15. 気高く美しく永遠なるもの
令和6年8月13日公開です。
ヤドゥルの「主サマハ夢見デス……」という言葉に、隠世で那美と戦ってきた映像を喚起した主人公。
まだ迷いがるものの、那美に問いかけた。
「聞いてくれ那美。君と一緒に戦っていたことは思い出してきた。でも、それがどういう状況で、その結果どうなったとか、はっきり言って覚えてないんだ」
那美はじっと俺を見つめたあと、桜貝の唇を開いた。
「うん、よかった、回復が早そう。でも、もともとかなり重症だったみたいだから、無理しないで。ひとつひとつ思い出していこうね」
「面目ない」
「そんな風に思わないの」
「そうですの。主さまは、宿得があれだけお止めしたのに、聞かずにひどいドジを踏んだだけですん。何も悪くないですの」
「それって充分すぎるくらい、俺が悪いって言ってないかな?」
「まずはここを出て、現世で落ち着いて話しをしない?」
「宿得が、仲間外れにされるのですん」
「じゃあヤドゥルちゃんこうしない? 私たちは現世に戻って、その後なるべく早く、ほかの隠世に行けばいいんじゃないかな? そしたら主さまが、なにか思い出せるかも知れないよ」
「きっとですの」
「吾朗くんも、それでいい?」
「お、おう、構わないけど」
「もし何かあってはぐれても、氷川神社で集合ね。あそこなら国津の結界あるし安全」
「駅の近くの神社だな」
那美がうなずく。
「さあ、外に出よー?」
「あー! ちょっと待って!」
「どうしたの?」
俺には、どうしても確認しておきたいことがある。
「俺、死んだってことは、もしかするともしかしてだよ、現世でいなくなくなくない?」
「え? どういうこと?」
「俺って、死んだんだよね?」
これは、那美に聞いても真実が返ってくるかは分からない。
でも、死んだと言い出したのは彼女なのだ。
だのにその後はそれに触れず、物語が進んでいく状態だ。
この世界が夢や幻想だという可能性はまだ残されているが、さっき延々と見せられた映像からすると、とてもただの夢幻だったとは思えない。
となると、俺は一度死んで、そしてそのショックか何かで記憶を失っていると考えた方が自然だ。
ならば、どんな風に死んだのかを知りたいじゃないか。
そして、死んだあとの今の俺は、いったいどういった状態なのかを確かめたい。
「どんな風に死んだんだ?」
「えっとね、私がこの隠世で気がついて、吾朗くんに助けを求めたとき、何かつながった気がしたの。でも、同時に血に塗れた、悲痛なイメージが返ってきた……」
「主さまは、新宿隠世の歌舞伎城で、悪魔アスモデウスに串刺しにされていたのですん。
宿得は主さまを助けようとして、獅子奮迅で戦ったんですの。
でも、主さまより先に、死んでしまったのですん。申し訳ありませんですの」
「え? ヤドゥルも死んじまったのか?」
「はいですん。そして、主さまより先に、蘇ったですの。されど、そのときすでに主さまの体は消え、つながりも途絶えていたのですん」
「ヤドゥルちゃんがやって来たときに、吾朗くんが死んだって知らされたの。すごく悲しかった。すっごく心配した。でも、きっと大丈夫だと思ってたよ。
だって隠世で死んだだけだもん……それで、妄鬼にもならず、現世に戻ったんでしょ?」
隠世で死んだだけ……なのか。
そして現世で夢から醒めたんだよな。
「うん、さっき現世の自宅から歩いてここに来た……」
のだと思う。
しかし、死んでもダイジョブだって?
その根拠がまるで分からん。
「ね、命には別状なし。今はちょっと断絶で記憶を失って……そう、混乱してるだけ。デス・ペナルティが重く掛かってる状態」
「デス・ペナルティ………」
ゲームで聞き慣れたその言葉。死んだら経験値やゴールドを失うってやつが、この隠世でも適用されるのか。
「そう、隠世で死んだ場合、存在すべての死ではなく、一部の死になるの」
「それって……」
「でも、魂は死んでいないから、死んだ記憶は、修復されて思い出される」
なるほど、俺の失われた記憶も、そのうちに元に戻るってことなのか。
「それに現世で死んでたら、肉体は現世に残るの。だから、隠世にやってくると、亡霊として現れるでしょ?」
「ああ、さっき倒したサラリーマンの死霊みたいなケースだな」
「だから、吾朗くんは現世で死んでない」
「主さま、せっかくの宿得人形を、現世で何度も何度も何度もーっ、棄てたのですん。あんまりですの。酷いですん。現世で肉体が無ければ、できないことですの」
ポケットに何気なく手をやると、あの人形は無い。
それはそうだ、事故現場に人形を置いてきたんだし、それがヤドゥルになったんだから。
でも、ポケットには何か、別のものがあった。
ここには脱法ハーブが入っていたはずだが、取りだすと長い緑銀色の美しい葉っぱが何枚か。
「それは癒しの葉。体力回復の役に立ちますん」
おいおい麻薬の類が、HP回復の『やくそう』かよ。
「納得できた?」
那美が心配そうな笑顔で尋ねる。いろいろと疑問は残るものの、ここはまずは言う通りにしておこう。
「ああ、一応納得する」
やはり二人が言うように、俺はデスペナで致命的に記憶を失っている、ということで落ち着くのだろうか。
「よ~し、じゃあ、行くよ。しっかり手をつないでてね。前みたいに離しちゃ嫌だからね」
そう言って、一歩先から振り返り、俺の手を取る那美の姿に、俺は見とれていた。
それは俺が、もしかしてもしかすると、今生で見る最期の映像なのかも知れないと、ふと思ったのもあるかも知れないが、ごくごくシンプルに、彼女を中心にすえた映像が、強く美しいと思ったからだろう。
ゲートから降りそそぐ光の中、風も向こうから吹き付けていた。
那美の波立つような黒髪と紺のスカートが、ふわりと舞い上がる。
白いうなじがあらわになり、まっすぐな脚が膝上までめくれて見えた。
紅いスカーフがその絵にコントラストを添える。
髪の毛からは良い香りがした。
熟れたブドウのような干し草のような、太陽の恵みの甘い香気……。
黒い瞳は輝いていた。
内なる力が、そこから発露するように。
微笑む赤い唇は、強く結ばれていた。
これから先の未来、どんなに辛い出来事が待ち受けていようと大丈夫、きっと乗り越えられる。
そう黙して語りかけるような、強い自信と優しさを湛えていた。
ちょっと大げさかも知れないが、気高く美しく永遠なるものの象徴として、その絵は俺の心に深く刻み込まれたのだった。
パル商店街のゲートの向こう、水の中のようにあやふやな現実は、人々が音もなくゆらめいて、まるでほとんど時間が止まったかのように、ゆっくりと行き来している。
二人は来世でも共にありたいと願う恋人のように、固く手と手を結び合わせ、一緒にゲートのゆらぎに跳び込んでいった。
いよいよ現世の高円寺に戻ろうとする主人公たち。
次回、令和6年8月14日公開予定です。




