1. 自宅警備員の夢の生活
第8章、物語は日常に戻る。
場所は、高円寺の主人公の自室。
時は、深夜、夜明け前である。
「いたたたたた………」
俺は――――自分の部屋のデスクに突っ伏していた。
モニターには動きの止まったゲーム画面。
書棚には参考書の他に、ラノベやゲームのパッケージ。
そしてお気に入りのフィギュアたちが並んでいる。
彼女居ない歴十云年の本来の己の存在に気付き、しばしフリーズ……………。
スイッチを入れ直したように、俺は動き出す。
「はぁ~~、夢かぁ~~………」
ヨダレは垂れてないが、ちょっと首スジ痛めたかもだ。
「にしても、なんか妙にリアルっぽい夢だったよな?」
あの柔らかな手の感触、紅く濡れた唇にきらきらした涼しげな瞳、でもって美肌のうなじにかかる波打つ長い黒髪! そんでもって、すらりとした白い手足!!
学校にひとりいるかどうかの、超・絶・美少女だ!!!
あんな彼女いたらどんだけ人生バラ色だったろう。
受験勉強だって、将来彼女を幸せにするためになら、幾らでも頑張れたはずだ。
うむ、ぜったいそうに違いない。
そんな美少女と手と手をつなぎ、吐息がかかるほどに接近した。
彼女の柔らかな体の感触を思い出す。
リアルに女の子を抱きしめたことなんか無いのに、どうして体の感触を夢で体験できるんだろう。
それって男の遺伝子の中にガッツリ組み込まれてるもんなのか。
夢ならあの時、思い切ってキスくらいしてもセーフだったよな……と、後悔すれど、夢は夢だし……。
「――なら、また見ればいいってことだ」
俺は強く念じながら眠ると、けっこうな確率で見たい夢を見られるのだ。
こんな特技、フツーは自慢にもならないだろうけど、ニートにとってはチート級の万能スキルなのだ。
万夫不当のスーパー異能と言っても、過言ではなかろう。
映画館に行かなくても、ド迫力の冒険活劇を実体験できるし、恋愛ものだって、十八禁レベルのでさえ、ごく稀にだけど体感できるのだ。
しかもリアルに近い感触でだ。
これこそ男の遺伝子に、しかと深く刻み込まれているに違いない。
いっそ夢の中でずっと暮らしていても良いかも知れないと、近ごろ思うほどである。
だがしかし、肉体は無慈悲かつ愚昧なる存在として、夢の暮らしの前に立ちはだかる。
そいつは己の低次元なる欲望を満たすために、精神を覚醒させ現世へと送り返すのを、唯一無二の正義だと勘違いしている物質界の哀れなる下僕なのだ。
さて――…… まだ眠たい目を画面に移すと、パソコンのモニターにはアバターのたまり場、火星都市ソランの中央噴水広場の風景が広がっていた。
その上に重なって、チャット・ウィンドウが開いたままだ。
『Eternal Globe Online』、略して『EGO』。
超古代世界の地球と火星とを舞台にしたRPGだ。
多くのユーザーが時間と仮想空間とを共有して遊ぶ、いわゆるMMORPGというやつ。
もうリリースされて何年も経つから、みんなガリガリ攻略するでもなく、まったりモードでお喋りしてることが多い。
他のアバターたちのリアルタイムで喋る台詞が、吹き出しでポコポコ現れては消えていく。
固まった背筋を伸ばしながら、現実側でチョイ愚痴った。
「寝落ちすんなら、bot走らせとけば良かったな」
引き籠もりってのは、独り言が多くなるらしい。
botってのはロボットの略で、自動モードにされたアバターが、勝手にモンスターを狩って経験値や金やらゲットするってやつだ。
いつもは裏でそれを走らせておいて、パソコンでいろいろネットをチェックするのが俺のルーチンだ。
ただし今日はそれをせずに、ずっと仮想空間に居た―――のだけど、冒険していたわけじゃないのを思い出した。
ウィンドウにはさっきまでのチャット・ログが残ってる。
別のアバターと延々と喋ってた記録だ。
二人だけの密会チャットなので、吹き出しじゃなく、四角い別ウィンドウなのだ。
その記録を寝ぼけ眼で読み直すと……。
「うきゃああああ~~………!!」
悍ましくも素っ頓狂な叫び声が、突如として深夜の住宅街に響く。
思わず上げちまった、俺様の恥ずかしい奇声であった。
激しく激しく、つとに激しく、自己嫌悪の波が襲いきて、それに呑まれて溺死寸前だ。
殺虫剤かけられた毒虫のように、身悶えしてもだえ苦しむ己の姿もまた、いと恥ずかし。
その苦悶の原因は、ちょっと情緒不安定な女の子、ナナルの恋愛相談というか半分愚痴というか一部惚気に付き合って、延々と話し込んだそのログを、今まさに読み直してしまったからだった。
ナナルってのは、もちろんアバターの名前だ。
本名は知らない。
彼女はいわゆるメンヘラって部類に入る、痛い子なのかも知れない。
そう警戒しつつも、頼られるとついつい相手をしてしまう自分も情けない。




