盤面を整える
みっふぃは、自分のことを“悪い人間”だと思ったことがない。
少なくとも、これまでは。
誰かを殴ったこともない。怒鳴ったこともない。誰かの悪口を大声で言ったこともない。むしろ、いつも笑っている。愛想がいい。空気も読む。相談に乗る。共感もする。
だから。
自分が、誰かの人生を少しずつ歪ませているなんて、考えたこともなかった。
――最近までは。
セーフティゾーンの端にあるベンチに腰掛けながら、みっふぃは視界の端でユキの姿を追っていた。
少し離れた場所で、Laylaと話している。
距離は近すぎない。けれど、遠くもない。絶妙な間合い。
(……うん、いい感じ)
みっふぃは、満足そうに口角を上げた。
自分は、あそこに行かない。
行かないからこそ、意味がある。
直接行けば、モユルに睨まれる。ナカジマに警戒される。みっふぃは、もう“前線”に立つ女じゃない。
参謀だ。
盤面を見る側。
動かす側。
(Layla、ちゃんと頑張ってるなぁ)
あの子は素直だ。言われた通りに動く。考えない。疑わない。依存気質。扱いやすい。最高の駒。
みっふぃは、数日前の会話を思い出していた。
『Laylaちゃん、最近ユキと話してる?』 『……うん……』 『そっか♡ 無理させないであげてね?』 『……する……』
そのときのLaylaの目は、完全に“信者”だった。
誰かに正解を与えられることに、安心している顔。
(ああいう子ってさ……)
みっふぃは、内心でため息をついた。
(“自分で選ぶ”のが怖いんだよね)
だから、誰かの言葉にすがる。
そして、その誰かがいなくなったら、壊れる。
今は、みっふぃだ。
みっふぃが“拠り所”。
悪くない。
むしろ、都合がいい。
ユキの様子を見る。
相変わらずだ。
困ったように笑って、真面目に話を聞いて、相手を否定しない。
(……ほんと、罪な男)
みっふぃは、初めてユキと話した日のことを思い出す。
特別なことはなかった。
ただ、普通に優しかった。
普通に話を聞いてくれた。
普通に「ありがとう」って言った。
それだけ。
それだけなのに。
女は、落ちる。
簡単に。
みっふぃだって、そうだった。
最初は、なんとなく。
気づいたら、意識して。
気づいたら、周りを見て。
気づいたら、他の女を敵視して。
(……あーあ)
みっふぃは、心の中で苦笑した。
(私も、同類じゃん)
でも、違う。
私は、自覚してる。
そこが違う。
みっふぃは、スマホも使えなくて、チャットもないこの世界で、“情報”を集め続けていた。
誰が誰と組んだか。 誰が誰に話しかけたか。 誰が誰を避けたか。 誰が誰を見ていたか。
全部、覚えている。
無意識に。
才能だった。
ナカジマの視線も、気づいている。
最近、あいつはユキを見ない。
正確には、“見ないふり”をしている。
嫌いなくせに、気になる男の典型。
(あー……めんどくさ)
麻婆豆腐は論外。
感情が全部チャットに出るタイプ。制御不能。ノイズ。
モユルだけが、別格だ。
あの女は、怖い。
表に出さない。
笑わない。
泣かない。
騒がない。
でも、全部見てる。
(……あの人にだけは、バレたくないんだよなぁ)
だからこそ。
みっふぃは、前に出ない。
Laylaを前に出す。
自分は後ろで微笑む。
そして、必要な情報だけ吸う。
最近もそうだった。
『ユキ、最近ちょっと疲れてるみたい』 『……え……』 『夜、あんまり寝れてないって』 『……そうなんだ……』
Laylaは、素直に教える。
みっふぃに。
全部。
(ありがと♡)
心の中で礼を言う。
その情報は、すぐ使う。
次にユキと会ったとき。
「最近、ちゃんと寝てる? 無理してない?」
そう聞くだけで、ユキは驚く。
「……え、なんで分かったんですか?」
「なんとなく♡」
これでいい。
“理解者ポジ”完成。
この繰り返し。
積み重ね。
信頼。
依存。
囲い込み。
その日の夜。
みっふぃは、Laylaから個チャを受け取った。
『……みっふぃさん……』 『どうしたの?♡』 『ユキ……今日……他の人と組んでた……』 『……そっか』
一瞬だけ、胸がざわつく。
でも、すぐ冷える。
(あ、これ使える)
『大丈夫だよ』 『ユキ、誰にでも優しいだけ』 『Laylaちゃんが一番相談されてるんだから♡』
嘘だ。
一番じゃない。
でも、信じさせればいい。
Laylaは、すぐ返す。
『……ほんと……?』 『ほんと♡』
みっふぃは、画面のない空間で、にっこり笑った。
嘘は、優しく包めば真実になる。
しばらくして、ユキがこちらに近づいてくる。
「……みっふぃさん」
「なに?♡」
「Laylaさん、大丈夫ですか……?」
きた。
情報は、もう回っている。
「え? どうしたの?」
「なんか……元気なくて……」
みっふぃは、困ったように眉を下げた。
演技は完璧だ。
「そっか……あの子、ちょっと繊細だからね」 「ユキが優しくしてあげて?」
ユキは、真面目に頷く。
「……はい」
(……ほんと、操りやす……)
みっふぃは、内心で呟いた。
そして、少しだけ罪悪感が湧く。
少しだけ。
でも、すぐ消える。
(だって、私だって必死だもん)
生き残るために。
選ばれるために。
捨てられないために。
女は、戦う。
笑顔で。
裏で。
静かに。
遠くで、モユルがこちらを見ていた。
視線が合う。
一瞬。
みっふぃは、にこっと笑った。
モユルは、何も言わず、目を逸らした。
(……気づいてるよねぇ)
でも。
まだ、動かない。
だから。
まだ、私の勝ち。
みっふぃは、深く息を吸った。
盤面は、整った。
駒も揃った。
あとは――
崩すだけ。




