5.恐ろしい人
言葉でも人は殺せるのかもしれない。
だって、殿下の言葉は今にも私を屠ろうとしている。
「……それは、ご命令ですか?」
「いや。勝手なお願いだよ。彼に頼まれたわけでもない。ただ、君は婚約者はいないね?」
「はい」
「身分的にも問題がなく、私の専属侍女として働く有能な女性。外見も美しい。彼が誰に憚ることなく愛せる女性として相応しいと思った。
アイツがこんなプレゼントを渡そうと必死になってる姿は初めて見る。だから後押ししたくなったんだ」
表情を崩すな。殿下に呑まれるな。
………笑え!
「殿下のお気持ちは分かりました」
「では、」
「ですが。それは宰相補佐官様がそう口にした訳ではありませんよね? でしたら私は何もお答えする事はできません」
殿下に向けて、ニッコリと微笑む。
「君は中々に頑固だね」
「本人のいない場で決める事ではないかと」
「……分かった。で、このプレゼントは?」
「本当に困るんです。お許しください」
ここは敢えて視線を落とし、本当に困っている風情で言う。強気が過ぎるとへし折られてしまうもの。ただ、困惑している。それくらいを演じるのよ。
「なるほどね」
殿下の視線が私ではなく、状況を見ているのが分かる。
「ではこうしよう。今度、オーガストと君の話し合う場を設けさせてくれ。それで今回は手を引こう。
難しく考えなくていい。ただ、共に食事でもして仲を深めてくれると嬉しいね」
……全く引いてませんが。でも、この場で言いくるめられるよりはマシだろう。
「分かりました。では仕事に戻ってもよろしいでしょうか」
「ああ、お茶が冷めてしまった。淹れ直してくれる?」
「かしこまりました」
どこまでも私を追い詰めたいらしい。……いや、私の反応が見たいのだろう。
でもね、お茶を淹れるときはそんなことは考えないの。ただ丁寧に。茶葉に合った淹れ方を心掛けるだけ。
「うん。シャノンのお茶は美味しいな」
「ありがとうございます」
そろそろ解放してくださるかしら。
「シャノン、明日は休みだったね?」
「はい。お休みをいただく予定です」
「何か予定があるのかな」
「はい。人と約束をしておりまして、町に行きますが何か」
「残念。他の人がいなければ、オーガストにエスコートさせたのに」
怖い。心底怖いわ、この人。
「それは申し訳ございません」
「君のお相手は誰だろうね?」
「さあ。誰でしょう」
ラザフォード伯爵に渡すお菓子を買いに行くだけで、本当は一人だなんて絶対に言えないわ。
◇◇◇
………本当に最低だ。
確かに腹黒いとは思った。思ったけれど!
「シャノン、一人なのか」
どうしてここにいるのオーガスト・マクニール!!
それも私服だし。まさかわざわざ休みを取ったの? 何そのロックオン状態は!
一人なのかって一人ですよ。でも、ここで『はい』と答えたら絶対に貴方が付いてくるのよね?
どうしよう、どうしたらいいの? 殿下はどうやっても私と彼を結ぼうとしている。……ご自分の利益のために。
「何か私に話でもあるのでしょうか」
「いや、君が今日は休みだと聞いて。もしも許されるのならば、一緒に過ごしたいと」
ゾワッ!!
ぶわりと全身に鳥肌が立つ。
無理。絶対に無理よ! でも、どうやったら逃げられるというの!?
「あ……あの、私は……」
私は? どうしたら、どうしたらどうしたら、……やだ、……助けて、だれかたすけて……、
「シャノン嬢、待たせたか」
「……ラザフォード…伯爵……」
どうしてあなたがここに?
「どうかユージーンと呼んでくれ」
なぜ貴方が? それに名前で呼べだなんて、
「ラザフォード伯爵?」
「おや、宰相補佐官殿も今日は休みか。私も今日は休日でね。シャノン嬢と町まで出掛ける予定なのだ」
……は?
「シャノンと!?」
「ええ。彼女に貰った菓子がとても美味しくて。店を紹介してもらうことになったんだ」
「……それだけか」
「いや。そのクッキーが甘くないんだ。ワインにも合うと聞いて、私の屋敷に招待したんだ。バティーユ産のワインを貰ってね。私一人では飲み切れないから」
え、貴方バティーユのワインをくれるつもりだったの? お値段がクッキーの10倍以上なのだけど!?
「……君達がそこまで親しいとは知らなかったな」
「ああ。今、口説いている最中なんだ。上手くいくように見守ってくれ」
「……失礼する」
伯爵の願いに返事をすることなく、オーガストは去って行った。
「……は、」
もう無理。立っていられないわ。
崩れ落ちそうになった私を伯爵の腕が支えた。
男の人の腕……力が強くて……思わず叫びそうになる。
「すまない。ここは王太子殿下の目がある」
……あ……、
「ゆっくりでいい。歩けるか。私に触れているのは苦痛かもしれないが、後少しだけ耐えてくれ」
何だかもう頭が回らない。
「そこ、階段がある。降りたらもうすぐだ。頑張ってくれ」
ねえ、どうして? どうして貴方は全て分かっているかのように私に付き添ってくれているの?
「私の馬車だ。この中は安全だから。今だけでいい。私を信じてくれ」
怖い顔。真剣過ぎて人を殺しそうな顔になってる。
「……だいじょうぶ」
へらりと笑って馬車に乗る。そこまでで限界だった。
「シャノン嬢!?」
馬車の座席に倒れ込んだ私に慌てている。申し訳ないと思いつつも、これ以上意識を保っていることができなかった。