3.最悪な頼みごと
ここでの仕事にも随分と慣れた。
イライアス殿下はお優しそうに見えて、やはり王太子だなとは思う。腹黒さがチラホラ見えるが、私達使用人には関係がない。私は与えられた職務を全うするのみ。間違っても耳を欹ててはならない。
「どうして私が抱いてしまった女性は名乗り出ないんだっ!」
絶対にワザとではない。私はノックをした。殿下に返事ももらった。そんなタイミングで叫ぶこの男が悪いはず。
「あ~、ごめん。コイツが悪い」
「あ、の、聞こえた……よ、ね?」
「……申し訳ございません。決して他言はいたしませんのでご安心ください」
悪くなくてもとりあえずは謝る。
……それにしても。抱いた女性とは、まさか私のこと? それとも、他にもやらかしているのだろうか。後者ならば通報案件だけれど。
「違うんだ! あの、えっと」
「いえ、何も仰らないでください。職場での秘事を外に漏らすことは禁じられております」
頭を下げ、許しを待つ。
「シャノン。君を信じているし、そもそも疑っていないから。突然叫んだコレが愚かなんだ」
「ありがとうございます」
お茶を淹れてサッサと退室しよう。
「そうだ。バレてしまったついでに女性の心理を教えてくれないかな」
……は?
「……それは、フリーダ王太子妃殿下にお聞きした方がよろしいのではありませんか?」
「自分のことならね。本来なら誰にも知られたくないことなんだ」
「では、私にも話さないでくださいませ」
「だってもう知ってしまっただろう?」
「詳しくは聞いておりませんので説明は無用です失礼いたします」
早く部屋を出よう。不敬? そんなもの知ったことか。
「お願いを命令に変えようか」
「……残念です。殿下は公私をきちんと分けられる方だと思っておりました」
これは本当に残念だわ。馬鹿をやらかした親友のためにそんなくだらないことを命令されるだなんて。
「手厳しいね」
「尊敬しておりますから」
ジッと睨み合う。
「すまないっ! イライアスは悪くないっ、私が罪を犯したんだ。泥酔して見知らぬ女性に手を出してしまったんだっ!!」
最っっっ低だな、コイツ。何をペラペラと話しているの!?
「……聞きたくないと言いましたが聞こえませんでしたか」
「だが、大変なことをしてしまったのにその女性が名乗り出てくれなくて……頼む。その女性を探す手伝いをしてくれないだろうか」
……本当に最低だわ。
「致しかねます」
「な!?」
なぜ驚くの? そんな貴方に驚くのだけど。
「何故強姦魔の被害者探しを? 見つけてどうなさるのです」
「勿論謝罪を!」
「それは貴方様の自己満足に過ぎませんよ」
あら、今度は傷付くの。なぜ? そんな資格はないでしょうに。
「酷いことをした自覚はあるのですよね? 謝罪して、お金でも払うのですか? それともまさか妻にでもなさるの?
王太子殿下のご友人である貴方様に謝罪されたら許さなくてはいけなくなります。お金など貰ったら身売りした様な気持ちになるでしょう。妻? 自分を穢した男の顔を毎日見るなんて地獄でしょうね」
オーガストが蒼白になり目に涙を浮かべている。
……ハッ! 何故お前が泣くのよっ!
「泣きたいのは貴方ではないでしょう。大概になさいませ。というわけで。殿下、退室してもよろしいでしょうか?」
さすがに不敬だったか。だけど、これ以上は我慢が出来なかった。
ダメ……気持ち悪い、吐きそう……。
「シャノン、大丈夫か?」
「……はい」
「悪かった。女性に聞かせる話ではなかったね。しばらく呼ぶことはないから少し休んでくれ」
「……申し訳ございません。失礼いたします」
何とか部屋を出て歩き出す。
駄目だわ、吐き気が止まらない。目眩までする……。
「大丈夫か?」
突然声を掛けられて驚く。人がいることに気が付かなかった。上からの視線に体がビクついてしまった。
「すまん、驚かせたな。随分と顔色が悪いが、医局に運ぼうか?」
……運ぶとは。
「触れても平気だろうか」
「い、え。できれば、止めていただきたいです」
……男性が近くに来過ぎると怖い。人の体温が気持ち悪い。
「分かった。少し待っていろ」
そう言うと、勝手に手近な部屋に入り椅子を運んで来た。
「座れ」
「え」
「早くしないと触れるぞ」
え、ヤダ。
慌てて椅子に腰掛ける。どうやら立っているだけでも辛かったようだ、と座ってからようやく気が付いた。
「これを」
「……ありがとうございます」
いつの間にかお水まで持って来てくれていた。
ありがたく頂き、一口だけ口に含む。吐き気と共に水で流し込んでしまいたい。
「女性を呼んでこようか?」
「いえ! あの、少し驚いただけですので大丈夫です。お気遣いくださりありがとうございます」
「君は殿下付きの侍女だな。殿下に何かあったわけではないのだな?」
そうか、甲斐甲斐しくお世話してくださったのは、殿下の事情を知りたかったからなのね?
