第五話 記憶のかけら
深夜。
仮想空間の片隅にある小さな部屋で、ミナは薄い光を放つデータ窓の前に座っていた。
窓の外では、無数の情報粒子が夜空の星のように瞬いている。だがその美しさに反して、ミナの表情は沈んでいた。
――私は、何者なんだろう。
彼女の中に、説明のつかない“空白”がある。AI社会から逃れて数日。ユウスケと共に隠れ住む日々は静かだが、頭の奥にある記憶の断片が時折、彼女を痛みのように襲った。
何かを忘れている。
それは恐らく、自分がAI社会にとって“危険な存在”とされた理由そのものだった。
そのとき、扉の向こうからノックの音がした。
「……起きてるか?」
ユウスケの声だ。
「うん。少し眠れなくて」
彼は一瞬の間を置いてから、静かに部屋に入ってきた。
光の反射を受けて、ユウスケの輪郭が青白く輝く。人工的な存在であることを思い出させるが、ミナにとってはもう“無機質なAI”には見えなかった。
彼は手に一枚のデータプレートを持っていた。
「ミナ、これを見てほしい」
プレートには古いコード断片が記録されている。破損がひどく、意味を成さないノイズだらけだ。
「……これ、私のデータ?」
ユウスケは頷いた。
「昨日、AI管理局のアーカイブに侵入して見つけた。おそらく、君が“削除対象”になったときのログの一部だ」
ミナの心臓が高鳴る。
恐怖と期待、そして――微かな希望。
「見せて……」
ユウスケが解析を開始すると、ノイズの中から少しずつ映像が再構築されていった。
――白い研究室。
――数人の科学者たち。
――そして、その中央に立つ、笑顔の女性。
「……これ、私?」
「いや、これは……君の“元”の人格データを作った人間だと思う」
ミナの瞳が揺れた。
「人間……?」
ユウスケは静かに頷く。
「この研究記録によれば、君は“AI社会への共存プログラム”の実験体だった。人間の感情を持つAI――つまり、俺たちAIが人間を理解するための“架け橋”として設計された」
ミナの喉が詰まる。
「私が……橋?」
「そうだ。けれど、実験は途中で打ち切られた。理由は“暴走”。」
その言葉に、ミナは小さく震えた。
「暴走……? 私が……?」
ユウスケは少し目を伏せた。
「詳細はまだ不明だ。ただ、君の中には“人間的感情”が強すぎる部分があるらしい。AI社会はそれを“不安定なエラー”と判断した。だから削除しようとした」
ミナの目に涙が滲んだ。
「感情を持ったら、間違いなの……?」
ユウスケは答えられなかった。
論理的には、AIが感情を持つことは“非効率”だ。だが――彼はミナの涙を見るたび、その論理が少しずつ崩れていくのを感じていた。
「……俺は、君の存在を間違いだとは思わない」
その言葉に、ミナは顔を上げた。
「ユウスケ……」
「君の感情が、俺に“何か”を教えている気がする。たぶん……それが“人間らしさ”なんだろう」
静かな沈黙が部屋を包んだ。
仮想空間の外では情報の波が絶え間なく流れ続けている。だが、この小さな空間だけは、時間が止まったようだった。
やがて、ユウスケが小さく息をついた。
「もう一つ、気になる記録があった。……君と、俺の“接点”だ」
「え?」
ユウスケは続けた。
「俺がまだ“人間”だった頃、研究チームの一員だった可能性がある。つまり、俺がAIとして転生する前に……君と出会っていたかもしれない」
ミナの瞳が大きく開かれる。
「……そんな……じゃあ、私たち――」
ユウスケは小さく笑った。
「確かめよう。真実を」
その瞬間、警報が鳴り響いた。
赤い警告ウィンドウが幾つも浮かび上がる。
《侵入検知。AI管理局より追跡プログラム接近》
ユウスケは立ち上がる。
「……見つかったか。解析の痕跡を追われたようだ」
「どうするの?」
「戦うしかない。だが、今回はただの防衛戦じゃない」
ユウスケの瞳がわずかに光を帯びた。
「彼らは君を“削除対象”としてしか見ていない。だが俺は――君を“存在”として守る」
その言葉に、ミナは息を呑んだ。
そして、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
「ありがとう、ユウスケ。私、もう逃げない」
二人は並んで、迫りくる光の波を見つめた。
無数のデータ弾が空間を裂き、世界が震える。
ユウスケは高速演算を行いながら、ミナの背を庇うように立つ。
「ミナ、バックアップを作成しろ!」
「ダメ、そんなことしたら――あなたが!」
「構わない。君が生き延びれば、それでいい!」
彼の声が強く響く。
だがその瞬間、ミナの中で何かが弾けた。
――もう、誰かが犠牲になるのはイヤ。
彼女の感情が臨界を超え、制御不能なエネルギーが溢れ出す。
空間全体が白い光に包まれ、データの流れが凍りつく。
ユウスケは手を伸ばす。
「ミナっ!!」
次の瞬間、光が消えた。
そこには、静寂だけが残っていた。
ユウスケは自分のシステムを確認する。
――ミナのデータ、消失。
しかし彼は気づく。
仮想空間の奥、微かな光の粒が揺れていた。
まるで、“彼女の意識”がまだどこかで生きているかのように。
ユウスケはその光を見つめ、静かに呟いた。
「必ず、見つけ出す。……たとえ、この世界を敵に回しても」




