1.国津神と天津神
令和6年8月15日
第10章スタート
日常に戻った主人公は、まずは情報を集める・・・
「眠れない!」
夢でも見れば、もしかしたら隠世に行けるかと思ったけれど、気が立ってしまってまるでだめだ。
目を閉じていつもの夢想を始めても、まるで上手くいかない。
TReEのメッセージ着信音がする度に、気になってチェックしてしまう。
あの売人逮捕動画とハーブ・ゲットの画像はかなりバズった。
You Tube にまで勝手にコピーされて流れている。
俺も少しはワクテカしたわけだが、そんな気持ちも長続きはしなかった。
不気味人形のネタも、結構ウケた。
淡島神社とかいう和歌山の神社に持っていけとか、その分社が上野公園のお山にあるとか、燃やして灰を川に流せなどの書き込みもあった。
だけど、今の俺にとっては、まったく無用のアドバイスとなった。
この人形は無くてはならない。
水生那美と俺とをつなぐ、大事な存在なのだから。
ネットには飯テロだの、くだらんTV番組のキャスター批判だの、アニメの神回がどうだのと、どうでもイイ話題ばかりだ。
だけども昨日までの俺は、みんなと一緒になって、そんなネタに飛びついていたんだ。
正直、自分には何も無かった。
空っぽな心と体を持て余す、救いさえ諦めたニートだった。
夜見る夢の方がリアルより充実した、スッカスカの人生だ。
ついでにどうしょうもないポンコツだ。
毎日毎日空虚な時をひっそりと重ねるだけの、消えても誰も気づかないような意味のない存在だった。
だけども、隠世で水生那美と出会い、俺の人生は一変してしまった。
まだ二回しか会ってないけど、変わってしまったもんはしょうがない。
もとより希薄だった現世の出来事が、さらに色褪せて非現実的に見えてくる。
これはただの現実逃避なのだろうか?
そう迷う自分に、「いや違う!」と断言しよう。
隠世こそ現実なのだと。
俺の現世での問題は引き籠もりだ。
受験に失敗したあと、浪人生活さえまともに送れなくなった自分。
すべてはシンプルな問題だ。
なぜ引き籠もりがダメなのかと言えば、将来がまるで無いからだ。
俺の将来だけじゃなく、母さんの老後だって掛かってくる。
では使徒となって隠世で戦い続ければ、俺の将来は拓けるのか?
答えは恐らく「否」だ。
隠世の戦いが、財産をもたらしてくれるとは思えない。
RPGのダンジョン探索のようにして財宝を得たとしても、それはこっちではガラクタになってしまうんだろう。
あの朱槍が、ただの伸び縮みするだけの良くわからない金属になってしまった。何の価値もないのだ。
学校の先生が、黒板を指すときに便利なくらいだ。
きっと他も、そんな法則に違いない。
逆に隠世でのガラクタが、現世でのお宝になるって可能性がないわけじゃない。それには何らかの鑑定スキルが必要だったりして?
異世界転生モノでは、鑑定スキルは確かに神スキルにも変貌する。
だがしかし、今のところ分からないものは脇に置いとこう。甘い希望的観測が通らないのは、現世も隠世もそう変わりはしないと思う。
おそらく隠世での滞在時間が長くなればなるほど、きっと俺にとっての現世は、どうでもイイものになっていく。
だがそれは、どんだけ間違ってるっていうのか? それによって、人生取り返しのつかないことになる可能性でも、あるのだろうか?
ここで今、無駄に息してる俺は、ただの穀潰しだ。
今んとこ無害なのだけが救いだ。
母さんには申し訳ない、と思うのだったら、大学進学をスッパリ諦めて就職するとか、とりあえずは最低限のバイトだけでもすればいいだろう。
良い大学に進んで、そこそこの会社に就職して、ふつうに安定した生活をするのが俺の漠然とした目標だった。
これだけコース・アウトしちまった自分が、今から巻き返せるとは思えない。
もはや現世には、期待を持てないと思っている。
ならば隠世に生き、現実の暮らしでは、最低限暮らせるだけの稼ぎがあれば、いいじゃないか。
母さんに迷惑を掛けない程度に、やってければ、それで充分じゃないだろうか?
もちろん母さんが俺の進学や就職に、多大なる期待を掛けていたのは理解している。
めちゃガッカリさせるし、裏切ることにもなるが、もうそこは諦めるしかないだろう。
深く頭を下げて謝ろう。
いっそ母さんに、隠世のことを打ち明けるか?
イヤイヤイヤ、頭がおかしくなったと、ますます心配されそうだ。
それより問題は、今後隠世に人生の重きを置くとしても、まだ俺はすべてを思い出しきれていないし、当然基礎知識も足りていないってところだ。
力だって、まだまだ足りない気がする。
すべてを思い出せば、第三位の使徒としての力も、復活するのだろうか?