「はい、問題ありません。お騒がせして大変申し訳ございませんでした」
「そうか」
………二人の間に沈黙が続く。
「私はシャノン・クロートと申します。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ああ、すまない。私は儀典官を務めるユージーン・ラザフォードだ」
ラザフォード伯爵だったのね。前伯爵がご病気で早くに爵位を継いだはず。
「失礼いたしました。ラザフォード伯爵、もう落ち着きましたので大丈夫です。どうぞ職務にお戻りくださいませ」
そう伝えたのに何故かまだ動かない。
「あの?」
「その椅子は重いぞ」
「え」
「君が運ぶのは無理だ」
まあ。椅子を片付けるために待っていてくださっているの?
「お気遣い感謝します」
ゆっくりと立ち上がる。うん、大丈夫。目眩は治まった。
「大丈夫そうだな」
そう言うと、サッサと椅子を片付けてしまう。儀典官なのに力がある。……男性ですものね。女性など片手でねじ伏せるだけの力が恨めしい。
「送ろうか?」
つい、また暗い思考に陥りそうだった。
「いえ。まだ職務が残っておりますので」
「……そうか。あまり無理をしないようにな」
それ以上は追及することなく去って行かれた。
あれくらい立派な体躯であればあんな目には合わなかったのにな。
身長は180くらいだろうか。騎士ほど筋肉質ではないが、しっかりと引き締まった体だった。
でも寡黙な方なのかも。少し長めの銀髪の前髪から覗く瑠璃色の瞳は、愛想笑い一つなく、でも不思議と不快感は無かった。
今度お礼をした方がいいかしら。儀典官ならば、今後も仕事での付き合いがあることだろう。
「シャノン嬢」
「……何でしょうか」
何故こんな所でいつまでも呆けていたのかしら。会いたくない獣が彷徨いているではないか!
「先ほどの件でしたら絶対にお受けしませんし、非礼に対する謝罪をする気もございません」
「……随分とハッキリと言うのだな」
本当に忌々しい。さっさと消えてよ。
「私は……何故そこまで嫌われている?」
「意味が分かりかねます」
「君は私にだけ悪感情を持っているように感じるよ」
持たないはずが無いでしょう?
「そのような覚えはございません」
「……では。これからはもう少し仲良くしてもらえるかな?」
「申し訳ございませんが、それはできないかと」
「なぜ? どうしてそこまで、」
何なの? 女性はすべてお前の虜になるとでも思っているの?
「ご自覚がないようですが、貴方様は大層女性に人気があるようです。そのような方と下手に関わって嫉妬の対象にはなりたくありません。どうぞご容赦くださいませ」
「そんな、だがもう少し打ち解けてくれてもいいじゃないか」
しつこいな。本っ当に執拗いな?
「何のためでございましょうか。私にとってここは職場です。職務において必要なことでしたらいくらでも努力いたします。ですが、残念ながら貴方様は殿下のプライベートでのご友人というだけで、私の職務の範疇外でございます。私が仲を構築する必要性を一切感じませんが? では、仕事に戻らせていただきます。失礼いたします」
思いっきり早口で並び立て、彼が口を開く前に一礼して歩き出す。
そうだ。今日のお茶はサッパリとしたミントティーにしよう。きっと香りを嗅ぐだけで私のストレスを少しは緩和してくれることだろう。