第1話 私は強い女、らしい
※本作は「仕事ができる女性」と
「年下だけど静かに支える男性」の恋愛ものです。
大きな波乱より、感情の変化を丁寧に描いています。
全10話・ハッピーエンド確約なので、
安心してお読みください。
私は仕事ができる女、らしい。
少なくとも社内ではそう評価されている。
三十五歳、企画部マネージャー。大きなプロジェクトをいくつも成功させて、部下も二十人以上抱えている。上司からの信頼も厚い――らしい。
「らしい」と付けてしまうのは、そう言われるたびに、どこか他人事のように感じてしまうからだ。
会議室を出ると、廊下のガラスに映った自分の顔が、思ったより疲れて見えた。
朝から三本目の会議。資料は完璧、発言も的確。反論にも冷静に対応した。何一つ、問題はなかったはずなのに。
それでも、胸の奥に溜まった重たいものは、どこにも行き場を見つけられずにいる。
エレベーター前でスマートフォンを確認すると、母からの着信が一件入っていた。
――まただ。
「結婚はまだなの?」
「いい人はいないの?」
悪気がないことは分かっている。心配してくれているのも。でも、その“普通”を果たせていない自分が、少しずつ削られていくのも事実だった。
ため息を飲み込んだ、そのとき。
「お疲れさまです、橘さん」
背後から声をかけられて振り返ると、そこに立っていたのは、少し年下の部下だった。
相沢 湊。
二十七歳。今年の春に別部署から異動してきたばかりの、まだ若い社員。
「お疲れさま。資料、もう共有してくれた?」
「はい。念のため、先ほどの修正点も反映してあります」
そう言って、彼は当たり前のように私の歩調に合わせて隣を歩く。
背は私より少し高いけれど、雰囲気は柔らかくて、押しが強いタイプではない。
正直、最初は少し心配だった。
若いし、物腰も穏やかだし、今の企画部は修羅場が多い。ついてこれるだろうか、と。
でもそれは、完全な杞憂だった。
仕事は早く、ミスも少ない。
それ以上に――よく、見ている。
「……今日、かなり詰め込みましたよね」
エレベーターに乗り込んだ瞬間、ぽつりと彼が言った。
「え?」
「会議。三つ連続でしたよね。間、ほとんど休めてない」
一瞬、言葉に詰まった。
そんなこと、部下に指摘されたのは初めてだった。
大丈夫です、と言い慣れた言葉が喉まで出かかって、でもなぜか、今日は引っかかった。
「……まあ、いつものことだから」
そう答えると、相沢くんは小さく眉を寄せた。
「そうですか。でも、無理は“いつものこと”にしない方がいいと思います」
エレベーター内に、短い沈黙が落ちた。
誰かに注意されるような口調じゃない。ただ、事実を並べただけの声。
年下の、しかも部下に言われるなんて。
普通なら、少し腹が立ってもおかしくない。
でも、不思議とそんな気にはならなかった。
「……ありがとう」
自分でも驚くほど、素直な言葉が口から出た。
相沢くんは、ほっとしたように微笑った。
その笑顔を見て、胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなる。
――ああ、私、疲れてたんだ。
認めた瞬間、張り詰めていた何かが、音を立てて緩んだ気がした。
エレベーターが一階に着き、私たちはそれぞれの出口へ向かう。
「橘さん」
呼び止められて振り返ると、相沢くんが少しだけ迷うような顔をしていた。
「今日は、早めに帰ってくださいね」
まるで、当たり前のことのように。
命令でも、忠告でもなく、ただの提案として。
私は一瞬言葉を失ってから、苦笑した。
「……部下にそんなこと言われる日が来るとは思わなかった」
「立場は関係ないです。橘さんが倒れたら、困る人がたくさんいるので」
その中に、君も含まれてる?
冗談めかして聞きたくなったけれど、やめた。
「分かった。検討しておく」
そう言うと、相沢くんは満足そうに頷いて、自分の帰路へ向かっていった。
一人になったエントランスで、私は小さく息を吐く。
仕事ができる女。
強い女。
一人で何でもこなせる女。
そうやって積み上げてきた評価の裏側で、
誰かに「無理しないで」と言われることに、こんなにも救われるなんて。
年下の部下。
恋愛対象外。
そう決めつけるには――少しだけ、胸がざわついた。
私はその違和感に、まだ名前をつけられないまま、夜の街へ足を踏み出した。
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