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15.塞がらない傷口

「じ……ではなく、シャノン嬢」

「はい」


 お互いにまだ名前呼びが慣れない。

 おかしいな。もう結婚なんて無理だと思っているのに、まるで恋人ごっこをしているようなこの状況は何かしら。

 その原因となっているのが、あのゴミ屑というのも笑えないし。


「あなたと話がしたい。どこかで時間を作ってもらえないだろうか」


 真剣な表情。何か大切な話なのだろうか。


「私は基本定時上がりですので、ユージーン様に合わせますわ」

「では、明日でもいいだろうか。私も定時で上がるようにする。よかったら一緒に食事でもどうかな」

「はい。では楽しみにしていますね」

「ではまた明日。迎えに行くから」


 軽く手を上げて去って行く背中を見つめる。

 また明日。嬉しいような怖いような不思議な感覚。

 資格が無いと分かっているくせにね。

 どうやら思いのほか私は浅ましい人間の様だ。



 ◇◇◇



 殿下の執務室に向かうと、そのままフリーダ様のもとに向かうようにと指示された。


 少し一人になりたい気分だったから、こうして短時間でも一人の時間を持ててほっとする。


 通路を歩きながらふと窓を見ると、澄んだ青空と美しい庭園が目に入った。


「……きれい」


 言葉にして気がつく。こうして景色を眺めるのが久しぶりなことに。


 ずっと張り詰めていたから景色を見る余裕なんてなくて。



 あ……、だめだ……。


 突然涙があふれた。



 どうして?味方は増えた。ゴミ屑も自滅していきそうで。


 ──でも悲しい。でも虚しい。


 だって、それでも、決して元には戻らないと気付いてしまった。


 分かってる。無理だって知っているわ。

 それでも。こうして美しい景色を見ても、前とは違う自分がいる。それが、ただひたすらに悲しかった。


 そのままどこにも進めず立ち竦む。

 涙も止まらず、このまま涙と共に消えていきたい気持ちになった。



「どうされました?」


 突然声を掛けられ、ドッと心臓が早鐘を打つ。


「あ…っ…」


 どうしよう、男の人の声。

 怖い……怖くて顔を上げることもできない。


 ずっと平気だったのにどうして?

 だって、だめ、大丈夫、大丈夫私は強いの大丈夫大丈夫!──


 心の中で必死に唱えるのに、どんどんと息が苦しくなっていく。


「落ち着いて」

「ひっ…!」


 思いのほか近くから声を掛けられ、思わず悲鳴じみた声が漏れた。


「息を吐いて。もっと」

「はぁっ、」

「もっとゆっくりです。大丈夫。あなたには触れません。だからゆっくりと。しっかりと息を吐いて」


 息を吐く? 苦しいのに、こんなにも苦しいのに!

 それでも、何度も優しく囁かれる声に促され、握らされた何かに顔を埋め、必死に息を吐く。


 気が付けば私は床にうずくまっていた。それに、何かを下敷きに……


「え」


 ──上着?


