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Laylaの居場所

セーフティゾーンの一角に、小さな噴水があった。

白い石で囲われた円形の広場。転移直後から、自然と人が集まりはじめている場所で、いまでは簡易拠点みたいな顔をしている。パーティ募集も、情報交換も、ここが中心だ。

ユキは噴水の縁に腰を下ろし、水面を見つめていた。

異世界に来て、数日。

最低限の仕様は理解した。狩場は開放された。危険と安全の境界も、少しずつ身体が覚えはじめている。

それでも、受け止めきれていない。

帰れないかもしれない。

ログアウトできない。

身体は男のまま。

考え始めたら、呼吸が浅くなる。

だから、見つめるのは水面だけ。

そこに「意味」を持たせないために。自分の頭の中を、できるだけ空にしておくために。

――その時。

「……ユキ……くん……?」

背後から、か細い声。

振り返ると、小柄な少女が立っていた。

黒を基調としたフリルの多い服。首元のレース。左右で柄の違う靴下。現実でもそのまま貫いたようなゴスロリ風の装い。淡い銀色の髪が肩に落ち、青白い頬がやけに目につく。

頭上に浮かぶ名前。

《Layla Rank10》

「……Laylaさん」

呼んだだけで、彼女はほっとしたように息を吐いた。

それが、過剰に見えた。覚えていたという事実だけで崩れそうな顔。

「……よかった……覚えてて……」

「もちろん。人数多いけど、さすがに全員忘れませんよ」

ユキは、無難に返した。

癖だ。波風を立てない。深く踏み込まない。相手の欲しい言葉だけ、薄く渡す。

Laylaは、その言葉の“温度”を、自分の都合のいいように受け取った。

「……うん……」

彼女はユキの隣に、そっと腰を下ろす。

距離が、近い。

肩が触れそうで触れない。触れたら、言い訳が効く距離。

ユキは反射的に、ほんの数センチだけ身体を引いた。

けれど、その動きは“拒絶”にしては弱すぎた。

Laylaは気づかないふりをする。

そのふりが、すでに上手い。

「……ね……ユキくん……」

「はい?」

「……一人で……大丈夫……?」

問いは曖昧で、答えは誘導されていた。

“私と一緒じゃないと危ないよね”という方向へ、相手を運びたい質問。

ユキは、その誘導に乗らない程度に、でも冷たく切らない程度に返す。

「不安はありますけど……みんな一緒ですし」

正解。

優しく、距離があり、否定も肯定もしない。

Laylaの瞳が、わずかに揺れた。

欲しかった言葉ではない。けれど、切られたわけでもない。

「……そっか……」

小さく呟いて、視線を落とす。

「……ユキくんは……強いね……」

「いや……そんな……」

「……私……弱いから……」

そこで、息を吸う音が聞こえた。

言い出す前のためらい。けれど止まらない予感。

「……ずっと……一人だったから……」

ユキの胸の奥が、僅かに固くなる。

ああ、来た。そういう話。

「……中学の時……ずっと……いじめられてて……」

言葉は静かで、淡々としている。

だから余計に重い。軽く受け流せない重さ。

「……友達も……いなくて……外も……怖くて……」

「……それで……ゲーム始めて……」

「……ここだけ……居場所だった……」

ユキは、相槌を打つしかない。

ここで遮ったら“悪”になる。拒絶として刻まれる。

ユキは悪者になりたくない。いや、正確には、悪者になった瞬間に生まれる「面倒」を避けたいだけだ。

「……そうだったんですね」

穏やかに返した。

その返答が、Laylaの中で“許可”に変換される。

「……前の……旦那さんも……」

結婚システムの話。

ゲーム内パートナーを、現実の言葉で呼ぶ。

「……私が……重すぎて……逃げちゃった……」

ユキは心の中で、警報を鳴らした。

(……これ、触れたらダメなやつだ)

――重さを自覚している人間は、重さを“武器”にもできる。

そして、ここは逃げ場の少ない世界だ。

「……でも……」

Laylaが顔を上げた。

潤んだ瞳。

焦点が合っているのに、どこか現実から半歩ずれた目。

「……ユキくんは……優しい……」

「……ちゃんと……話……聞いてくれる……」

“ちゃんと”なんて、していない。

ただ、切っていないだけだ。

けれどLaylaには、それが救いだった。救いという形をした、鎖だった。

「……だから……」

少しの間。

「……好きに……なっちゃった……かも……」

ユキの背中に、冷たいものが走る。

「……えっと」

言葉を選ぶ。

拒絶の形を、できるだけ丸くする。

角を落として、相手の傷口を広げないように。

「……僕、誰かと付き合うとか、そういうの考えてなくて……」

“いまは”も、“まだ”も付けない。

期待の余白を残さないために。

それでもLaylaは、崩れなかった。

むしろ、安堵するみたいに微笑んだ。

「……そっか……」

「……じゃあ……今は……まだ……だね……」

その言葉が、すでに怖い。

「……待つ……」

“待つ”は、優しい単語の顔をしている。

でも、その裏には決意がある。執着がある。

「……ずっと……待つ……」

ユキは、笑うこともできず、曖昧に頷きかけてしまった。

それが致命的に優しい。優しいというより、逃げだ。

(……俺が悪いのか)

(いや、違う)

(でも、こういうの……いつも)

胸の奥が、じわりと痛む。

現実で“女”だった頃の記憶が、形を変えて指先に絡む。

優しくするたび、相手の中で物語が膨らみ、断るたび、逆恨みが生まれる。

だから――男になったはずなのに。

同じことが起きている。

同じ匂いがする。

その時。

「おーい、ユキー♡」

明るい声が飛んできた。

みっふぃだ。派手に手を振りながら近づいてくる。

「なにしてんの? 二人で密会?♡」

「……違います」

ユキが即答した瞬間、みっふぃはLaylaを見て、ほんの一瞬だけ目を細めた。

「Laylaちゃん? どうしたの?」

声は甘い。

目は甘くない。

Laylaは、ユキの腕にそっと触れた。

指先が絡むほどの、弱い接触。弱いのに、明確な所有のサイン。

みっふぃの笑顔が、刃みたいに薄くなる。

「あは♡ そっかぁ♡」

「でもねぇ、ユキ。今からパーティ入るんだよね? ね?」

“ね?”が拒否を許さない。

ユキは流れに乗った。

逃げ道だった。

そしてその逃げ方が、また誰かを壊す。

「……あ、はい……」

Laylaは、小さく呟いた。

「……そっか……」

その声はほとんど聞こえないのに、目だけは離れない。

ユキの背中を、噴水の水面みたいに静かに追う。

少し離れた場所で、ナカジマがその様子を見ていた。

表情は変わらない。

ただ、視線だけが不自然に落ち着いている。

――まるで、こうなることを知っていたみたいに。

この日、誰も気づかなかった。

Laylaという少女が、

「ユキ」という名の居場所を、もう“外側から”眺める気がなくなったことに。

そしてユキが、

優しさを盾にして逃げる癖を、また繰り返してしまったことに。

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