出会い
「ふんふんふふ〜ん♪」
子守唄のような鼻歌が聞こえる。
それと、なんだかクリーミーな香り。
コトコトと鍋が煮えているのが、これでもかとわかるほどに暖かい空気。
「始めてのお客さんなんだから、目一杯もてなさなくっちゃ。」
誰に話しかけているのか、元気いっぱいの声。
「ねぇ、なふくん、まもちゃん。」
そういって改めて鼻歌が始まる。
確か、、僕は、、
思い出すのは凍った瞳の天使。
あなたを許す、と言う言葉と共に口に落ちた冷たい雫。
あぁ、そうか、、僕はあの時、、。
記憶がフラッシュバックする。
定まらない焦点で見た、胸を貫く光る柱。
それを想起した刹那、痛みで飛び起きる。
隣で小さく聞こえる「きゃぁっ‼︎」という声。
目を開き、飛び起きた先で見えたものは、
見るからに華奢な体の、肩の見えるワンピースに身を包んだ、
目と鼻を覆う帯のような物を巻きつけた少女だった。
まるで怪物を見るように床に倒れ込んだ少女は、こちらを向いたまま少しづつ後ずさる。
「ご、ごめん!驚かせて!」
怯えた表情の彼女は恐る恐る声を出す。
もっとも、隠れた目鼻から感情を推察できないが。
「ううん、大丈夫なの。動く物がここに来るのは初めてでびっくりしちゃった。」
「シチューを作ったんだけど、あなたって、食べるの?」
「でも、ちょっぴりこぼしちゃったから、まずはお片付けしなきゃ、だね。」
驚いた拍子に落としたと思われる、床に転がった器を手で拾ってこちらに向き直す。
「ところで、あなたのおなまえって?」
「うん、、僕は、、」
、、僕の名前はなんだ?
なぜか思い出せない。ここにきた理由も。
「ごめん、わからない」
そう答えるしかなかった。
「えへへ、そっか。」
こぼれたシチューを片付けながら彼女は続ける
「私もなんだ。おんなじだね。」
「まずはご飯にしよう!大事なお客さんだしね!」
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人が2人で精一杯の、お世辞にも広いと言えない部屋には、中央に小さなテーブル、椅子はない。入り口から向かって左側にはキッチン。向かって右側には僕が寝かされていたベッドがある。
冷蔵庫もなく、風呂場もないこんな部屋に少女1人で生活できているのが不思議なくらいだ。
彼女が食事を木の器に入れてテーブルまで運んでくる。シチューと切ったパン。
「ねぇ、ここって、、??」
聞くが早いか、彼女は口元に指をあてて
「まずは、いただきます、だよ。」
僕が小さく頷いた後、2人で口を揃えて言う
「いただきます。」
料理を頬張りながら、質問を続ける
「ここって、どこなの?」
シチューにパンをつけながら彼女は言う
「ここは私の生まれたところ。
というか、起きたらここにいたの」
「私が起きた時にあったのは、よくわからない文字の名札と、おまもりって書いた袋。
私と一緒に生まれたから、なふくんとまもちゃん。友達なんだ。
ほら、そっちに。」
彼女はキッチンの隅を指差す。
確かにそこには名札とお守り、それと一冊の本が置いてあった。
「あの本は?」
「うーんと、あれはあなたと一緒に家の前に落ちていたの。
中のお話もちょっと読んだけど、よくわかんないや。
センセーっていうの?ああいう偉い人が書いたみたいな本。」
『M理論におけるカイラル空間の存在証明。また、それに基づくシミュレーションについて。 著:仙道隆征』
と題された本。
「センドー、、リュウセイ、」
名前に妙な違和感を感じつつ続けざまに話す。
「食事が終わったら、少しあの本を読んでもいいかな?」
「うん。いいよ。」
そういって彼女はニッコリと笑う。
「ねぇねぇ、ところで。」
「あなたのことは何て呼んだらいい?」
困った。なにせ思い出せないのだから。
シチューをスプーンで掬いながら少し黙っていると。
「センセー、とかどうかな」
「え?」
「嫌ならいいんだけどね、ほら、難しそうな本を見つめてるから。
あの本にもセン..なんとか..セイって書いてるし、略すとセンセイだし!」
「それに、私にはわからない本に興味があるなんて、センセーみたいなもんだよ!」
そういって、彼女はスプーンを力いっぱい握りながらこちらに向く。
そんな無邪気な姿を見て、
「わかったよ。今日からセンセーで。」
彼女の口元がぱぁっと晴れやかになる。
「よろしくね!センちゃん」
「いや、早速変わってるじゃないか!」
「いーじゃん!けちんぼ!あたまかたいよ!」
「わかったよ、好きに呼べばいいよ。でも君のことは何て呼べば良いんだよ!
僕が勝手に決めてもいいんだよね!」
「いーよ?好きにすればー?
名前を呼ばれる事なんて無かったしね!
でも変なのは無しだからね!ね!」
じゃあ君は、と言いかけた所で彼女の言っていた、キッチン横にぶら下がる名札が目につく。
『ν』
そう書かれた文字をみて思いつく。
「これってニューって読むんだよね。ギリシャ文字の13番目の数字。
君のことはニュー、そう呼ぶことにするよ。
少なくとも、君の名前が分かるまではね。」
どうしてその言葉が浮かんだのかはわからないが。
「ふーん。いいじゃん。さすがはセンセーだ。」
ニューは少しはにかんだ笑顔をみせる。
「よろしくね。センちゃん。」
「うん。よろしく。ニュー。」
僕たちは小さな食卓で再び食事を始めた。