17.醜い心
ドクターストップで三日もお休みをもらってしまったわ。
こんなにものんびりするのは久しぶりね。
倒れた翌日、殿下と妃殿下の連名でたくさんのお見舞い品が届いた。
綺麗なお花にたくさんのお菓子。このあたりはとても嬉しかったのだが、残りの物が大変困ってしまうものばかり。
仕事用のデイドレス三着と、夜会用のドレスやアクセサリー一式が届いてしまったのだ。
受取拒否したい気持ちでいっぱいなのだけれど、すべて殿下の私費から出ていること。あの件の謝罪をしたいという言葉。早く元気な姿を見たいなど。そんなメッセージをお二方からいただいてしまうと受け取らざるを得なくなってしまう。
「殿下は変わられたと思ったけれど、何か思惑があるからではなく、本当に反省してくださったのね」
美しい淡い紫のドレスの胸元は、繊細なレースで覆われていた。
残念ながらユージーン様との約束は延期となった。でも、どこかほっとしている自分もいる。
だって、本当にこのまま彼を利用するような真似をし続けていいものなのか。
確かにとても助かってはいる。でも、トレイシー様のことがなかったら、こんな縁は存在しなかったのではないかと思うと複雑な気持ちになってしまうのだ。
コンコンコン
「はい」
こんな昼間に誰? 今は勤務中のはずなのに。
「ヒルダよ。少しお話はできるかしら」
「ヒルダ様? 今、開けます」
まさか私の部屋まで来てくださるとは思わなかった。
「どうぞ、何かありましたか?」
「それを聞くのは私の方よね? 体調はどう?」
あ。そうでした。
「わざわざお越しいただいて申し訳ありません」
「そこは『ありがとう』ですよ~。あら、素敵なドレスね」
しまった。さっきまで眺めながらボンヤリしていたから。
「来週の夜会用なんです」
「……あなた、夜会だなんて大丈夫?」
やっぱりそう思いますよね……。
「じつは殿下と妃殿下にお誘いいただきまして」
「私が断りましょうか?」
え、何の迷いもなく言い切った!?
「でも、少し事情がありまして……」
いや、でもどうだろう。本当に必要なのか分からなくなってきた。
「男性のエスコートやダンスよ? それも夜に。ドクターストップをかけたいのだけど?」
どうしようか。何だかすっかり気持ちがグラグラになっている。こんな状態では、参加は取り止めた方がいいのかもしれないけど。
「それならやっぱりお伝えするわね」
それなら? とは?
「実は、ノア・セルヴィッジがあなたに会ってもいいか、相談にきたの」
「ヒルダ様に?」
「あなたが自分のせいで発作を起こしてしまったからと、とても心配していたわ。でも、それとは別に伝えたい事があるらしいのよ」
「伝えたいこと……」
同じ学園にいたから名前を知っている程度で、一度も話をしたことがないのになぜ?
「彼曰く、私に同席してほしいそうよ。また倒れても困るからって」
「……そこまで言ってくださるのでしたら」
「無理はしてない?」
「はい。今までも男性と会っても近過ぎなければ平気だったんです。あの時は本当に偶々で」
「わかったわ。今からでも出られる? 実は医務室で待っているの」
「え、待たせているのですか!?」
それはもっと早くに言ってほしかった!
