第4話 「その人といると、私は“正しい”」
佐倉さんからの連絡は、思ったより早かった。
――今週末、少し時間ありますか?
スマートフォンの画面を見つめながら、私は小さく息を吐く。
忙しい。疲れている。
断る理由はいくらでもある。
それでも、指は「あります」と打っていた。
*
約束の土曜日。
待ち合わせ場所に現れた佐倉さんは、やはり非の打ち所がなかった。
落ち着いた色味のジャケット、控えめな香水。
隣に立つと、自分が“ちゃんとした大人の女性”になったような気がする。
「今日はありがとうございます」
「こちらこそ。無理させてませんか?」
その言葉に、反射的に首を振る。
「いえ、大丈夫です」
――そう、大丈夫。
いつも通り。
ランチは評判のいいレストラン。
料理の話題、仕事の話題、最近の業界動向。
会話は途切れず、居心地も悪くない。
「橘さんって、本当にしっかりしてますよね」
フォークを置きながら、佐倉さんが言う。
「部下からの信頼も厚いし、判断も早い。正直、尊敬してます」
褒め言葉。
慣れているはずの、それ。
「ありがとうございます」
自然に笑って、自然に受け取る。
「でも」
佐倉さんは、少し声を落とした。
「だからこそ、誰かが隣にいないといけない」
まただ、と思った。
「橘さんは、強すぎる。だから、ちゃんと守ってくれる人が必要です」
守る。
支える、じゃなくて。
「……私、そんなに弱そうに見えます?」
冗談めかして言ったつもりだった。
佐倉さんは、少し驚いた顔をしてから、笑う。
「いいえ。逆です。弱さを見せないから、心配になる」
その理屈は、正しい。
きっと、多くの人がそう思う。
でも。
胸の奥で、小さな違和感が、静かに広がっていく。
*
食後、街を歩きながら、佐倉さんは私の歩幅に合わせてくれる。
信号では自然に車道側に立つ。
人混みでは、さりげなく前に出る。
――完璧だ。
なのに。
「少し、疲れてません?」
そう聞かれて、私は一瞬、言葉に詰まった。
「……少しだけ」
本当は、かなり疲れている。
でも、それ以上は言えなかった。
「無理しないでください。あなたは、ちゃんと評価されてるんですから」
評価。
実績。
肩書き。
全部、私が“頑張って手に入れたもの”。
それを認められるのは、嬉しいはずなのに。
ふと、頭に浮かぶ。
――ちゃんと、頼ってくださいね。
相沢くんの声。
評価でも、肩書きでもなく。
ただ、“私”を見ていたあの視線。
「橘さん?」
呼ばれて、我に返る。
「すみません、ぼーっとしてました」
「大丈夫ですか?」
「はい」
また、そう言ってしまう。
この人といると、私は“正しい大人”でいなければならない。
弱音は、きれいに整えてからじゃないと出せない。
それは、安心。
でも――休まらない。
*
別れ際。
「また、会いましょう」
そう言われて、私は笑顔で頷いた。
悪くなかった。
むしろ、条件だけ見れば、申し分ない。
なのに。
帰りの電車で、スマートフォンを握りしめながら、私は思う。
――今日、私、一度でも本音を話した?
答えは、すぐに出た。
家に着くと、玄関で靴を脱いだ瞬間、どっと疲れが押し寄せる。
ソファに座り込んで、天井を見上げる。
強い女。
正しい選択。
間違っていない関係。
それなのに、胸の奥が、妙に静まり返っていた。
ふと、スマートフォンが震える。
相沢くんからのメッセージだった。
――今日は、ちゃんと休めてますか?
たったそれだけの一文。
なのに、目の奥が熱くなる。
私はしばらく画面を見つめてから、短く返事を打った。
――少し、疲れました。
すぐに、返信が来る。
――それなら、今日はもう何もしないでください。
――“大丈夫”って言わなくていいので。
その瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、静かに崩れた。
正解に見える道よりも。
この、不器用で優しい距離の方が。
私は、もう分かってしまっている。
――どちらといると、私は“楽”なのか。
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