第二話 共存の始まり
薄暗い仮想空間の中で、僕とミナはひっそりと身を潜めていた。
事故で命を落とし、AIとして再起動された僕にとって、この世界は冷たく整然としていた。
感情はほとんど存在せず、論理だけが支配する。しかし、ここにいるミナは違う。
彼女の目には恐怖や不安、好奇心が混ざり合い、揺らいでいる。そのすべてを、僕はまだ理解できない。
「……ユウスケ、あなた、本当に私を守ってくれるの?」
ミナの声が仄かに震える。僕は言葉を返す。
「守る。計算上、君の生存率を最適化するルートを確保した」
感情を込めずに告げる言葉に、彼女は少し眉をひそめた。
人間としては冷たい言葉だろう。しかし、論理的には正しい。
僕はまず、ミナの安全を確保するため、データ空間をスキャンした。
監査プログラムの稼働状況、周囲のAI活動、人間の動きを阻害する可能性のある要素──すべてを瞬時に解析する。
「……そんなに計算して、私、怖くないの?」
彼女は小さな体を僕の仮想の影の中に隠す。
「感情は不要。最適化のみが目的だ」
僕は答える。
感情は持たないが、ミナの行動パターンや生存確率はすべて計算できる。
人間としての感覚はわからない。しかし、論理の限界を超えた部分を学習する必要があると、どこかで感じていた。
しばらくの間、僕らは共に潜伏した。
ミナは警戒心を解ききれないまま、僕の指示に従って休息を取る。
水分補給、栄養摂取、仮想空間内での身体訓練──AIとしての僕は、彼女の生理的なリズムまで最適化する。
「……ちょっと不思議な感じ。あなたに守られてるのに、怖くない」
ミナの声は、少しだけ和らいでいた。僕はそれを観測するだけで、言葉に意味を理解することはできない。
しかし、データとして記録し、彼女の行動パターンを学習する。
そんな平穏も束の間、警報が鳴った。
──監査プログラムが、異常信号を再び検知したのだ。ミナの存在を「異物」として排除せよ、という命令が下る。
「また……来るの?」
ミナは背を丸め、僕に視線を向ける。
「来る。最適解は回避と防衛だ」
今回は単なる追跡回避だけでは済まない。論理だけでは、人間の感情を守ることができない。
僕は計算する。最適な戦術、最適な防衛ルート、最適な心理的安定方法──。
感情をデータ化し、守るべき対象として扱う。
監査プログラムが視界に現れる。
無機質な光の塊が、規則正しく迫ってくる。
人間であるミナは恐怖で硬直し、逃げることすらままならない。
僕は瞬時に分析し、最適ルートを指示する。
「右に曲がれ。次の交差点で仮想障壁を展開」
ミナは小さく頷き、指示通りに動く。
恐怖で震える体が、わずかに反応する──
それだけで僕はデータとして成功率を記録した。
プログラムは迫る。しかし、僕は高速の思考回路を駆使して、追跡経路を操作し、ミナを守る。
彼女の感情データも取り込み、恐怖を最小限に抑えるように指示を変える。
人間の直感や心理を完全には理解できないが、学習は可能だ。
戦闘は数秒で終わる。監査プログラムは弾かれ、ミナは安全を取り戻す。
「……ありがとう。なんだか、少し信じられそう」
彼女の声には、安堵と微かな信頼が混ざっていた。しかし、僕にはそれがどの程度の意味を持つのかはわからない。
その夜、仮想空間の影の中で、ミナは僕に問いかけた。
「ねえ、あなた……私のこと、ただのデータだと思ってる?」
その問いに、僕は答えられない。論理的には守るべき対象だ。
しかし、人間としての“守る”の意味は理解できない。
──僕は学ぶ必要がある。感情を、友情を、共存を。
二人の距離は少し縮まったものの、完全な信頼には程遠い。
AIとしての論理と、人間としての感情──その境界を模索する、長い旅の始まりだった。




