トレイシーの異世界転生IF
番外編・怪物のいる世界からのIFです。
前回の雰囲気ぶち壊しです。
それでもよろしければお進みくださいませ!
硬い床の上に倒されて痛かった。
私を見下ろす男はとても大きくて、怖くて、気持ちが悪かった。
「痛い……」
頭を打ったのだろうか。
突然、見覚えのない景色が見える。
何これ──
そうだ。私は日本で生まれ育った。名前は確か……ってそんな場合じゃないでしょう!
「セイヤーッ!!」
とりあえず、鼻めがけて拳を繰り出した。
「ぐわっ!」
痛みに仰け反った所をさらに蹴り上げる。
何となくグニャっと足に感じた感触は無視!
「キッショ!何こいつ、馬鹿なの阿呆なの変態なの⁉」
急いで起き上がり、股間を押さえて悶ている男を見下ろす。急所にクリーンヒットしたようだ。さて、どうしようか。
少しずつ2つの記憶が混ざり合う。
この場を見られると私が困ることになる。でも、未遂とはいえ泣き寝入りは悔し過ぎるわ。
──仕方がない。やるか。
男の股間に足を乗せ、力を加えた。
「やっ、止めてっ」
「うるさい、レイプ魔」
さらに力を込める。靴に伝わる感触が気持ち悪いけど我慢だ。
「言いなさい。どうしてこんなことを?」
ぐりっぐりと踏みながら質問する。
「助けて!」
「言いなさいっ!」
「ずっと好きでした!!」
……何だそれは。腹が立ったので更にぐ~~っと力を込めた。
「……じぬ゛……」
「死ねばいい。誰も困らないわよ」
おかしな性癖に目覚められても困るので力を緩めた。
「好きなのに強姦する理由は?」
そこで、実家が事業に失敗して退学になると泣きながら語り出した男に殺意が湧く。
「おいコラ。退学する腹いせにレイプか? どこのエロ漫画だよ!」
「ちがっ、ごめっ!」
「ごめんで済んだら騎士団はいらないよね?」
さてと。
「お前。自分の罪を理解してる? 私は貴族よ。それを平民が辱めてお前だけで終わると思う? 両親も裁かれるわよ」
今頃真っ青になって、本当に馬鹿だ。
もう、仕方がないな。
「立って。行くわよ」
「……え……行くって……どこ……」
「いいから立ちなさいっ!」
「はい!」
泣きじゃくる男を馬車に押し込む。
「セルヴィッジ家へ」
「……よろしいのでしょうか?」
約束はしていないけれど、ノア様なら怒らないはず。
「大丈夫よ、向かって」
男はすっかりと縮こまっている。面倒だから放置で。
困ったのは私だわ。今までのトレイシーと今のトレイシーは別人過ぎる。というか、現代女性に貴族令嬢は無理。
おかしくない? 未来が嫁一択だなんて。
いえ、おかしいのはラザフォード家かな。
ノア様は嫌いじゃないけど、どう考えてもお互いに恋愛感情は皆無だし。
考え込んでいるうちに、セルヴィッジ家に着いた。
「トレイシー、どうしたのですか?」
突然来たのに文句も言わず心配してくれる優しい人だ。
「あのね。彼だけど、家が事業に失敗して退学しないといけないのですって。何かいい方法はないかしら」
私の言葉に少し驚きつつも、男に視線を向ける。
「あなたとは知り合いではありませんよね?」
「そうね」
「それでも助けたいのですか」
「……だって闇落ち案件だし。なんというか、我が身の安全のため?」
私の言葉の意味が分からなかったようだ。キョトンとしている。
「まずは中にどうぞ。君もね」
応接室に通され、お茶とお菓子を出される。ひと暴れした後だからとても嬉しい。
「それで、なぜ彼は泣いていたのですか? 鼻も赤いし。ああ、退学になるからか。では、なぜあらぬ場所に足跡が? それは女性の靴底ですね」
えっ! 思わず彼の股間を見つめる。
「トレイシー嬢もリボンの結び方がいつもと違いますよ」
きゃーっ!! 何っ!? あなたはコ○ン君なの!?
これ無理。隠せない。
私はこの男のやらかしから前世の記憶までぺろっと話した。だって一人で解決できそうもない。それなら賢い人に任せた方がいいでしょう?
こういうところは、旧トレイシーと同じかも。困ったときの他人頼み。
「ああ、だから知らない人みたいなのですね」
まあ、なんて柔軟な思考なの。まさかの信じてしまったわ。
「これでも2年以上の付き合いですよ? そこまで様変わりされたら信じるしかありません」
そうですか。尊敬してしまうわね。
「婚約者の頼みとあらば、彼らに仕事を斡旋することは可能です。セルヴィッジ領に移ることは大丈夫かな?」
「……はい」
男はすでにキャパオーバーのようだ。とりあえず許されれば良しとしか思っていなさそう。
「トレイシー嬢。あなたの今後のご予定は?」
「え、婚約破棄と職探しかしら」
思わず素直に言ってしまう。トレイシーよ、ノア様に素直過ぎる。脊髄反射で答えるのは止めましょう?
「……私は嫌われていましたか」
しまった。ションボリさせてしまった!
「違うんです! あなたはとてもいい人だけど、お互いに恋心はないでしょう? 私は結婚するなら愛し愛される相手がいいんです!」
だって私はそういう世界で生きてきた記憶があるから。
「……では、これからは友人ですか」
「あ! いいですね! そんな感じでお願いします」
えへ。やっぱりいい人だ。
「でも、解消理由は? 下手をすると慰謝料や違約金が発生しますよ」
「えっ!!」
何と言う恐ろしい世界なのだろうか。
「ノア様は好きな方とかいないんですか?」
「いるわけないでしょう。あなたと婚約しているのですよ?」
もう、堅物ね。
「そんなガチ愛じゃなくて、綺麗だな、素敵だなって思った人くらいいるでしょ?」
あれ、ピタッと止まった。……いるな?
「んふふ、ではその方向でいかが?」
「……違うから。いませんよ、好きな人なんて」
まあ、無理しちゃって。女子に恋愛は隠せなくってよ?
何だか楽しくなってきた。ラザフォード家は大騒ぎしそうだけど、その辺りは兄様に丸投げしよう。
たぶん、頼ったら頑張ってくれるはず! 兄様はお鈍さんなだけで、話せばちゃんと味方になってくれると思うのよ。
私は新しい人生を生きるのだから、味方は多いに限るわ!
「よし! あなたはさっさとご家族に話していらっしゃい。セルヴィッジ領に引っ越しよ。分かった?」
「ありがとうございます! この御恩は」
「ノア様に返して。私には二度と関わらないと誓いなさい。次にふざけたことをしたら……潰すわよ?」
「申し訳ございませんでした! 二度と視界に入らないと誓います!」
まあ、綺麗な土下座だこと。よし、これで私の平和は守られたわ。
「さあ、ノア様! コイバナしましょう?」