「ログインできない朝」
Ts男⇒女はよく見るけど、女⇒男はあんまり見ないんで書いてみます。和気藹々ハーレムはありません。 なろうでよく見る女性陣の物分りがよく仲良しな円満ハーレムに対するアンチテーゼで書いてます。
数時間前。
ユキは、いつものようにベッドの上でスマホを握っていた。
カーテンは閉め切られ、部屋は薄暗い。
昼なのか夜なのかも、もう分からない。
時計を見る気力を手放してから、かなりの時間が経っている。
外の世界は、彼女にとって
「音がうるさくて、距離が近くて、勝手に心を踏み荒らしてくる場所」だった。
吐く息が白くなるわけでもないのに、胸の奥だけが冷えている。
ため息をつくたび、少しだけ軽くなる気がして、すぐに元に戻る。
ユキは、本来なら大学生だった。
けれど生活は、高校を卒業した頃から、ほとんど変わっていない。
起きる。
食べる。
スマホを見る。
眠る。
たまに、泣く。
それだけの毎日だった。
原因は分かっている。
分かっているからこそ、考えたくなかった。
高校時代。
ユキは、ストーカー被害に遭った。
拒絶しても。
逃げても。
終わらなかった。
「好きだ」
「運命だ」
「君は俺のものだ」
独りよがりな言葉。
一方的な接触。
勝手に作られる物語。
それらは今も、記憶の底にこびりついている。
あれ以来、男が怖くなった。
人が怖くなった。
外に出ることも、誰かと話すことも、ひどく疲れるようになった。
ユキは、
“女でいること”が怖かった。
優しくすれば期待される。
拒めば逆恨みされる。
笑えば誤解される。
黙れば責められる。
何をしても、他人の都合で解釈される。
だから、閉じこもった。
カーテンを閉めて。
世界から距離を取って。
逃げ場所を探して、たどり着いたのが、オンラインゲームだった。
《Eternal Frontier Online》。
国内最大級のMMORPG。
ユキが三年以上遊び続けている世界。
そこでは、彼女は“男”だった。
名前は《ユキ》。
無口で。
穏やかで。
踏み込みすぎない存在。
誰にも期待されない。
誰にも意味を与えられない。
――そう、思っていた。
「……今日も、入るか」
小さく呟き、アプリを起動する。
だが。
表示されたのは、見慣れたログイン画面ではなかった。
真っ白な空間。
ほとんど存在しないUI。
違和感を覚えた瞬間、視界が歪む。
スマホが落ちる。
体が沈む。
呼吸が詰まる。
次の瞬間、意識は途切れた。
――――――
目を開けると、ユキは石造りの部屋にいた。
高い天井。
白い壁。
中央の水晶装置。
ゲームの初心者エリアと、酷似している。
「……夢……?」
そう呟いた声は、低かった。
知らない声だった。
視界が高い。
腕が長い。
指が大きい。
金属板に映ったのは、見知らぬ青年。
だが、その顔は。
――確かに、ユキ自身だった。
やがて、背後でざわめきが起きた。
「え、なにここ……?」 「顔……現実のままじゃん……」 「ログアウトできないんだけど……!」
振り返ると、次々と人影が現れていた。
全員、現実の姿のまま。
頭上には、プレイヤーネームとランキングが浮かんでいる。
――同じサーバーのプレイヤーたちだった。
チャットでしか知らなかった人間たちが、現実の姿で集められている。
悪い冗談のような光景。
そのざわめきの中で、ひそひそとした声が聞こえた。
「……ねえ、あれ……」 「もしかして……ユキじゃない?」
視線が集まる。
「うそ……まじ?」 「雰囲気、そのまんまだな」 「声もそうだったよね……」
空気が揺れる。
ユキは、無意識に呼吸を止めた。
まただ。
何もしていないのに。
勝手に話題にされて。
勝手に意味を与えられる。
胸の奥が、冷える。
そこへ。
ユキは、視線の中に“異質な目”が混じっていることに気づいた。
興味でもない。
好奇心でもない。
観察でもない。
もっと重くて。
もっと静かで。
もっと逃がさない目。
反射的に視線をずらす。
そして――合った。
ナカジマだった。
チャット越しでは、穏やかで無難な男。
現実の姿も、それに近い。
だが、今は違う。
口元だけが、笑っている。
目だけが、動かない。
ユキを、まっすぐに捉えて離さない。
胸の奥が、ざわつく。
まるで、「見つけた」と言われたような感覚。
「とりあえず、自己紹介続けよう」
誰かの声で、流れが再開される。
「俺、agjtm。戦力2位。よろしくな」
軽い調子。
整った顔。
余裕の笑み。
慣れた視線。
――値踏み。
「3位の社畜です」 「4位、恋歌です」 「5位、麻婆豆腐www」
場が少し緩む。
「6位、ナカジマです。ユキくん、いつもすごいよね」
にこやかな声。
だが、笑顔は綺麗すぎて、どこか不自然だった。
ユキは、反射的に会釈する。
したくなかった。
けれど、体が先に動いた。
昔からの癖だった。
波風を立てないための動作。
「10位、Layla……よろしく……」 「13位、みっふぃだよ♡」
それぞれが名乗る。
そして――
「……関ヶ原モユルです。1位」
その名が落ちた瞬間、空気が変わった。
静まる。
視線が集まる。
モユルは、何度もユキの方を見る。
まるで、最初から分かっていたかのように。
「……9位の人、どうぞ」
呼ばれる。
ユキは、ゆっくりと前に出た。
視線が集中する。
「……9位、ユキです」
声は落ち着いていた。
慣れだ。
怖さに慣れただけの落ち着き。
「……パーティ向きです。よろしくお願いします」
頭を下げる。
沈黙。
すぐに、ひそひそ声が戻る。
「やっぱユキか……」 「イケメンすぎだろ……」
ユキは俯いた。
目立ちたくない。
ただ、静かにいたいだけなのに。
――逃げ場はない。
やがて、頭上に文字が浮かぶ。
《仮想ログアウト機能 詳細》 《セーフティゾーン限定》
説明が続く。
守られる場所。
干渉されない空間。
ユキは、わずかに安堵する。
……まだ、このときは。
その後、場は解散ムードになる。
ユキは、端に腰を下ろした。
石の冷たさが、じわりと伝わる。
「……疲れた……」
誰にも聞こえない声。
問題から逃げる癖。
先延ばしにする癖。
それで生きてきた。
――けれど。
この世界では。
その優しさも、逃避も、
すべてが“餌”になる。
遠くから、視線を感じる。
見なくても分かる。
ずっと、誰かが見ている。
ユキは目を閉じた。
だが、視線は消えなかった。
絡みつくように、残り続ける。
セーフティゾーンは安全だ。
だからこそ。
ここは、檻にもなる。
その予感だけが、
静かに胸の奥に沈んでいった。
運命は、すでに動き出していた。
ユキが、気づかないふりをした、その瞬間から。




