二度と手離したくない【モユル昔語り】
本編は21時更新です。
モユルには、ずっと忘れられない存在がいる。
名前も知らない。
連絡先も知らない。
今どこにいるのかも分からない。
ただ――
夕焼けの公園に、いつも一人で座っていた少女。
それだけだ。
―――
あの頃、モユルは高校生だった。
部活帰り。
寄り道の途中。
毎日通る、公園のベンチ。
そこに、いつも同じ時間にいる子がいた。
小学生くらいの、小さな女の子。
ブランコにも乗らず、
遊具にも触れず、
ただ、空を見ている。
「……また、いる」
最初は、それだけだった。
でも、何日も続くうちに、気になって仕方なくなった。
ある日、思い切って声をかけた。
「……ねえ」
少女は、ゆっくり振り返った。
その瞬間、モユルは言葉を失った。
やけに整った顔。
大きな瞳。
透き通るような肌。
――異様に可愛い。
(……なに、この子)
同年代でも、ここまで整った子はいない。
不思議なくらい、目を引いた。
「……なに?」
小さな声。
「いつも……一人だけど」
「うん」
短い返事。
「さみしくないの?」
「……べつに」
即答。
でも、その目は少しだけ揺れていた。
強がっている。
すぐ分かった。
―――
それから、二人はよく話すようになった。
学校の話。
給食の話。
テレビの話。
他愛ない会話。
でも、モユルにとっては、大事な時間だった。
少女は、自分のことをあまり話さない。
家の話になると、決まって曖昧になる。
「今日も、お母さん遅いの?」
「うん」
「……夜まで?」
「たぶん」
それ以上、言わない。
慣れているみたいに。
それが、苦しかった。
(……この子、ずっと一人なんだ)
そう思ったある日。
モユルは、つい、口にしてしまった。
「……さ」
「ん?」
「……今日さ」
少し、間を置いて。
「……うち、来る?」
自分でも驚いた。
何を言ってるんだ、と。
でも、引っ込められなかった。
「……親、いないし」
「ごはんもあるし」
「……遅いなら、泊まってもいいし」
しどろもどろ。
完全に挙動不審。
少女は、きょとんとした顔で見ていた。
「……いいの?」
「え?」
「……迷惑じゃない?」
不安そうな声。
それが、胸に刺さった。
「迷惑なわけないでしょ」
即答だった。
「全然」
「むしろ……」
少し照れながら。
「……来てくれたら、嬉しい」
少女は、しばらく黙っていた。
そして。
小さく、笑った。
「……じゃあ、行く」
その笑顔が、あまりにも可愛くて。
モユルの心臓は、変な音を立てた。
―――
その日。
少女は、初めて人の家で夕飯を食べた。
テレビを見て。
風呂に入って。
布団で寝た。
当たり前のこと。
でも、少女はずっと嬉しそうだった。
「……なんか、楽しい」
ぽつりと呟いた言葉。
モユルは、忘れられない。
(……守りたい)
はっきり、そう思った。
ある日。
少女は、ぽつりと言った。
「……来月、引っ越すの」
「……は?」
「……遠く」
淡々と。
まるで他人事みたいに。
モユルは混乱した。
そんな大事なことを、そんな軽く?
「……なんで?」
「……わかんない」
視線を逸らす少女。
その姿が、今でも忘れられない。
―――
最後の日。
夕焼けの公園。
「……今まで、ありがとう」
それだけ言って。
少女は去っていった。
泣きもしない。 振り返りもしない。
あまりにも静かに。
まるで、最初から“いなかった”みたいに。
―――
それ以来。
モユルは、その少女に会っていない。
探そうにも、情報が何もなかった。
名前も。 住所も。 苗字すら知らない。
ただ、記憶だけが残った。
「……もう、失いたくない」
それが、彼女の中に根付いた。
誰かを縛る理由。 手放せない理由。 執着してしまう理由。
全部。
あの、名前も知らない少女のせいだった。
―――
そして、今。
モユルは、ユキを見るたびに思う。
(……似てる)
雰囲気。 目の色。 距離感。
全部、あの子に似ている。
でも。
まさか同一人物だなんて、思わない。
思えるはずがない。
あれは、遠い過去の幻だ。
今目の前にいるのは、別の人間だ。
……そう、思い込んでいる。
(……なのに)
どうして、こんなに怖いんだろう。
どうして、手放したくないんだろう。
どうして、失うことを想像するだけで、息が詰まるんだろう。
答えは、もう分かっている。
でも、気づかないふりをしている。
あの夕焼けの少女を。
まだ、心の奥で抱えたままだということに。




