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仕事は完璧、恋は不器用。年下部下にだけ弱い私  作者: 無明灯


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第2話 年下のくせに、距離感がおかしい

 結局、あの日は相沢くんの言葉どおり、いつもより一時間早く会社を出た。


 だからといって、何か特別なことをしたわけじゃない。

 スーパーで総菜を買って、シャワーを浴びて、ベッドに横になるだけ。


 それでも、布団の中で目を閉じたとき、胸の奥にあった重たい塊が、少しだけ小さくなっているのを感じた。


 ――気のせい、よね。


 年下の部下に気遣われただけで、そんなふうに感じるなんて。

 自分で自分に呆れつつ、私は眠りに落ちた。



 翌朝。


 オフィスに入ると、すでに相沢くんはデスクに座っていた。

 私に気づくと、すっと立ち上がって会釈する。


 「おはようございます」


 「おはよう」


 それだけのやり取りなのに、なぜか昨日の会話が頭をよぎった。


 ――ちゃんと、早く帰ったかな。


 そんなふうに考えている自分に、内心で首を振る。

 上司が部下の生活を気にするなんて、行き過ぎだ。


 午前中は資料作成と確認作業に追われ、あっという間に昼休憩の時間になった。


 「橘さん、今日のランチどうします?」


 声をかけてきたのは、また相沢くんだった。


 「今日は外に行く時間ないかな。午後イチで打ち合わせだし」


 そう答えると、彼は少し考えるような顔をしてから言った。


 「じゃあ、コンビニで軽く買ってきます。ついでなので」


 「え、いいわよ。自分で――」


 「昨日、休憩取れてなかったですよね」


 その一言で、反論が止まった。


 ……昨日の話、覚えてるんだ。


 「……お願いしようかな」


 そう言うと、相沢くんは「はい」と短く答えて、さっとオフィスを出ていった。


 数分後、戻ってきた彼の手には、サンドイッチとサラダ、それから小さなカップのスープ。


 「胃に重くならないやつにしました」


 まるで、長年一緒に働いているかのような自然さ。


 「……ありがとう。気が利くのね」


 「よく言われます」


 さらっと言うところが、また腹立たしい。


 でも、嫌じゃない。


 それどころか、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 「相沢くんって、前の部署でもこんな感じだったの?」


 何気なく聞いたつもりだった。


 「どうでしょう。あんまり意識したことないです」


 「モテそうだけど」


 言った瞬間、しまったと思った。

 上司が部下に言う台詞じゃない。


 相沢くんは一瞬目を丸くしてから、少し困ったように笑った。


 「どうなんでしょう。年下扱いされることは多いですね」


 ――年下扱い。


 その言葉に、なぜか胸がちくりとする。


 「……それ、嫌?」


 「嫌じゃないです。でも」


 彼は一拍置いて、私をまっすぐ見た。


 「橘さんにまでそう思われてるなら、ちょっとだけ複雑です」


 心臓が、どくんと鳴った。


 「それ、どういう意味?」


 冗談めかして聞いたつもりだったのに、声が少しだけ上ずる。


 相沢くんはすぐに視線を逸らした。


 「……すみません。今のは忘れてください」


 忘れられるわけがない。


 そのまま、微妙な空気のまま昼休憩は終わり、午後の業務に入った。



 夕方。


 取引先との打ち合わせが長引き、気づけば外はすっかり暗くなっていた。


 資料をまとめながら、肩を回すと、鈍い痛みが走る。


 ――また、無理してる。


 分かっているのに、止められない。


 「橘さん」


 いつの間にか、相沢くんが近くに立っていた。


 「大丈夫ですか。肩、かなり凝ってますよね」


 「……分かる?」


 「分かります。さっきから、動きが硬いので」


 観察されている。

 それなのに、不快じゃない。


 「今日はもう切り上げませんか。あとは明日でも」


 「でも――」


 「大丈夫です。僕、フォローします」


 その言葉は、不思議な説得力を持っていた。


 私は少し迷ってから、パソコンを閉じる。


 「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 相沢くんは、ほっとしたように微笑った。


 その表情を見て、私は気づく。


 彼は、私が弱るのを“待っていた”わけじゃない。

 ただ、無理をしていることを、見逃さなかっただけ。


 それは、上司としての評価とも、恋愛感情とも、少し違う。


 もっと――静かで、深い何か。


 「橘さん」


 帰り際、彼が言った。


 「ちゃんと頼ってくださいね。強い人ほど、そうしないので」


 年下のくせに。

 部下のくせに。


 どうして、こんなにも的確に、私の奥を突いてくるのだろう。


 私は何も言い返せないまま、ただ頷いた。


 その背中を見送りながら、胸の奥で、小さな警報が鳴り始める。


 ――これは、ただの部下じゃない。


 そう認めるのは、まだ少し怖かった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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