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仕事は完璧、恋は不器用。年下部下にだけ弱い私  作者: 無明灯


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第8話 年下だから、言えなかった

――橘さんが倒れたとき、

俺は、自分が思っていた以上に冷静じゃなかった。



 会議室で彼女がふらついた瞬間、頭の中が真っ白になった。


 支えた腕は細くて、驚くほど軽くて。

 この人が、あんなに大きな仕事を背負っているなんて、信じられなかった。


 「……無理、しすぎです」


 そう言った自分の声が、少し震えていたのを覚えている。


 でも、それ以上の言葉は飲み込んだ。


 言えなかった。

 言ってはいけないと思った。


 俺は年下で、部下で、

彼女には“ちゃんとした大人の選択肢”が他にある。


 だから。



 橘さんが、佐倉さんと会っていることは知っていた。


 社内での噂。

 彼女のスマホに表示された名前。

 何より、あの人の存在感。


 同年代で、余裕があって、社会的にも釣り合う。


 ――正解だ。


 そう思った。


 俺みたいな年下が、感情を挟む場所じゃない。


 だから距離を取った。

 必要以上に気づかないふりをした。


 橘さんが困っていても、

「橘さんなら大丈夫ですよね」と言った。


 あれは、優しさなんかじゃない。

 ただの、臆病だった。



 正直に言えば。


 最初から、気づいていた。


 彼女は、強いふりをするのが上手すぎる。


 資料を完璧に仕上げて、

誰よりも早く決断して、

誰よりも遅くまで残る。


 それを「努力」だと思わせない。


 でも、帰り際に一瞬だけ肩を落とすのを、

俺は何度も見ていた。


 「無理しないでくださいね」


 最初は、それだけでよかった。


 それ以上、近づいたら、

彼女が俺を“選択肢”として見てしまうかもしれない。


 それが、怖かった。



 送っただけだった。


 ――今日は、ちゃんと休めてますか?


 返事が来た。


 ――少し、疲れました。


 その一文で、胸が締めつけられた。


 “少し”なんかじゃないはずだ。


 それでも彼女は、弱音を小さく整えてからしか出さない。


 俺は、送った。


 ――“大丈夫”って言わなくていいので。


 その後、彼女が倒れた。


 ……間に合わなかった。



 家まで送った帰り道、

俺は何度も考えた。


 もし俺が年上だったら。

 もし俺が部下じゃなかったら。

 もし俺が、もっと堂々とした立場だったら。


 きっと、とっくに言っていた。


 「あなたが好きです」って。


 でも、現実は違う。


 だから俺は、選んだ。


 “離れる”という選択を。



 その日、橘さんからメッセージが来た。


 ――今日は、ちゃんと話せました。


 画面を見て、息を吐いた。


 よかった。

 ちゃんと、大人の選択ができたんだ。


 そう思おうとした。


 でも、続けて来たメッセージ。


 ――少しだけ。でも、逃げませんでした。


 逃げなかった。


 その言葉が、胸に刺さる。


 ……俺は?


 年下だから、

部下だから、

彼女の人生を邪魔しないためだと言い訳して。


 本当は、一番逃げていたのは、俺じゃないか。



 翌朝。


 オフィスで橘さんと目が合った。


 ほんの一瞬。


 でも、その目は前よりずっと、まっすぐだった。


 その視線を見たとき、

俺は覚悟を決めた。


 年下でも。

 部下でも。


 この人を想う気持ちだけは、

誤魔化さない。


 たとえ、選ばれなくても。


 たとえ、彼女が別の道を選んでも。


 俺は、ちゃんと――言う。


 それが、俺が彼女に向けられる、

唯一の誠実さだと思ったから。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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