第9話 私は、逃げない
相沢くんが、少し変わった。
露骨に何かをしたわけじゃない。
距離が急に近づいたわけでもない。
ただ――視線が、まっすぐになった。
以前のように、迷ったり、避けたりしない。
仕事の話をしているときも、ふとした沈黙のときも。
それが、逆に落ち着かなかった。
*
その日の夕方、企画部全体の進捗確認があった。
順調。
問題なし。
いつも通りの報告。
いつも通りの締め。
なのに、会議が終わった瞬間、胸がざわついた。
――このまま、何も言わなかったら。
相沢くんは、きっと言う。
年下なりの覚悟で。
誠実に。
でも、それを“待つ”のは、違う気がした。
私は、もう“選ばれる側”でいるのを、やめたかった。
*
「相沢くん」
帰り支度をしている彼に、声をかける。
「今日、少し時間ある?」
一瞬、彼の目が揺れた。
「はい。大丈夫です」
その返事に、逃げはなかった。
*
会社近くの、小さな公園。
ベンチに並んで座ると、夜風が心地よかった。
しばらく、何も言えない。
話したいことは山ほどあるのに、
どれから切り出せばいいのか分からない。
「……佐倉さんとは、終わりました」
結局、私の方から言った。
相沢くんは、驚いた顔をしたあと、静かに頷く。
「そうですか」
それ以上、踏み込まない。
「理由、聞かないの?」
「橘さんが決めたことなら」
相変わらず、優しい。
でも、今日はそれが、少しだけ苦しかった。
「ねえ、相沢くん」
私は、手を膝の上でぎゅっと握る。
「私、強い女でいるの、もう疲れた」
言葉にした瞬間、胸が熱くなる。
「全部一人で決めて、全部一人で背負って。
それができる自分じゃないと、価値がない気がしてた」
相沢くんは、何も言わずに聞いている。
「でもね」
深呼吸して、続ける。
「弱いって言える場所が、欲しかった。
“大丈夫じゃない”って言っても、引かれない相手が」
視線を上げると、彼と目が合った。
逃げない目。
「それが、あなたでした」
胸の奥が、どくどくと鳴る。
「年下とか、部下とか、正解とか」
首を振る。
「全部、言い訳だった。
本当は、あなたを選ぶのが、怖かっただけ」
相沢くんが、息を呑むのが分かった。
「相沢くん」
名前を呼ぶ声が、震える。
「私、逃げない。
あなたが年下でも、部下でも」
少し笑う。
「……不器用な私でよければ、隣にいてほしい」
言い切った瞬間、全身から力が抜けた。
怖かった。
でも、後悔はなかった。
しばらくの沈黙のあと、相沢くんが立ち上がる。
私の前に立って、真剣な目で言った。
「橘さん」
その声は、少しだけ震えていた。
「それ、反則です」
「……え?」
「ずっと、俺が言う番だと思ってた」
苦笑して、でも視線は逸らさない。
「年下だから、部下だから、
言えなかった言葉、全部」
夜風が、二人の間を通り抜ける。
「次は、俺に言わせてください」
その言葉に、胸がいっぱいになる。
――ああ。
私たちは、やっと同じ場所に立った。
立場じゃない。
年齢でもない。
ただ、同じ覚悟で。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
次回は最終話となります。
どのような結末になるのか?
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