。

 ユキは、何も言わない。

 何も言わないから、周囲は勝手にユキを“救われる側”にする。

 モユルはますます管理を強めた。怖いから。奪われるのが。自分だけが特別じゃなくなるのが。

 ナカジマは、それを見て笑う。

(――これでいい)

 ここまで来れば、次に壊れるのはモユルじゃない。

 ユキだ。

 ユキの“優しさ”が、折れる瞬間が来る。

 その時、ナカジマはユキの隣にいる。

 誰よりも近くで、誰よりも卑怯に、手を伸ばす。

 彼は自分に言い聞かせた。

(俺は、ユキが嫌いだ)

 嫌いだから、欲しい。

 嫌いだから、離せない。

 ――嫌いだから、崩れる瞬間を見届けたい。

 セーフティゾーンの空気が、じわじわと腐っていく中で。ナカジマだけが、静かに、確信していた。

 包囲網は“完成”した。

 あとは、中心が爆ぜるだけだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