37.thanks a million
カランカラン
教会の鐘が鳴り響く。
女としての喜びは得られないと思っていた。
絶望、悲哀、悔恨。
それでも捨てられなかった夢。
ただひたすらそれに齧り付いて、なんとか自分を保っていた。
それなのに───
今、私は愛する人の隣に立っている。
誰よりも私を理解し、見守ってくれていた人。
自分も傷付いていたのに、それでもなお。
「愛することを誓いますか?」
「はい」
だって、今ではもうあなたのいない世界は寂し過ぎる。
「誓いの口づけを」
ノアがベールを上げた。
新緑の瞳が私だけを見ている。
『口づけの時、私から目を離さないで』
式の前にノアがそう言った。
もうそれくらいの触れ合いは平気なのに。
でも、そんな優しさが嬉しい。
彼が身を寄せると、シダーウッドの香りが届く。
『ノアの香りが好き。ずっと変えないで』
この香水が好きなの? そう聞かれたけど違う。
あなただから。他の人がその香りを纏っても何も感じない。ただ、あなただと感じられることが嬉しいのよ。
あなたの香りに包まれると落ち着く。
あなたに見つめられると嬉しくなる。
あなたの微笑みがとても───
そっと優しく口づけられた。
ほら、全然違う。あれはただの暴力だった。
あなたの愛を知った今、恐れるものはなくなったの。
「愛しているわ、ノア」
「愛しているよ、シャノン」
お互いの想いを伝え合い、手を繋ぐ。
これからの人生を共に歩む人。
私は本当に幸せだ。
その日の夜は、ただ、抱き締め合いながら眠った。
明かりはつけたまま。
「これからはずっと一緒なんだ。私達のペースでゆっくりと進もう」
その言葉に、少しの気落ちと大きな安堵。
ノアを愛しているし、彼を信じている。
信じられないのは自分自身で。
私すら気付かないことで、記憶の蓋が開いたら? ノアを傷付けたくない。私も傷付きたくなかった。
ベッドで先にノアが横になって待っていてくれる。私を怖がらせないように。
「抱きついてもいい?」
「もちろん」
横になっているノアを上から見下ろす。
ゆっくりと、彼の上に身を預ける。
「重い?」
「温かい……愛おしい……」
背中に腕を回される。ギュッと力が加わる。
「ノア大好きよ」
軽く口づけを交わす。ただそれだけ。
それだけで、本当に幸せだった。
王都に戻ればいつもの日々だ。
彼も私も今まで通りに仕事をする。
でも、帰る場所はふたりの家だ。
セルヴィッジ家のタウンハウスには、現在、犬1匹、猫3匹、フクロウまで一羽いる。
フクロウは翼を怪我している子を保護したらしい。怪我が治っても上手く飛ぶことができず、自然には戻せなかったそうだ。クリクリした目がとっても可愛い。
夜、寝室に向かうと必ず猫のリリーが先にベッドの上で寝ている。
「リリー、少し避けて。私達の寝る場所がないわ」
今日も彼女は長々と伸び切って寝ている。猫はまるくなるのではなかったの?
少し迷惑そうな顔をしてからベッドを降り、部屋から出て行ってしまった。昔は一緒に寝てくれていたのに、最近では逃げられることが増えた。
「リリーは私の気持ちを察してくれたのかな」
「え?」
「明日はお休みですよ」
「……お休みですね?」
「リリーではなく、私と仲良くしてください」
「あはははっ」
最初の頃は、ノアと私とリリーの3人(?)で寝ていた。でも、彼に包まれて眠るのが当たり前になり、明かりが無くても眠れるようになり。
自然と、もっと彼に触れたいと思うようになった。
「触れてもいい?」
私の言葉にノアは嬉しそうに笑った。
「もちろん、好きなだけ」
その言葉で、彼はずっと待っていてくれたのだと分かった。
それからも、少しずつ少しずつゆっくりと。
ようやく結ばれた時には嬉しくて泣いてしまった。
「彼の忍耐力は恐ろしいな」
のちに殿下の言葉を聞いて、どうやら男性にとってはかなり辛い状況を強いていたと知った。
愛する女性が無防備にくっついてくるのに手が出せないなんて、一週間で限界だと言われてしまった。
え、そんなに?
