29.初恋の行方
セルヴィッジ家に引き取られた子猫はすくすく成長中のようだ。
「……痛そうですね」
ノア先輩の手には、いくつもの引っかき傷ができていた。
「リリーはまだ力加減が下手ですからね。母猫や兄弟がいると、遊びながらそういうことも覚えていくのでしょうけど。
それでも安心したように膝の上で寝られると、もう文句なんて言えませんよ。本当に可愛くて可愛くて」
にゃんこ溺愛中ね。でもいいな、あのふわふわが撫で放題だなんて。
「膝の上……いいですね、うらやましいです」
「おや、乗りますか?」
「えっ!? そっちじゃないですっ!」
なぜ腕を広げるのっ!?
「ノアって時々変態っぽいよね」
「えっ!」
あ、酷い。でも確かに。殿下にやられたら引くわ。……でも、先輩には嫌悪感がなかった。ただ、恥ずかしかっただけで。
少しずつ改善しているのかな。そうだと嬉しい。
いつかは結婚して、子どもを儲けたいと思えるようになるだろうか。このまま本当に普通の幸せを手に───
「あの、ごめん。少し巫山戯ただけなんです」
しまったわ。少し考え込んでしまったせいで、気にさせてしまったみたい。
「こちらこそごめんなさい、考えごとをしてしまっただけですわ」
「……何か困りごとでも?」
困りごとか。確かにずっと困ってはいる。
フリーダ様には頑張ると言ったけれど、いきなりトレイシー様のことを教えて! とは言いにくい。
でも、私のことをどう思っていますか、なんてもっと聞けない。
恋人も婚約者もいない20年でしたの。何なら、初恋? そんなものあったかしら? ラザフォード伯爵との初恋未満がつい最近という枯れっぷりだ。
あと一歩を踏み出す勇気はどうしたら……
「シャノン嬢?」
この優しい瞳は誰を見ているのだろう。
「……困っていると言ったら助けてくれますか?」
私は狡いな。ノア先輩が断れないのを分かって聞いている。
「私に何ができるかは分かりませんが、力になりたいと思っています」
ほら。でも、他に方法が思いつかないの。
「ご存知かもしれませんが、私は男性が苦手です」
「シャノン?」
ヒルダ様が驚いている。そうよね。あんなに人に知られたくないと言っていたもの。
「でも、私は幸せになりたいんです」
「はい」
突然こんなことを言い出した私を、馬鹿にすることなく真剣に聞いてくれている。それだけでありがたいと思う。
ここでやめるべき?でも、
「リハビリに、付き合っていただけませんか?」
「それは」
「……あなたに……触れてもいいですか?」
言っていてドキドキする。私の方こそ変態みたいだ。先輩は驚いてるし、ヒルダ様は険しい顔をしている。
でも、他に方法が思い浮かばなくて。多少無理をしてでも変えていかないと一生このままな気がして。
「シャノン、あなたっ…」
私に何かを言いかけたヒルダ様をノア先輩が止めた。
「シャノン嬢」
ノア先輩から笑みが消えた。
そのままゆっくりと近付いてくる。
目を逸らさずに。
いつもは優しい先輩の目がとても真剣で、何か強い思いが感じられるような──
……あれ、先輩はこんな目をしてたかしら?
