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仕事は完璧、恋は不器用。年下部下にだけ弱い私  作者: 無明灯


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3/10

第3話 大人の男は、正解に見える

 相沢くんを意識している――

 そう自覚するには、まだ早い。


 少なくとも、その時の私はそう思っていた。



 その日の午後、私は久しぶりに社外の人間と二人きりで打ち合わせをしていた。


 相手は、コンサル会社のプロジェクトマネージャー。

 佐倉さくら 恒一こういち、三十八歳。


 落ち着いた低い声、無駄のない身のこなし。

 スーツの着こなしも洗練されていて、年相応の余裕がにじんでいる。


 「橘さんとは、以前一度ご一緒しましたよね」


 「ええ、三年前の案件で」


 「覚えててくださって嬉しいな。あの時から、かなり印象に残ってました」


 さらりと、そういうことを言う。


 嫌味がない。

 むしろ、自然。


 ――こういう人が、“大人の男”なんだろう。


 打ち合わせはスムーズに終わり、資料を片付けていると、佐倉さんが声をかけてきた。


 「このあと、少し時間あります?」


 「いえ、今日は――」


 断ろうとして、言葉が止まる。


 今日は、特に予定はない。

 ただ、早く帰ろうと思っていただけだ。


 「軽くコーヒーでも。仕事の続きということで」


 仕事。

 その言葉に、私は小さく頷いた。



 オフィス近くの静かなカフェ。


 佐倉さんは、私より少し遅れてコーヒーを口に運びながら言った。


 「相変わらず、無理してますよね」


 「……分かります?」


 「ええ。優秀な人ほど、そういう癖がある」


 どこかで聞いたような台詞。

 でも、相沢くんのそれとは、少し違う。


 佐倉さんの言葉は、“理解している大人”の響きがした。


 「橘さんみたいな人は、ちゃんと甘えられる相手がいた方がいい」


 「……そうでしょうか」


 「ええ。守ってくれる人、必要ですよ」


 守る。


 その言葉に、なぜか違和感を覚えた。


 嫌じゃない。

 でも、すっと腑に落ちる感じもしない。


 「今は、仕事が一番大事ですから」


 そう答えると、佐倉さんは微笑った。


 「分かります。でも、仕事が落ち着いたら、声かけてください。ちゃんと大人の時間、付き合いますから」


 ――大人の時間。


 それは、私が今まで選んできた“正解”の延長線にあるものだった。


 年齢。

 社会的立場。

 周囲から見た釣り合い。


 どれも、安心できる要素ばかり。



 会社に戻ると、すでにフロアの明かりは少し落とされていた。


 自席に戻ると、相沢くんがまだ残っているのが見えた。


 「あれ、橘さん。もう帰ったと思ってました」


 「ちょっと、打ち合わせの延長で」


 嘘ではない。

 でも、なぜか説明するのが後ろめたい。


 相沢くんは、私の顔を一瞬だけ見てから言った。


 「……疲れてます?」


 「そんなこと――」


 言いかけて、やめた。


 今日は、少しだけ、気持ちがざわついている。


 「大丈夫です」


 そう言うと、彼はそれ以上踏み込まなかった。


 それが、余計に胸に刺さる。


 ――佐倉さんなら、もっと強く言ってくるだろう。


 でも、相沢くんは違う。

 踏み込まない。押し付けない。


 「橘さん」


 帰り際、彼が言った。


 「今日も、ちゃんと食べました?」


 その一言で、佐倉さんの言葉が、少し色あせた。


 守る、と言われるより。

 こうして、当たり前のことを気にかけられる方が。


 ……なぜ、そんなふうに思ってしまうのだろう。


 「食べたわよ。サラダとスープ」


 「それだけ?」


 「……それだけ」


 相沢くんは、ため息をついてから、苦笑した。


 「やっぱり」


 その声は、呆れと心配が半分ずつ混じっている。


 大人の男は、正解に見える。

 でも。


 年下の部下の一言で、こんなにも心が揺れる私は、きっともう――。


 気づかないふりを、続けられなくなっていた。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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