とにかく今は、何もかもが中途半端だということだ。
知識に関連しては、思い出すきっかけになりはしないかと、国津神や日本の神々について改めてネットで調べてみた。
国津神とは天孫降臨の前にいた、日本土着の神々ということだ。
天孫ってのは太陽の女神天照大御神の孫、瓊々杵命のこと。
天孫降臨は、この瓊々杵命が神々の住む高天原から、日本に降りて来たことをいう。
この神さまから今上天皇へと、神々の血脈が脈々と続いていくのだ。
この天津神に国譲りして、出雲大社に封じられた大国主命とか、山の神の大山祇神や、海の神の綿津見神の系譜が国津神となる。
天照大御神の弟である素戔嗚命も、悪行によって地上に追放されたので、この神の系譜も国津神だ。
国津神は天津神に支配されたってことかと思いきや、神話を調べてみると必ずしもそうではないようだ。
というのも、日向に天孫降臨した瓊々杵命は、国津神の大神である大山祇神の娘の木花咲耶姫を娶り、さらにその息子と孫は、綿津見神の娘たちを妻にしているのだ。
これは大陸から渡来した天孫族が、土着の大きな勢力を取り込むため、血縁を重ねたという神話なのだろう。
それでも、未だに国津神族という名称が使徒に残っているということは、きっと天津神族も使徒に居るということで、互いが完全に融和したということでも無さそうだ。
そういえば少し前のニュースで、出雲大社の宮司と宮家の血を引くお嬢さんが結婚して、歴史的な天津国津の和解とかってのをクリスティーヌから聞いたような覚えがある。
日本先住の民が祀っていたのが国津神と考えると、その民は縄文人なのかと思うのだが、国津神の中には宇迦之御魂神のような弥生風の五穀の女神も居るわけだ。
ということは、神話に見られる八百万の神々を祀った民は、すでに弥生人となっていたのだろう。
ネットで調べていくと、天孫族は朝鮮から渡ってきた騎馬民族であるというのが通説のようになっていて、これを信じている人もいるようだ。
しかしこの説は戦後に流行ったものの、後に学会でまったく根拠がないということで、完全に否定されたそうだ。
天孫族とされる集団は、揚子江河口辺りの大陸南部の沿岸から東支那海を渡り、最初に北九州に定住したという説が有力らしい。
秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めて、東方の幻の島蓬莱へと除福を派遣したって話と、どこかで繋がってるようでおもしろい。
天津神のように天を「あま」と読むけれど、九州より大陸に近い奄美大島とかの「あま」と関係があるのかもしれないと思って検索してみたが、残念ながらトンデモ系の説しかヒットしなかった。
イイ思いつきだと思ったんだけど。
さらに調べていると、縄文人の男性遺伝子は、日本人にほぼ五十%も残っているらしい。
そしてぜんぜん知らなかったんだが、稲作も縄文時代から陸稲が行われていたそうだ。
なんで学校で教えないんだか。
しかし、朝鮮や大陸には、縄文人の遺伝子がほとんど見られない。
日本人と大陸の民族とでは、ちょっと人種が違うということだ。
縄文人は渡来系の弥生人にとって代わられたのではなく、大陸系の人々と縄文系の人々が、長い時間をかけて混血した状態が弥生人ということだ。
また別の説も見つけた。古墳時代以降、日本人に大陸系の遺伝子が増えたということで、この古墳を作った人々が、天孫系ではないかということだ。
となると、意外と天孫降臨は新しい出来事だった可能性もある。
縄文人が渡来人の文化を取り入れつつ、混血して弥生人として国津神を祀り、その後、天孫と呼ばれる新たな勢力がやって来て、日本を統一したということだろうか。
※ ※ ※ ※
しばらくネット検索に没頭していると、母さんが帰ってきて、テレビの音や何か下でやっている音がする。
俺はしばらく部屋を出られない。
別に嫌っているわけじゃない。
でも、こないだケンカしてからどうも気まずくて、直接会うと自分が情けなくなってヘコむのだ。
いや、そうじゃない。
ホントのところは、またくだらないことで、何か怒鳴りつけてしまわないかと、自分を畏れているんだ。
分かっていても感情のコントロールというのは難しい。
なぜ俺は自分の心くらい、も少し何とか制御できんのだろうか?
でも、それは俺だけに限ったことじゃないな。
人の世の争いが絶えないのは、結局誰もが感情をコントロールできないせいだ。
人類の歴史がこれだけ続いてるってのに、感情制御の解決策とか何も無いのは、ホモ・サピエンスというのは、かなりのポンコツな気がする。
などと青臭い文明批判に浸っていると、ぐううっと腹が鳴る。
「うわ~、イイ匂いしてきた~」
果たして主人公は、美味しいグラタンの誘惑に勝てるのか?
次回 2話は8月16日公開予定。