「違うわ。勝手に待っているのよ?」
「……行けます。行きます。急ぎましょう!」
「はい、落ち着いて。深呼吸~」
あっ、そうだわ。平常心平常心。
「すみません、大丈夫です」
「彼と話をしていて体調が悪くなるようなら、夜会は欠席ですからね」
「……はい」
何となくまだ感情の揺れ幅がおかしい。呼吸を整えて。息は吸うことではなく、吐く方を意識する。
何となく、シダーウッドの香りがした気がした。
◇◇◇
「無理を言って呼び付けてしまい申し訳ありません。私はノア・セルヴィッジと申します」
穏やかな微笑みと優しい声。学園にいた頃よりも大人びた気がします。
「はじめまして。先日は助けていただき本当にありがとうございました。お礼が遅くなってしまい申し訳ございません。シャノン・クロートと申します。
あの、上着を台無しにしてしまって……」
「洗えば済むことですのでお気になさらないでください」
本当に何でもないことかのように言われてしまった。
「とりあえず座りなさいよ。お茶でもどうぞ。シャノンさんほど淹れるのは上手くないと思うけどね」
「ありがとうございます」
程よく温かいお茶に気持ちが解れる。これはカモミールだろうか。
「ヒルダ様、このハーブティーとても美味しいです」
「そうですね、ホッとする味です」
どうやらセルヴィッジ様も少し緊張していたみたい。
「それで、私へのお話とは?」
時間ばかり掛けても仕方がないので、ハッキリと聞いてしまおう。彼も仕事を抜けて来ているようだ。昼休憩が終わってしまうわ。
しばらくカップを見つめていた彼の視線が真っ直ぐ私を捉えた。綺麗な新緑の瞳がほんの少しだけ揺れた。
「本当は、あなたに話すべきかどうかずっと悩んでいたのです。今さらなことですし、私も一方からの言葉しか聞いていませんから」
「……それはどなたのお話でしょうか」
私達に共通の知り合いなんていただろうか。
「トレイシー・ラザフォードをご存知でしょうか。かつての私の婚約者です」
「!」
「ノア、ストップ」
そこでヒルダ様が彼の言葉を止めた。
「どういうこと? なぜその名前がここで出てくるのよ」
「ヒルダ様も知ってらっしゃるのですか?」
「も、って。あなたは知っているの?」
「学年は違いましたが、同じ学園に通っておりました。セルヴィッジ様もお見かけしたことがございます」
「ああ、そういうこと……」
まさかここでトレイシー様の名前が出てくるなんて。
「ヒルダ様はなぜ?」
「……それは……」
チラリとセルヴィッジ様を見ている。
「あなたと同じです」
「え?」
セルヴィッジ様が私と同じ?
「ここで、トレイシーの兄であるラザフォード伯爵を見て過呼吸で倒れました。それからもしばらくは発作が起きるようになってしまって、先生に色々と相談していたのです」
それであの時、冷静に対処してくださったのね。
でも、ユージーン様を見かけて発作を起こすなんて、どうして?
「……私に話したいこととは、ラザフォード伯爵のことですか?」
「はい。あなたが彼の恋人だと聞きました。婚約間近なのですよね? それで、あなたは真実を知っているのだろうかと心配になってしまって」
「真実?」
「トレイシーの死の原因です」
……それは……
「ああ、やはりあなたは知っているのですね」
「……はい。伯爵にお聞きしました」
「私はトレイシーからの手紙で知りました」
「え?」
「とても驚きました。病気の治療にどれだけ年数がかかるか分からないからと婚約解消を求められたのに、まさか……。それならば隠さずに教えて欲しかった。できることなら、そばで支えてあげたかったのに……」
彼は何も知らずに婚約解消されたのね。学園にいた頃に見かけたお二人は、とても仲が良さそうだった。
「……貴方は許せるのですか? 穢された彼女を」
「なぜ? 彼女の何が穢されたというのです? ただ運悪く、頭のおかしな人間にナイフで刺されたようなものです。どれだけ怖かっただろうか……。そんな、怪我をして苦しんでいる婚約者を守りたいと思うのは当然でしょう?」
……駄目だ。やっぱり私の涙腺はおかしい。
感情が馬鹿になっている。
また涙がこぼれてしまう。
ああ、トレイシー様。どうしてかしら。
やっぱり私はあなたが羨ましいと思ってしまう。
苦しんで亡くなったあなたを羨ましがるなんて、私は本当に醜い……。なんて嫌な人間なの……。




