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環境変化

セーフティゾーンの空気は、はっきりと変わった。

誰かが声を上げたわけでも、ルールが変わったわけでもない。

ただ、気づけば――そうなっていた。


中央のベンチ。

そこに、ユキはいつも通り腰を下ろしている。

涼しげな表情で。

まるで今までの事なんて何もなかったかのように。

けれど、ユキが歩けば、人の流れが自然と割れる。

誰かが進路に立てば、慌てて避ける。

目だけは向ける。何度も、伺うように。

それでも――誰も、気軽には声をかけられなくなっていた。

まるで、近づいてはいけない存在のように。

完全に、立場は逆転していた。

かつての「囲われる側」ではない。

今のユキは、無意識のうちに“場を支配する側”になっていた。

そして。

その状況は、ユキにとって――ひどく楽だった。

干渉されない。縛られない。探られない。

ただ、そこにいるだけでいい。


(……静かで、いいな)


心の奥で、そう思う。

もちろん、変わったのはユキだけじゃない。周囲の人間も、確実に変わっていた。


「……ユ、ユキ」


遠慮がちに声をかけてきたのは、モユルだった。

視線を泳がせながら、小さな袋を差し出す。


「き、今日…狩りで、レア素材、手に入って……」 「よかったら…」


完全に、下手に出ている。

あの一件以来。 モユルは、異様なほどユキの機嫌に敏感になった。

もう、昔のように囲えない。 管理できない。 縛れない。

そんなことをすれば―― 二度と、こちらを見てもらえなくなる。

それが、分かっている。

だから、貢ぐ。 与える。 尽くす。

課金限定アイテム。 高難度素材。 希少装備。

できることは、全部やる。

惨めだと分かっていても、やめられない。


(……今さら、惜しんでも意味ないし)


もともと、ユキには散々貢いできた。 今さらだ。


「いいの? ありがと」


ユキは、淡々と受け取る。声も、表情も、変わらない。どう見ても、塩対応に近い。

けれど、今のモユルにとっては、それで十分だった。

――口を聞いてもらえた。

それだけで、救われる。


「うん……よかった」


小さく微笑んで、モユルは下がった。

周囲の視線が、それを追う。

モユルに対する同情もあれば、完全に逆転した立場に対する興味。上位ランカーからの貢物を貰える立場に対する嫉妬。

いろんな感情が、混ざった視線があった。

そして。

変わったのは、モユルだけじゃない。


もう一人、確実に様子がおかしくなった人間がいた。

――ナカジマだ。

以前の彼は、もっと距離を保っていた。

踏み込みすぎない。目立たない。必要以上に近づかない。

そうやって、ずっと自分を抑えていた。

……はずだった。

でも最近は、違う。今まで必死で取り繕ってきた仮面がいとも簡単に剥がされたせいか。

視線を隠さない。

ユキが動けば、目で追う。

ユキが誰かと話せば、じっと見る。

ユキが笑えば、ほんの一瞬、表情が崩れる。

全部、隠さない。

隠す気がない。


「……ユキ」


気づけば、すぐ近くにいる。

距離が、近い。


「……今日さ」


ナカジマが、何でもないみたいに口を開いた。


「なんで、寝れなかったの?」

「……は?」


一拍。


「……二時四十七分」

「その時間に、一回起きたでしょ」


ユキの肩が、ぴくりと跳ねる。


「……で」

「そこから、ずっと起きてた」


淡々と。

確信に満ちた声。


「……は? なんで分かるの」


思わず、強めに言う。

ナカジマは、少しだけ視線を伏せてから答えた。


「……分かるよ」

「ユキの部屋」

「ずっと、明かり漏れてたから」

「カーテンの隙間から」

「……朝まで」


一瞬。

頭が、真っ白になる。

――見てた?

ずっと?

外から?


