第10話(最終話) 年下ですが、あなたを幸せにします
相沢くんは、私の前に立ったまま、少しだけ深く息を吸った。
夜の公園は静かで、遠くの車の音だけが聞こえる。
逃げ場のない距離。
でも、不思議と怖くはなかった。
「橘さん」
名前を呼ばれるだけで、胸が鳴る。
「俺、ずっと言えませんでした」
視線を逸らさないまま、彼は続ける。
「年下だから。部下だから。
あなたには、もっとちゃんとした選択肢があると思ってました」
――ちゃんとした選択肢。
私が、かつて自分に言い聞かせてきた言葉だ。
「でも」
相沢くんは、拳をぎゅっと握った。
「それでも、橘さんが無理して笑うのを見るのは、耐えられなかった」
心臓が、強く跳ねる。
「強い人だって、弱くなっていい。
それを許されない場所で、あなたが一人で立ってるのが、悔しかった」
静かな声なのに、一言一言が重い。
「年下の俺が言うのは、生意気かもしれません」
少しだけ、照れたように笑って。
「でも、あなたを“守る”んじゃなくて、
隣で一緒に弱くなれる関係でいたい」
その言葉に、喉が詰まった。
「橘さんが倒れたとき、思ったんです」
「この人がいなくなる未来だけは、嫌だって」
夜風が、私たちの間を抜けていく。
「だから」
相沢くんは、はっきりと言った。
「俺は、あなたが好きです」
「年下ですが。部下ですが」
一拍置いて、続ける。
「それでも、あなたを幸せにしたい」
胸の奥が、いっぱいになって、言葉が出てこない。
代わりに、涙が溢れた。
「……ずるい」
絞り出すように言うと、相沢くんは少し驚いた顔をする。
「私、もう逃げないって言ったのに」
笑いながら、涙を拭う。
「そんなふうに言われたら、戻れないじゃない」
相沢くんの目が、少し潤んだ。
「戻らなくていいです」
「……覚悟、してる?」
私がそう聞くと、彼は小さく頷いた。
「覚悟だけは、年上です」
思わず、声を上げて笑ってしまった。
「なにそれ」
「本気です」
そう言って、少しだけ距離を詰める。
触れそうで、触れない距離。
「橘さん」
「うん」
「一人で、頑張らなくていいです」
その一言で、胸の奥の何かが、完全にほどけた。
私は、ゆっくりと彼に手を伸ばす。
「……じゃあ」
指先が、そっと触れる。
「これからは、二人で頑張ろうか」
相沢くんは、一瞬目を見開いてから、優しく笑った。
「はい」
その返事は、誰よりも頼もしかった。
*
それからの毎日は、劇的に変わったわけじゃない。
仕事は忙しいまま。
責任も、簡単には減らない。
でも。
「今日は、無理しすぎです」
そう言ってくれる人がいる。
「今日は、ちゃんと頼ってください」
そう言われて、頷ける自分がいる。
職場では、相変わらず上司と部下。
でも、帰り道では、隣にいる。
年下で、少し不器用で、でも誠実な人。
強い女でいなくても、
仕事ヒロインでなくても。
私は、ちゃんと愛されている。
そう思える毎日が、こんなにも楽だなんて。
私は今日も、少しだけ肩の力を抜いて、
彼と並んで歩いている。
――ハッピーエンドは、
“完璧になること”じゃなく、
“一人で背負わなくなること”だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は
「仕事ができること」と
「弱さを見せてもいいこと」は、
本当は矛盾しないのではないか――
そんな思いから書き始めました。
強い立場にいる人ほど、
「大丈夫」と言うことに慣れてしまい、
誰かに頼るタイミングを失ってしまう。
そんなヒロインが、年下で部下という立場の男性に
“正しさ”ではなく“安心”を差し出される話です。
派手な展開や劇的な事件は少なめですが、
日常の中で少しずつ心がほどけていく関係を
大切に描きました。
年下だからこその遠慮や覚悟、
年上だからこその迷いと強がり。
どちらかが上でも下でもなく、
並んで歩ける関係を
「ハッピーエンド」と呼べたらいいな、と思っています。
もしこの物語が、
「一人で頑張りすぎている誰か」の
肩の力を少しだけ抜くきっかけになれたら幸いです。
感想・評価などいただけましたら、
とても励みになります。
他にも物語を書いています。
そちらでお会い出来たら嬉しいです。
最後まで、本当にありがとうございました。




