逃げ場なしの、依存地獄
最近、ユキは眠るのが下手になっていた。
目を閉じても、意識が沈まない。セーフティゾーンの簡素な寝台に横たわっても、頭の中では常に通知音が鳴り続けているような錯覚に囚われる。
――ピロン。
実際には、何も鳴っていない。
それでも、胸がひくりと跳ねる。
誰かからの個別チャットかもしれない。モユルかもしれない。ナカジマかもしれない。Laylaかもしれない。みっふぃかもしれない。あるいは、誰でもないかもしれない。
だが、その「かもしれない」が、ユキの神経をじわじわと削っていった。
「……はぁ……」
小さく息を吐く。
最近、自分がため息ばかりついていることに気づいていた。
疲れている自覚はある。
けれど、何に疲れているのかが分からない。
戦闘は問題ない。装備も揃っている。ランキングも安定している。異世界生活にも、ある程度は慣れてきた。
なのに。
心だけが、ずっと重たい。
原因は、はっきりしていた。
――人間関係だ。
まず、モユル。
彼女は、ユキの「チャット管理」を公言して以来、さらに距離を詰めてきた。
『ユキ、誰と話してたの?』
『さっきの全チャ、誰?』
『知らない人と個チャしないでって言ったよね』
責めるような文面ではない。
あくまで、優しく。静かに。淡々と。
だが、その分だけ、逃げ道がない。
説明すれば納得する。納得するまで聞いてくる。
納得しなければ、何度でも聞いてくる。
まるで、管理されているようだった。
(……悪い人じゃないんだけど……)
ユキは何度も、そう自分に言い聞かせた。
モユルは親切だ。頼りになる。優しい。助けてくれる。
だから、文句を言う資格なんてない。
そう思っていた。
次に、ナカジマ。
一度は「距離を置く」と宣言したはずの男。
しかし、翌日には――。
『……ユキ、少しだけ話せる?』
個別チャットが届く。
最初は、短いやり取りだった。
『あそこの狩場、効率悪くね?』
『まあな。考えとく』
ごく普通のやりとり。
それだけなら、まだ良かった。
だが、徐々に内容は変わっていった。
『モユルと、最近よく組んでるよね』
『あの人、正直きつくない?』
『俺なら、もっと楽にさせてあげられるのに』
そして、決定的だったのは。
『他の女と話す必要、ある?』
その一文だった。
読んだ瞬間、ユキの指が止まった。
(……え……?)
冗談なのか、本気なのか、分からない。
分からないから、曖昧に返した。
『そんなつもりじゃないよ』
『みんな仲間だから』
すると、すぐに返事が来た。
『……そうやって、誰にでも優しいのが嫌なんだよ』
責めるでもなく、怒るでもなく。
ただ、重たい。
鎖のように絡みつく言葉。
ナカジマは、無意識にユキを縛っていた。
自分でも気づかないまま。
さらに、Layla。
最近、彼女の依存は加速していた。
『ユキしか信じられない……』
『また不安になってきた……』
『今日は一緒にいてほしい』
断ると、落ち込む。
応じると、さらに求める。
終わりがない。
そして、みっふぃ。
彼女は表向き、いつも通りだった。
明るく、甘え、軽やかに振る舞う。
『ユキ〜♡今日なにしてるの?』
何も変わっていないように見える。
だが、内心では違った。
――このままじゃ、勝てない。
みっふぃは気づいていた。
モユルの支配。
ナカジマの執着。
Laylaの依存。
このままでは、ユキは壊れる。
そして、壊れたら。
誰のものにもならない。
(……それは、困るんだよねぇ)
みっふぃは、にこやかな顔の裏で、計算を始めていた。
誰を切るか。
誰と組むか。
いつ動くか。
裏切りは、静かに準備されていた。
一方、ユキは。
そのすべてに気づきながら、気づかないふりをしていた。
誰も悪くない。
誰も傷つけたくない。
だから、我慢する。
だから、合わせる。
だから、断らない。
結果。
ユキは、逃げ場を失っていった。
ある夜。
ナカジマから、長文の個チャが届いた。
『……正直に言うとさ』 『俺、最近ずっと苦しい』 『ユキが誰と話してるか考えるだけで眠れない』 『こんなの、おかしいって分かってる』 『でも、止められない』
画面を見つめながら、ユキは動けなかった。
(……重い……)
そう思ってしまった自分に、罪悪感が湧く。
心配してくれているだけ。
頼ってくれているだけ。
なのに、重いと思うなんて。
最低だ。
指が震えながら、返事を打つ。
『……そんなに思ってくれてるのは、ありがとう』 『でも、無理しないで』
送信。
すぐに、既読。
数秒後。
『無理しないと、失うだろ』
短い一文。
だが、それは脅しにも似ていた。
その頃。
みっふぃは、モユルと個チャしていた。
『最近さ〜ユキ元気なくない?』
『ちょっと心配なんだけど』
探り。
ジャブ。
布石。
モユルは淡々と返す。
『私が管理してるから大丈夫』
その言葉に、みっふぃは内心で笑った。
(……あー、終わってるわ)
管理。
その言葉が、すべてを物語っていた。
ユキは、その夜。
久しぶりに、泣いた。
声を殺して。
誰にも見えない場所で。
(……帰りたい……)
どこへ?
分からない。
ただ、この場所から。
この関係から。
逃げたかった。
だが。
逃げ道は、もう塞がれていた。
優しさという名の鎖で。
好意という名の檻で。
執着という名の壁で。
囲われた場所に、出口はない。
その事実に、ユキだけが、まだ気づいていなかった。