 なんだか体が疲れ切っているがゆっくりと顔を上げた。

 どこかで見たことのある男性が少し離れた場所で膝を突いて私を見ていた。


「落ち着きましたか?」


 申し訳ないけど話す気力もなく、緩慢にうなずく。


「もう少し行くと人がいると思います。呼んで来ますので少しだけ一人にしても大丈夫でしょうか」


 人を呼ぶ? それは困るわ。

 ゆるゆると首を振る。


「一人になりたくない?」


 もう一度首を振る。


「人に知られたくない?」


 コクリとうなずく。

 駄目だ。頭がクラクラする。

 一度持ち上げた頭をまた上着に埋めた。仄かに香るシダーウッドに包まれながら、私は意識を手放してしまった。



 ◇◇◇



「目が覚めましたか? ここは医務室ですよ」


 医務室……そうか。私はまた倒れてしまったのね。


「申し訳ありません、お手数を」

「まだ起きては駄目ですよ」


 起き上がろうとしたが止められてしまった。


「でも」

「あなたの職場には連絡済みです。自己判断はよくないわ。ちゃんと医師の言うことを聞かなくては駄目ですよ」

「……はい」


 学園の先生のようだ。ピシリと言われると思わずハイと答えてしまう。


「こういう発作は初めて?」

「……ここまでなったのは初めてです」

「原因に心当たりはあるのかしら」


 心当たりはあり過ぎますが。それは言わなくてはいけないことなのだろうか。


「話したくない?」

「……はい」

「あなたの周りに理解者はいますか?」


 理解者? ……どうかしら。利用者だったら殿下だし。サポートといえば妃殿下だ。ユージーン様は助けてはくれるけれど話せてはいない。


「どうやらいないようですね」

「はい」


 だって知られたくない。話せないから理解者などいるはずがない。


「ここでのことはね。絶対に誰にも内緒なのよ?」

「……」

「あなたみたいな症状は自然に治っていくこともあるけれど、あなたのように治っていない傷口にきっちりと蓋をしてしまうと、何かの拍子に蓋が外れてしまった時、傷口から血や膿が飛び出てきてしまうのよ。

 心の傷は見えないから、あなた自身もその大きさや深さに気付いていなかったのかもしれないわね。

 ちゃんと自分を大切にしてあげて。あなたは傷付いてる。その傷を無理やり塞ぐのは駄目よ。ちゃんと治してあげないとね」


 ではどうしたらいいの? 心の傷なんて治しようがないじゃない。平気だと強がって生きる以外にどんな道があるというの?


「よかったらお昼時間にでもここに来てみない? ただ食事をするだけでもいいし、もし、何か話したいことや聞きたいことがあればいくらでも付き合うわよ」


 どうして? 私が病人だとでも言うの。

 怪我をした訳でもないのに医務室に通ったら変に思われてしまう。それは避けたいのに。


「今日のような症状が出ると危険なのよ。毎回親切な人に助けてもらえるとは限らないでしょう?」


 そう言われてゾワッとした。そうだわ。もしも町中で気を失ったら? どこかに連れ込まれても分からないということだ。


「倒れるというのはよっぽどの負荷が掛かっているということよ。このまま放ってはおけないわ。

 ここに通っているのがバレたくないなら私とお友達と言うことにしましょ? それともこんなオバさんとは嫌かしら」


 どうしよう。でも、確かに何度も倒れるのは困る。


「……ここに通って、何か変わるのですか?」

「人によって違ってくるわね。あなたの症状がいつからなのかは分からないけれど、今までなかったことが起きてしまったなら改善していない、もしくは悪化しているかもしれないわ。

 それならば、少しでも治る方向で何かをしてみるのはどうかしら」


 確かに。張り詰めていたものが緩んだからこんな症状が出たのかも。このままでは駄目よね?


「……では、しばらくの間お邪魔してもよいでしょうか」

「もちろんよ。私はヒルダ・シートン。ドクターや先生は寂しいからヒルダと呼んでね」

「私はシャノン・クロートです」


 意外なところで友達ができてしまったわ。


「あの、私を助けてくださった方がどなたか分かりますでしょうか」

「知り合いじゃなかったの?」

「たぶん……突然パニックになって、その後はもうろうとしてしまってよく覚えていないのです」


 記憶に残っているのは、優しい声と落ち着く香りだけだ。

 香り……絶対にあの上着は彼の物よね? 涙やら汗やらでぐちゃぐちゃにしてしまったはず。握りしめてたし。

 申し訳なさ過ぎるわ。

 ユージーン様の時といい、人様に迷惑をかけ過ぎるから本当に早く治ってほしいのだけど。

 とりあえずはお礼とお詫びをしなければ。


「彼は財務局の人ね。ノア・セルヴィッジ」


 ……思い出したわ。彼は、セルヴィッジ侯爵令息……トレイシー様の婚約者だった方だ。





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