19.当主の責務
今日一日の情報量が多過ぎて、まだ頭の中が整理しきれていない。
ただ、一つだけハッキリしている。
絶対に強姦魔を許してはいけないということ。
好きだから、酔っていたから。
で、それが?
片思いに苦しむ人間がどれだけいる?
自棄酒する人間だって多くいることだろう。
でも、その人達は皆、犯罪を犯すのか?
やる訳がない。
そんなに苦しいくらいに好きな相手が泣き叫んでいるのに、自分の欲を満たす方を優先する人間がいるはずがないのだ。
女性だけでなく、ご家族まで巻き込んで……新しい命まで……。
私は本当に運が良かった。母のお守りが最後の最後で私を守ってくれた。
生理が来た時、安堵のあまり泣いてしまった。
もうこれ以上時間を掛けるのは止める。
だって、今すぐ消えてほしい。
裏工作もしない。夜会なんて必要ないわ。
侯爵家に迷惑を掛けたくないと思っていたけれど、被害者家族の苦しみだけでなく、いずれ幸せな家庭を築いていたであろう婚約者の方の苦しみまで知った今、加害者の親として、何も知らないままには出来ない。
「宰相閣下にお会いしなきゃ」
ゴミを処分するのは家主の仕事だ。
◇◇◇
「お休みをいただきありがとうございました」
「もう大丈夫なのか?無理しなくていいんだぞ」
なんだか殿下が優しくて調子が狂う。
「平気です。ドクターから許可も出ましたから」
「そうか」
「ただ、夜会への参加が難しそうで」
ずいぶんと落ち着いたから大丈夫だと思うけれど、ゴミ処理を夜会でやる気もなくなったので、参加する必要はない。
「アレのことはいいのか?」
まあ、とうとう殿下にも名前を呼ばれなくなってしまったのね。
「その事ですが、宰相閣下にお会いすることは可能でしょうか」
「今から呼ぶか?」
……本当に殿下はどうしたの?孫の言うことを何でも聞いてあげるおじい様みたいになっているけど。
「よろしいのですか?」
理由すら聞いていないですよ。後悔しませんか?
「どうせゴミ処理だろう?一秒でも早くに片付けてもらおう。あんな悍ましい……本当に恨むぞ……」
なぜ貴方がそんなにも怒っているの。
裏工作をウキウキと進めていたから、最後までやりたいと文句を言うかと思っていたのに。
「では、よろしくお願いいたします」
「おい! 宰相に使いを出せ。至急ここに来るように伝えてくれ」
早過ぎです。今日の業務は?
「殿下。何かあったのですか? 今日の殿下は変ですよ?」
「………黙秘する」
「殿下、何かございましたかっ」
本当に急いで来てくださったようだ。少し申し訳ない気持ちになってしまう。
「朝早くにすまんな。ああ、彼女がシャノン・クロート嬢だ」
「えっ⁉ あっ、もしや、ごぞんじでしたか」
「ああ、それでアレを見限ったのだからな」
「……それは……どういう」
閣下は何も悪くない。でも、貴方は親であり当主だから。
「私からご説明させていただいてもよろしいでしょうか」
殿下に促され、ソファーに腰掛ける。
「グローリア・ノーリッシュ公爵令嬢の婚姻披露パーティーを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、もちろん」
「では、ご子息が彼女にずっと片恋をしていたことは?」
「……存じております。ですが、それは過去のこと。今では気持ちに区切りを付けてあなたのことを」
「その夜、彼は私のことを犯しました」
「…………は?」
可哀想に。貴方はこれからどれ程、悩み苦しむのかしら。
「あの日、会場から少し離れた休憩用の部屋が並んでいる通路で倒れた男性がいました。
急病かと思い慌てて声をかけました。近付くとずいぶんお酒を召されたようで、人を呼んでくるからと伝えて……」
ああ、気持ち悪い。思い出したくない。
「いきなり、だ、抱きついてきて…っ」
口にしたくない、何でこんなことっ!
「君っ?」
「グローリアって…、違うのに、私は違うのにっ!
