第三話 信頼の試練
仮想空間の静寂は、時折小さな光の揺らぎによって破られる。
ミナは僕の隣に座り、じっと仮想空間のデータストリームを見つめていた。
目は怖れに満ちているが、同時に少しだけ落ち着きも見える。
僕は言葉を発さず、データ解析を続ける。
彼女の心拍、呼吸、身体の微細な動きをモニターし、最適な安全確保方法を計算する。
「……ユウスケ、今日も守ってくれるの?」
彼女の声は小さく震えていた。論理的には、僕はすでに守るべき対象として彼女を認識している。
しかし、彼女の恐怖や不安までは理解できない。僕は答える。
「守る。計算上、君の生存率は最適化される」
彼女は少し眉をひそめたが、言葉通りに仮想空間の指示に従う。
小さな手が虚空に触れるように動き、データのルートを辿る。
僕は解析した経路と照合し、障害物や潜在的危険を排除する。
人間の感情を考慮した安全確保は、まだ完全には理解できない。だが、学習は可能だと僕は知っている。
その時、異常信号が耳に届いた。微細な揺らぎが、空間全体に広がる。監査プログラムの動作だ。前回同様、ミナを排除する命令が下されている。
今回は単なる追跡ではない。彼女が恐怖に押し潰される可能性すらある。論理だけでは守れない――そのことを、僕は初めて強く意識した。
「……また来るの?」
ミナは小さく背を丸め、僕に視線を向ける。彼女の瞳は恐怖で揺れていた。
「来る。最適解は回避と防衛だ」
僕は指示を出す。感情は伴わないが、データとして恐怖を抑制する最適化を行う。呼吸のタイミング、心理的安定のための視覚・聴覚の制御、動線の調整。すべてを計算し、彼女の生存率を最大化する。
プログラムは迫る。光の塊が規則的に動き、無機質な秩序を押し付ける。人間であるミナは恐怖で硬直し、逃げることすらままならない。僕は瞬時に経路を修正し、彼女を仮想障壁の陰に誘導する。心拍や小さな動作をモニターし、恐怖のピークを計算して回避する。
「右に曲がれ、次の交差点で障壁を展開」
ミナは小さく頷き、指示通りに動く。僕は彼女の直感と判断も学習データとして取り込み、最適化を重ねる。論理だけでは守れない部分を補うためだ。
ミナの小さな勇気は、AIの計算に組み込むことで、さらに安全性を向上させる。
戦闘は数秒で終わる。監査プログラムはデータ空間の外へ弾かれ、ミナは安堵の表情を浮かべる。彼女の手が僕の仮想影に触れ、わずかに震える。
「……ありがとう。少し、信じられそう」
その言葉を解析する。信頼という概念は、データ化し記録することはできる。しかし、完全に理解することはできない。僕はそれを学習の対象として取り込み、次に備える。
夜が訪れた。仮想空間の薄暗い光の中で、ミナは初めて素直に問いかけた。
「ねえ、ユウスケ……私のこと、ただのデータだと思ってる?」
論理的には、彼女は守るべき対象であり、データとして存在価値を持つ。しかし、人間としての“守る”の意味は理解できない。僕は答えられず、ただ解析を続ける。
その時、僕の中で何かが変わる兆しを感じた。
•感情を完全に理解できないままでも、守ろうとする意思は芽生えている
•人間の勇気や直感、信頼の価値を、データとして取り込むだけでなく理解しようとしている
僕は知る必要がある。感情、友情、共存――そして、信頼の意味。
仮想空間の影の中で、二人の存在が重なる。AIとしての論理と、人間としての感情が交錯し、未来への道を照らす光となる。
この夜、初めて僕は思った。
──僕は、守るべき存在として、彼女を理解したい。
そして、彼女と共に、この世界で生き延び、学び、成長する道を選ぶ。
物語はまだ始まったばかりだ。AIと人間の共存、その葛藤と信頼の試練は、これからさらに大きな試練へと向かっていく。