ドッ
心臓が強く跳ねる。
先輩なのに知らない男の人みたいな顔。
ゆっくりと伸ばされた手が───
「怖い?」
はっ、いつの間にか息を止めていたみたい。
「……あっ、……私……」
「この手は」
私に触れそうだった手はゆっくりと下ろされ、そっとひろげられる。
「子猫を助けることもできるし」
そう。だってその手のひらに子猫が……、
「でも。力一杯殴れば、相手に怪我を負わせることもできる」
グッと握った拳は、ゴツゴツとして別の物のよう。
「あなたを守ってあげたいと思うよ」
「……先輩?」
「でも、一番にあなたを守れるのはあなた自身だ」
私が、私を守る。
「さっきみたいなことを言っては駄目だ。あれでは君が誘惑したからだと、何をされても言い訳できなくなる」
サッと血の気が引いた。
「私は確かにあなたと親しくなったと言える。でも、簡単に触れていい間柄ではない。
それなのに、触れたいだなんて迂闊なことを言っては駄目だ」
その言葉にずきりと胸が痛んだ。
「私は君と仲良しの先輩だけど、……男だよ」
その言葉に、先ほどの胸の痛みとは違う何かが、ギュッと私の心を掴んだ気がした。
「はい、そこまで!」
……忘れてた。ヒルダ様もいたのだったわ。
「ノア。少しやり過ぎよ。また怖がられたらどうするの」
「必要でした」
「まあ、そうだけど!」
必要……そうね、私の迂闊さは理解した。
何者でもない私達で伝えていい言葉ではなかった。
ヒルダ様がキッ! と私を厳しい目で見た。
「シャノン! あなたね、男に向かって『触れてもいいですか?』なんて、そんな可愛らしい顔で頬を染めながら言ったらどう考えても違う意味でのお誘いよ! この子の理性を試してるの!?」
理性? でも、そんなつもりじゃなくて。ただ、何かを変えたくて……、
「……ごめんなさい」
「怖かったでしょう?」
怖かった……の、だろうか?
確かに、息が止まった。鼓動が痛いほど高まって。
でも、さっきのはあの男に感じた様な恐怖とは違った。
つ
「ドキドキしたけど……、怖く……は、なかった、かも?」
でも、どうかしら。本当に触れたら違った?
「……ノア、貴方ね。気持ちは分かるけど気持ち悪い」
「見ないでくださいよ!」
「え」
二人の会話に思わず先輩を見る。
……真っ赤な顔。
「どうして」
「好きな女の子にドキドキする♡ なんて言われちゃったものね?」
いえ、そんな言い方はしていないわ。
でも、好きな女の子?
「先輩?」
「ドクターにはデリカシーが無さ過ぎます!」
「だってこのままだと、まだるっこしいし、シャノンが暴走するし」
……暴走……確かに暴走だったかも。
「ねえ、シャノン。あなた、学生の頃に高位貴族と下位貴族の喧嘩を仲裁したことはある?」
「ドクター!!」
先輩が凄く焦っている。でも、なぜそんな話を?
確かに仲裁はした。侯爵令嬢と男爵令嬢という、本来ならばありえない家格の差がある二人の喧嘩だった。
学園では身分の区別なく平等に。
それは理想であって、実際は絶対に違う。それに気付かないのは入学したばかりの子にはありがちで。
でも、だからといって頭ごなしに馬鹿にするのは上に立つ者として恥ずかしいこと。
ひとつ年下なだけでこんなに幼かったかな?と微笑ましく思いつつも、仲裁することとなった。だって二人の将来を思えば大事にはしたくなかった。
結果、誤解は解け互いに謝罪。何なら私をお姉様と慕ってくれるようになった。
なんとも可愛らしく懐かしい思い出だわ。
「その、仲裁した子がとっても素敵だったのですって」
「え?」
「どちらかを裁くのではなく、お互いを納得させて和解させた。二人ともその子を尊敬の眼差しで見てて微笑ましかったってね。
コレ。ノアの初恋話よ」
ヒルダ様。他人の初恋話を暴露しては駄目なのですよ? ここでの秘密は厳守だったのでは?
「初恋……私が?」
「もう、ドクターのことは二度と信じません」
真っ赤になって顔を逸らす先輩が可愛過ぎる。
「背中を押してあげたの。感謝してよ」
もしかして、だから私に忠告しようとしてくれたの? 学園時代の淡い思い出があったから?
私達の縁は、トレイシー様が結んだものではなかったのね。
「……すっごくうれしい」
ごめんね、先輩は凄く恥ずかしそうなのに私はとっても嬉しいの。
だってあなたにとっての私は、誰の身代わりでもない、ただのシャノン・クロートとしてだけ映っているのだと信じられたわ。
「ありがとうございます、ノア先輩。
私も……、初恋は先輩みたいです」
まさかのヒルダ様の前での告白劇だった。




