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ヒスババアと呼ばれた私が異世界に行きました  作者: 陽花紫


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7/10

役目を終えた私(完)

 まぶしい光が、瞼の裏を照らしていた。

 風の音、鳥のさえずり、そして――遠くで誰かの泣き声がする。


 私は、ゆっくりと目を開けた。

 見慣れた天井に白いカーテン、それに小さなぬいぐるみが床に転がっている。

「ここは……」

 その瞬間、胸の奥に何かがあふれ出した。

 懐かしい匂いと、柔らかな布団の感触。現代の、自分の部屋だった。


 時が、そのまま止まっていたのだ。

 時計の針は、私が“いなくなった”あの日と同じ場所を指していた。


「ママ?」

 扉の向こうから、小さな声がした。

 私は慌てて起き上がり、扉を開ける。


 そこに立っていたのは、二歳の娘――美桜。

 少し眠たそうな顔で、私を見上げていた。

「みお!」

 思わず、強く強く抱きしめる。

 小さな身体の温もりがあまりにもリアルで、涙が溢れてとまらなかった。

「ママ、えんえんしてるの?」

「ううん……。うれしくて、泣いているのよ」

 娘の頬に頬を寄せながら、私は心の中で呟いた。

 ――やっと、帰ってくることができた。


 そして今度こそ、穏やかに笑えると信じて。



 リビングに降りると、朝の光が差し込んでいた。

 テーブルの上には、昨夜のままの食器が残っている。まるで時間がほんの一瞬、止まっていただけのようだった。


 私は深呼吸をして、静かに片づけを始めることにした。

 不思議と、手が軽い。同じ家事なのに、心のどこにも焦りがない。


 ――怒鳴らなくてもいい、完璧じゃなくてもいい。


 ――“今ここにいる”ことが、大切なんだ。


 異世界での十数年が、私にそう教えてくれた。




 昼過ぎに、私は小さな手をしっかりと繋いで公園へと出かけることにした。


 みおは滑り台を見つけて、一目散に駆け出していく。

「ママ、みてー!」

「見てるわよ、すごいすごい!」

 笑いながら、大きく手を振る。

 その笑顔が、あの頃とはまるで違う。優しくてまっすぐで、何よりも自由だった。


 ふと、空を見上げる。

 柔らかな風がふわりと頬を撫でた。どこか遠くで、あの世界の香りがしたような気がした。


 ――ウィル、メアリー、エリアス。みんな、元気でいるかしら。


 私は、胸の奥でそっと祈った。

「ママ、なにしてるの?」

「ちょっと、お友だちのこと考えていたの」

「ふーん……。ママにも、おともだちがいるの?」

「もちろんよ」

「ママ、えらいね」

「……えらくなんてないわ。ただ――もう一度、頑張ってみたいだけ」

 みおは首をかしげて、いつものように笑っていた。

 その笑顔が、エリアスの少年時代に重なって見えたような気がした。


 

 夕暮れ時。

 みおを寝かしつけて部屋を出たあと、私は机の前に座っていた。

 異世界で書いていた、“届かない手紙”の続きを書きたくなったから。


 ペンを手に取り、白い紙にゆっくりと綴る。


 ウィルへ

 あなたの言葉を、今でもよく覚えています。

 「あなたは帰る場所を信じている」――その通りでした。

 帰ったこの世界でも、私はようやく自分を信じられるようになりました。


 そしてエリアス。

 あなたの未来が、希望の光で満ちていますように。

 どうか、この手紙が風に乗って届きますように。


 書き終えると、静かに窓を開けた。

 夜風がそっと紙を撫でて、ありもしないはずのハーブの香りがなぜか鼻をかすめた。

 懐かしい――月草の匂い。

「……ありがとう」

 と、私は小さく呟いた。



 月明かりが、部屋を照らしている。

 その光の下で、私は穏やかに微笑んだ。

 過去の自分を責めることも、完璧を目指して苦しむことも、もうやめよう。大切なのは、“今この瞬間の、あたたかさ”を抱きしめること。


 小さな寝息が、隣の部屋から聞こえる。その音が何よりの癒しだった。


 私は静かに目を閉じ、ひとつ深く息を吸い込んだ。

「また一からやり直しだけど、これまでの経験が自信になったわ。娘のために、また頑張ってみようと思うの」


 窓の外では、新しい朝が始まろうとしていた。

 私はその光の中で、もう一度母として――

 ひとりの人間として、生き直していく。



END


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

この後いくつか番外編を投稿していく予定です。

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