「…………」


背中に、冷たいものが走る。

ゾッとした。


「……気持ち悪い」


思わず、吐き捨てる。

ナカジマは、少し困ったみたいに笑った。


「……うん」

「そうだと思う」


否定しない。


「でもさ」


小さく、息を吐いて。


「……消えそうな顔、してたから」


低く、静かな声。

言い訳でも、弁解でもない。 ただの事実みたいに。


「心配になった」 「……目、離せなかった」


淡々と。

まるで、 “そうするしかなかった”みたいに。


「……見てない方が、無理だった」


さらっと言う。 何の照れもなく。 何の迷いもなく。

周囲の視線も、空気も、全部無視して。

――異常者以外の何者でもない。


「……気持ち悪……」


ユキが小さく呟くと、 ナカジマは一瞬だけ瞬きをして。


「うん」


即答。

否定しない。 取り繕わない。


「キモいと思う」 「でも……やめられない」


静かに、一歩近づく。


「ユキが分からなくなる方が、怖いから」


その目は、逸らされない。 逃がさない。 逃がす気がない。

そして。


「……好きだから」


ぽつりと。

まるで、 「寒いね」とか、 「お腹すいたね」みたいな。

日常会話の延長みたいに。

当然の前提みたいに。

そう言った。

ユキは、言葉を失う。


(……あ)


ついにきた。

でも、思っていたよりずっと――静かだった。

重くて。 湿っていて。 逃げ場がなくて。


「……今さら?」


小さく、そう返すと。

ナカジマは、少しだけ笑った。


「……今さらだよ」

「でも、隠すのやめた」

「もう無理」


その声は、震えていない。

泣いてもいない。

取り乱してもいない。

ただ。

覚悟があった。


「……離れろって、言われても」


ナカジマは、視線を伏せたまま、小さく言った。


「……離れないから」


淡々と。 まるで、当たり前の事実を述べるみたいに。

ユキは、眉をひそめる。


「……は?」

「嫌われても……」


ナカジマは、ゆっくり顔を上げた。

その目は、静かで。 穏やかで。 ――異様なほど、揺れていなかった。


「……そばにいる」


迷いも。 躊躇も。 一切ない。

ただ、“決めている”だけの目。

ユキは、内心で舌打ちした。

普通じゃない。

ここまで拒絶されて。 ここまで突き放されて。

それでも離れないなんて。

重い。 怖い。 正直、気持ち悪い。

なのに。

本人は、まるで自覚がない。

泣き叫ぶわけでもない。 怒るわけでもない。 縋りつくわけでもない。

ただ、そこに居続ける。

静かに。 誠実に。 異常なほど、真っ直ぐに。


(こいつ、無理)


「……お前さ」


ユキは、低く言った。


「キモい」


はっきり。 一切、容赦なく。

ナカジマは、一瞬だけ瞬きをして。


「……うん」


それだけ。

言い訳もしない。 否定もしない。 取り繕いもしない。

まるで―― 最初から、そう言われる前提だったみたいに。

それが、異様だった。


(……なに、こいつ……)


怒らない。 傷つかない。 取り乱さない。

感情の揺れが、どこにもない。

あるのは、 “受け入れている”という事実だけ。


(……普通、ここで折れるでしょ……)


拒絶されたら、距離を取る。 嫌われたら、引く。

それが普通だ。

なのに。

この男は、違う。

拒絶も。 嫌悪も。 全部、飲み込んで。

そのまま、そこに居続ける。

静かに。 無言で。 逃げ場を潰すみたいに。


(……気持ち悪い……)


背中に、ぞわっと寒気が走る。

水と油みたいに。 混ざるはずのない感情が。

無理やり溶かされて。 歪んだ形で固まってしまったみたいな人間。

異常なのに、冷静で。 執着しているのに、騒がなくて。 狂っているのに、理性だけ残っている。

――最悪のタイプ。

ユキは、無意識に一歩引いた。

距離を取る。 反射的に。

本能が、告げていた。


(……これ、関わったらダメなやつだ)


目を逸らす。

これ以上、見たくない。 視界に入れたくない。


(……ほんと……最悪……)

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