部屋に鍵がっ、カチャンって……凄い力でっ、重くって、怖くて! 違うって何度も言ったのにっ!! 痛いっ助けてって! でもっ……グローリアグローリアグローリア!! 何でっ!? どうして私なのっ!!」
どうしてどうして! 違う、この人じゃない。でも、だって言ってやりたかった! 何故!? どうしてって‼
「シャノン、大丈夫か。ドクターを呼ぶ?」
……何で殿下のくせにそんな顔をしているの。
はあ、はあ、……違う。息を吐いて。もっとゆっくり。
ふぅ……、はっ……。
「……すみません……」
「まさか……、本当に……? では、だから求婚を?」
「私が続きを説明してもいいか」
「……お願いします」
この後の彼の行動は殿下の方がよく知っているだろう。
「パーティーの翌朝、オーガストが真っ青な顔でやって来た。見知らぬ女性を抱いてしまったと。だが、名前どころか、顔すら覚えていない。グローリアの名を呼びながら抱いたことと、暗めな髪色で胸元にホクロがあった事しか記憶にないという」
「はあっ!?」
もう聞いているだけで気分が悪い。
本当に最低だ。
「私は秘密裏に証拠を消した。これは本当に反省している。相手が分からずとも、その場で断罪すればよかった」
でも、あの頃はバレていないことにホッとしていたから何とも言えないけど。
「え……、では、クロート嬢は?」
「こいつの隠しっぷりは凄かったぞ。顔にも態度にも一切出さず、手首の痣にはお湯をかけて火傷を負ってまで隠し切った」
「火傷!? 令嬢がそんな傷を!」
「……醜聞が拡がるくらいなら、火傷くらい何でもありませんでした」
「も、申し訳ない……、どうお詫びを」
「謝罪は自己満足、金銭は身売りのようで最悪、妻になるのは地獄だったか?」
「…っ、それは……」
「こいつがオーガストに言った言葉だ」
さすが殿下ね。よく覚えていること。
そういえば──
「殿下はどうして私が被害者だと気付いたのですか?」
ちゃんと隠せていたと思っていたのに。少し悔しかったのだ。
「オーガストがうっかりお前に聞こえるように言っただろう」
「はい」
「あの時、見知らぬ女を抱いたとは言ったが、強姦とは一言も言っていない。モテるあいつなら一夜のお情けをって迫ってくる女性もいたからな。
だが、君は強姦だと決めつけていた。だから、おかしいと思ったんだ。君が被害者だとすれば、アイツにだけ冷たい態度なのも納得がいく」
「……腹が立ち過ぎて、そんなミスを」
理由は分かったわ。でも、ゴミ屑は未だに気付いていないのよね。
「……待ってください。息子は、君が被害者だと気づいていないのか?」
「はい」
「それなのに求婚を?」
「はい。彼にとって私を犯したことはその程度のことなのですよ。
グローリア様の代わりに私を犯し、あの夜の女の代わりに私に婚約を持ち掛ける。
どこまで私を馬鹿にするつもりなのでしょうね?」
宰相閣下がとても険しい顔になった。
息子の罪がどこにあるのかを理解したようだ。
「今、こうして話してくれたということは、公にはしないということで合っていますか」
「はい。私も世間に知られたいとは思っていません。先ほど殿下が言ってくださったように、謝罪もお金も、もちろん妻の座もいりません。
私が求めるのは、正当な罰だけです。お願いできますか」
「私に任せてよいのですか? 息子だからと甘くするとは思わないのでしょうか」
「だって。貴方様は侯爵家当主であり、この国の宰相です。家と国を守る義務がある。
それなのに、それらを傷つけるような人間に情けをかけるのですか? 情けなら殿下がすでに一度与えていますのに」
そう。彼は殿下に一度だけチャンスをもらっていたのだ。あの時、くだらない愛など捨てて、殿下の恩に報いて仕事に邁進すればよかったのに。
「……そうだな、すまない。こちらに任せてくれて感謝する。準備に一週間ほど時間をいただくがよろしいか」
「はい。二度と私の前に顔を出さないようにしてくだされば問題ありません。
ただ、絶対に被害者が私だとは教えないでください。彼が私を抱いただの……妄想されたらと思うと死にたくなりますから」