21.ある家族の物語2 そしてその後
母は泣き崩れ、父はただ淡々と事後処理をした。医者を買収し、偽の死亡診断書を書かせた。妹は病死ということになった。……まだ18歳だった。
葬儀は親族のみでひっそりと行われた。
父は墓の前から動かなかった。何時間も何時間も。
黄昏時。柔らかなオレンジの夕日を浴びながら、ようやく泣いたのだ。何度も、すまない、愛していたんだと謝罪しながら。
それはたぶん、トレイシーを犯した男の愛の言葉と同じくらい、虚しく響いた。
決してそれは、トレイシーに届くことはないのだ。
一体どうしたらよかったのだろう。
妹の様子がおかしいと分かった時、すぐに問い詰めればよかったのか。そして医師に見せればよかった? だがどちらにしても、日をおいてからでは避妊は間に合わない。相手が分からないのも変わらない。
学園に相談して犯人探しをしたらよかったのか? だが見つからなければ、ただあの子が純潔を失ったことが知られるだけだ。
怖がりなあの子は恐ろしくてろくに抵抗できなかったと言っていた。言うことを聞かないと殺されるかと思ったから、と。だから体には傷もなかった。だがそれは、合意があったとも取られかねなくて。
もう八方塞がりだった。どれだけ考えても同じ結果に辿り着く。
せめて子がいなければ、ノアならばあのまま結婚してくれたかもしれない。そして、トレイシーの心の傷をゆっくりと癒やしてくれたことだろう。
だが、堕胎すれば、下手をしたら二度と子を授かることのできない体になる危険性があった。だから子をなかったことにすることもできない。
だからもう、残された道は、生まれてすぐに養子に出すことだった。それが一番子どもにとっても幸せなはずだった。
不義の子として周りに蔑まれながら生きるよりは、たとえ平民であったとしても、両親の愛に包まれて育った方が幸せに決まっている。
トレイシーだって、体を見れば子を産んだと分かってしまうのだ。騙せるはずもない。
ふしだらな女だと見下されるよりは、嫡男を生み、感謝される立場にいられる方がよっぽど幸せだろうと……。
それとも修道院に行かせるべきだった? あのおっとりとした、自分では掃除一つしたことのない妹を?
ダンスや刺繍の才能だけで生きられる場所ではない。いくら勉強が出来ても役には立たない。神に奉仕して生きるなど、どれほど辛いことか。
ごめんな、トレイシー。私は今になっても、どうやったらお前を幸せにできたのか分からないのだ。駄目な兄で本当にすまない……。
葬儀の後、父はすっかり抜け殻のようになってしまった。日がな一日ぼうっと過ごし、夕日を見ては涙する、そんな状態だ。
母と相談し、爵位は私が継ぐことになった。存外母の方が立ち直りが早く、家の切り盛りを頑張ってくれるからありがたかった。
そうやって、すべてを隠し、ただ可愛い妹が病で亡くなっただけだと振る舞うことに少し慣れた頃。久しぶりにノアを見かけた。
そうか。王宮勤めになったのだな。
婚約解消からまだ一年も経っていない。彼を見ると、まるであの幸せだった日々がそこにあるかのように感じる。
思わず懐かしくて笑ってしまった。
もし、あの頃に戻れるなら私はどうしたのかな。今度こそトレイシーを守ることができるのだろうか。
そんなことを思いながらも、そのまま話し掛けることなく、その場を離れた。
トレイシーが亡くなってから三年が過ぎた。
父は少しずつ回復し、いまでは書類仕事などは行えるようになった。母は、そろそろ私に結婚してはどうかと言ってくるようになり、少し煩わしい。
あれから、女を抱くのに抵抗がある。もしかして不能になっているのではないかと不安になり、一度だけ娼館に行った。結果的には大丈夫だったから少しほっとしたが。
それでも、結婚して子どもを儲けると考えると気が重いのだ。
そんなある日、シャノンと出会った。
彼女のことは以前から知っていた。王太子殿下の新しい侍女が美人だと、同僚が騒いでいたからだ。
そんな彼女の反応はまるでトレイシーのようで。ああ、この人も男性を恐れている。たぶん、トレイシーと同じ被害者なのだと感じた。
ただ、あの子と違ってすぐに持ち直し、背が高く人相があまり良くない私にも、ちゃんと挨拶をしてくれた。
後日、美しい字で綴られたお礼の手紙と共にお菓子が届いた。同僚と、と書かれていたそれは、大変美味しく、何となくくすぐったい気持ちになった。
お礼のお礼はおかしいのか? と悩みつつも、大仰になり過ぎない程度の小振りな花束とメッセージを送った。
それだけでは飽き足らず、彼女を見つけると、つい駆け寄りお礼の言葉を告げていた。
話の流れでお菓子とワインの交換をすることになった。また、縁が続くことがとても嬉しくて、まるで思春期の学生のような浮かれようだ。
すぐに家に連絡し、女性の飲みやすいワインを用意してほしいと頼んだ。母のニヤつく顔が思い浮かぶが気にしない。ついでにロールキャベツも頼んだ。
その翌日、偶然にも怯える彼女を救うことが出来たのは奇跡だと思った。
そう。二度も彼女を助けることができたのだ。この出会いは偶然ではなく、運命なのではないかと思えた。
今度こそ守れるように。今度こそ失わないように。
きっと、私だけが彼女を救えるのだと、そんな物語のヒーローになったかのように思い上がっていたのだ。
ノアが現れるまでは。