31.それは呪いのように
私が真実を知ったのは、セルヴィッジ侯爵夫妻に会いに彼の領地を訪れたときだった。
お二方はとても歓迎してくださり、こちらが恐縮するほどだった。
我が家と結び付いても大きな利益はないにも関わらず、彼が私を望んだというだけでこんなにも快く迎えてくださることに、安堵と、ほんの少しだけ違和感を覚えた。
「シャノンさん、少しお話しできるかしら」
ノアとも就寝の挨拶を交わして別れ、あとは用意していただいた部屋で休むだけという時間に夫人が訪ねて来られた。
「はい、もちろんです。あの、このような格好で申し訳ないですが」
すっかりと寝支度を済ませてしまっていたため、寝間着にショールを羽織っただけの姿で少し居た堪れない。
「本当にごめんなさい。女同士だから許してくださる? あの子の前では話せないことなのです」
こんな時間にこっそりと来るのだもの。そうだろうとは思っていた。
ドアを開け、中へ入ってもらう。
一体何の話だろう。本当は私では嫌だと言われたら困るけど、そんなことを言いに来るような方には思えない。
「婚約が進んでからこのようなことを言うのは卑怯だと思うのだけど……」
その出だしはとっても心臓に悪い。
そう思いつつも表情を保ち、次の言葉を待った。
「……もしかしたら、あの子は子を持つことはできないかもしれません」
その告白に、流石に私は驚いてしまった。
どういうこと? ノアはご両親にも伝えていたというの? まさか、トレイシー様のことまで?
何と言えばいいのか分からず、とにかくもう少し詳しく話してもらおうと続きを促すことにした。
「それは……身体的にということでしょうか」
「いえ。精神的な問題になってしまいます。このことをあなたは聞いていましたか?」
駄目だわ。お互いに腹の探り合いでは答えに辿り着けない。もう少し踏み込まないと無理だ。
「トレイシー様の件でしょうか」
「……あなたはどこまで?」
その切羽詰まった様子は、夫人がすべて知っているように感じる。
「私はラザフォード伯爵とも知り合いです。彼からも聞いていましたし、ノア様からも説明されております」
「あ……本当に?」
「はい」
「…よかった…やっと呪いは解けたのね!」
──呪い? それは、何?
夫人はよほど心配していたのだろう。必死に涙を堪えている。
「我慢なさらないでください。ここには私しかおりませんから」
「……ありがとう、本当に何と感謝したらいいか…!
もしかしたら結婚すら無理なのかと考えたこともあったのに、それなのに愛する人と一緒になりたいって……もう、本当に夢かと……」
そこまで思い詰めていらしたのね。
「そのことをご存知なのは?」
「安心して手紙を読んだのは主人と私だけよ。あの子の様子がおかしくなったときに、そばにあの手紙が落ちていて。
尋常ではなかったから、申し訳ないけど読ませてもらったの。
でも、あのように悍ましい物、いっそ燃やしてしまいたかった!」
トレイシー様からの手紙のこと?
「……なぜ、処分なさらなかったのです?」
何が書かれていたのか。彼を呪う言葉? でも、どうして?
「あの子が…あれは彼女の最後の言葉だからと……。
それに、もし、あの家から何か干渉があっても困りますから。彼女の兄も王宮勤めですもの」
そうね。切り札を捨てはしないか。
「その手紙。読ませていただけませんか」
「え? それは……、止めておきなさい。
あの子はその手紙を読んで吐いたわ。何度も何度も。……暫くは眠れなくなって、まともな生活を送れるようになるのに少し時間が掛かったくらいよ」
何てこと……。それでも。
「私はノア様を傷付けるものを許しません。だから敵を正しく知りたい。そんなものに彼が囚われたままだなんて許せないのですっ」
呪い? ふざけないで。彼は私と共に生きるの。
トレイシー様の私情ならと遠慮したけれど、ノアへの攻撃ならば許さないわ。
夫人はかなり逡巡していたが、無理だけはしないようにと何度もいいながら手紙を渡してくれた。
手紙はかなりの枚数があるようだ。
深呼吸をする。敵とは言ったけれど、私にとってはある意味仲間だ。一体何が書かれているのか。
「トレイシー様。あなたの想いを暴くわ。ごめんなさい」
謝罪と共に封を開けた。
『どうして? あなたがこれからもずっと私の話を聞いてくれると言ったのに。ねえ、なのにどうしてそばにいないの?』
そんな幼子のような言葉から始まった手紙は、事件があった日の事細かな詳細が書かれていた。
毎日の報告をしていたとは聞いていた。でも、こんな……
彼女の語る言葉はあの夜の私の言葉でもあり、途中で気分が悪くなる。申し訳ないが、少し飛ばして読んだ。
こんなものを何も知らない彼は読まされたのか。
『ずっと聞いてくれると言ったのに』
その一言で、逃げることなどできなかったのだろうと想像ができた。
婚約者の身に起きた凄惨な出来事を、詳細に耳元で語られるような異常な文面。なぜこんな……
それから伯爵家での扱い。投げ掛けられた心無い言葉。すべてを書き連ねていた。そして、合間合間に『どうしてだと思う?』と、まるで『なぜ空は青いの?』と尋ねる子どものように彼への問いかけが入っていた。
なぜお父様は私を叱るのかしら。なぜ私は一人なのかしら。なぜあなたは迎えに来てくれないのかしら。なぜ私とこの子が悪者みたいなのかしら。なぜなぜなぜ───
ああ、彼女はとうに壊れていたのだ。
そしてその悲しみは、まるで呪いのような執着で彼に絡みついた。
唯一自分の心を救ってくれる人へ。
彼に話せばすべて解決できると言う盲信と、自分を裏切り捨てていったことへの嘆き。
それらが混ざり合って呪いとなった。
死にゆく自分を彼に刻み込みたかったのか。
それは、彼を傷付けてでも?
「……あなたが縋るべきだったのは家族なのに」
ごめんね、ノアはあげられない。
だって彼は生きるの。私と共に。
そっと廊下に出る。薄暗がりの廊下は嫌なことを思い出させる。
でもそれは、彼を思えば大したことはなく。
私は小走りで彼の部屋に向かった。