「だって妻だろう? それもちゃんと自分に好意があって。抱いていいはずの人がずっと隣で安心しきって身を寄せてるんだぞ⁉」
なるほど。
でもなぜ殿下にバレたか?
それはフリーダ様しかいない。
「だってずっと心配していて可哀想だったの」
そう言われてしまうとあまり文句も言えないではないか。
殿下が『シャノンがどれほど大切に愛されているかが分かるな』と本当に嬉しそうに仰ってくださったので、まあいいか、と思うことにした。
そんなフリーダ様は、無事元気な赤ちゃんを出産した。フリーダ様似のとっても綺麗な男の子だ。
「シャノンのところに娘が生まれたらうちの子と婚約させましょう?」
などと恐ろしいことを言ってくる。
「公爵にも同じ事を言われたよ」
「はい?」
その日の夜、ノアと話しているとそんな怖い言葉が。公爵って王弟殿下のことですよね?
どうやらお孫さんのお相手と言うことらしい。
王族よりは公爵家の方がマシ? と、一瞬現実逃避してしまう。
「ねえ、シャノン。体調は変わりない?」
「え? 元気だけど」
その日の会話はそれでおしまい。だって、できてもいない子どもの将来なんて。
そう思っていたのに。
「おめでとうございます。ご懐妊ですね」
嬉しいとか何とかより。
頭が真っ白になった。
ごかいにん……懐妊……私が?
じわじわと喜びが込み上げて来る。
「シャノン、ありがとう」
ノアが優しく抱きしめてくれて、ようやく本当なのだと実感できた。
「ノア、どうしよう嬉しい……」
「うん。また幸せが増えたね」
「ありがとう、ノアのおかげよっ」
二人で抱きしめ合って泣いた。
その日は使用人達が祝ってくれた。リリー達もご馳走をもらえて喜んでいる。
セルヴィッジ、クロート両家にも手紙を出した。どちらもとても喜んでくれた。
幸い悪阻は軽いようで、本当にお腹にいるのかな? と不安になるほどだ。
「わかるわ。でもね、周りが尋常じゃなく心配するから。今からしっかりと、適度な運動は必要。動かな過ぎは体に悪いと医師に周りを説得させておいた方がいいわよ!」
フリーダ様は当時、よほど腹が立っていたようだ。
「イライアスがストレスよ!」と初めて声を荒げたらしい。私がフリーダ様の侍女になったのはその辺りが原因か。
医師の話を聞きながらノアと相談して、しばらくは仕事を続けることになった。引き継ぎをしつつ、仕事量を抑えながらになるけどね。
まだまったくお腹は大きくならない。
「ねえ? 今は寝ているのかしら?」
それでも、毎日赤ちゃんに語りかける。
「君に似るといいな」
ノアはいつもそう言う。
「私はあなたに似るといいわ」
「困ったね。どうする?」
そんなふうに笑いながらノアも赤ちゃんに語りかける。
「早く会いたい」
ええ、早く会いたいね。
でも、ゆっくりと大きくなって。
あなたに会う日を楽しみにしているわ。どんな未来が待っているかしら。
あ、でも気を付けて。あなたを狙う人達がいるのよ! 生まれる前からこんなに望まれるって、困るけど嬉しいわね。
今日よりも明日、さらにその先がこんなにも待ち遠しい。
「ノア、たくさんの幸せをありがとう」
「こちらこそ。でも、突然どうしたの?」
「言いたくなったのよ」
軽く口付ける。
これからもたくさんの幸せをあなたと。
そして、赤ちゃん、あなたと共に。
「愛しているわ」
【end】
最後までお読みくださり、誠にありがとうございます。
本編はここでおしまいですが、このあとに番外編が続きます。
なんちゃってIFや異世界転生IF、トレイシーの独白、シャノンたちの子どもが大きくなってからなど、かなり振り幅のある内容となっておりますが、もう少しお付き合いいただけると嬉しいです。