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雑記9 クチコミの力

作者: 遠部右喬

 昨今は時間の流れが速い。

 時間、と言っても、物理上のものではない。所謂、時流、流行りのことだ。「十年一昔」などと言うが、とんでもない。僅か数か月で「過去」と「現在」が分かたれることもある。昨日までの常識が今日は違っていることも珍しくない。

 これは、情報伝達のスピードが上がったことによる現象だろう。インターネットという新たな技術のお陰で、あらゆるニュースは途轍もない速さで世界中を駆け巡っている。回線さえ繋がる状況であれば、我々は布団の中に居ながらでも様々な情報を入手することが可能になったのだ。

 当然のように、日々刻々と飛び交う膨大な情報の中には、虚実定かならぬものも含まれている。全てを精査するには、それこそ時間が追い付かないのだろう。恐らくは相当前から、情報は時間を越えてしまったのだ。こうなると、得たい情報の真贋を個人で確かめることは中々に難しい。それを了承した上で利用しなければ、痛い目を見ること必至である。


 とは言え、出来るだけ大勢の忌憚ない意見を知りたい時というのはある。例えば、ある商品や出来事などに寄せられた様々な感想を聞ければ、要不要の判断基準の一つにすることが出来る。そこで活躍するのがネット上の「クチコミ」だ。無論、ここにも適正とは言えない感想は盛り込まれていたりするだろうが、それはきっと、現代に限った現象ではないに違いない。


 時は平安朝。ある男が居たとしよう。

 男は、年頃の我が娘の元に通ってくれる若者を探していた。ぎりぎり貴族かそうじゃないかという男の身分は決して高くなく、娘も正妻の子ではない。

 やんごとなき身分の方々に結婚の自由は無い。まして女性ともなれば猶更だ。男性が正妻に迎えるのは、己と釣り合う家柄の娘である。庶子である娘が正妻の座に就けるかは微妙だし、ならばいっそ、良い若者の側室狙いで行くかと、そんな感じだ。


 男は、家にとって出来る限り利となる相手を探していた。狙うのは、覚えめでたく、それでいて上司や同僚にやっかまれない程度に地味目で、叶う事なら義父となる己よりもほんの少し上目の家柄の若者である。程々に歌を詠めて、笛の一つも吹ければありがたい。出しゃばらず、有能過ぎず無能でもない、健康で、趣味の蹴鞠を一緒に出来るような、そんな若者を求めている……面倒臭いなあ、もう。

 兎に角そんな訳で、お父さん、娘の婚活に必死である。


 ここで利用するのが、クチコミだ。事実よりも周囲の評価が重視される世界線では、クチコミはそれなりに有効な手段だったのではなかろうか。


 男は、娘がどれだけ美人で才女であるか、噂を流すことにした。それが事実か盛った情報かは重要ではない。なにせ、下手したら、父親ですら年頃になった娘の顔なんぞ久しく見ていない時代のことだ。実際に娘の許に通ってみるまで噂の確認のしようがないのであれば、安心して大風呂敷を広げられる。

 男は、目ぼしい若者達の下人にこっそり小遣い等を握らせて、「ご主人、御存じで? あそこのお宅の下女から聞いたんですけどね、メッチャ綺麗なお嬢さんがいるらしいんすわ」とか適当なことを吹聴させた。上手く噂が拡散すれば、狙いよりも大物が釣れるかもしれないし、後から「誇大広告だ!」とクレームが来たところで、「なんでうちの娘が噂になったか分からないけど、まあ、所詮はただの噂だからねぇ」と、鼻毛でも抜きながら押し通せばいい。


 やがて、美しい娘の情報をゲットした若者達の一人が、さっそくアプローチを始めた。お付き合いの前にまずは文通から……と、気の利いた和歌(うた)に季節の花を添えて娘に送ってみたところ、すぐに流麗な字でセンスの良い返事を貰えた。

 だが、若者よ。油断してはいけない。


「おっ、○○君からラブレターか。いいねえ、若い者は。ほれ、早くリプライしてやりなさい……なに? ()も和歌も自信が無い? ふむ、お父さんに任せなさい」


 悪筆悪文の娘の為に、男は代筆屋を雇った。まあ代筆屋がごっついおっさんだったのは予想外だが、なに、構うものか。文面さえ美女ならそれで良いのだ。

 そんな事とは露知らず、おっさんと文通してその気になってしまった若者は、いそいそと出掛ける準備を始めるのであった。


 中々狡猾である。娘といざ対面という所まで漕ぎつけてしまえば、若者も本人を前に「騙された」とは言い出せなかろう。若さと気遣いから、そのまま懇ろな関係に。

 後日、友人達に「ヒューッ、うまいことやったな!」と揶揄われ、「あ、いや、まあ……うん……」と言葉を濁すのが精一杯の若者。彼が守りたいのは、自分と娘、どちらの名誉なのか。

 恐るべきクチコミの力である。


 とは言え、当時は、それも織り込み済みで成立していた文化だったのだろうとは思う。評判と事実が多少違っていても受け入れる緩さが皆にあった時代では、「噂の美女」なんてのは、案外何処にでも居る存在だったのではなかろうか。先の妄想に登場した若者と娘だって、例えクチコミがきっかけだったとしても、少しずつ穏やかで満ち足りた想いを育み、本心慈しみ合うようになったかもしれない。クチコミを信じた賭けの結果は当人次第という社会は、不便かもしれないが、自分の器を広げるには中々良さそうにも思えてくるのである。


 情報の真偽を見定めることは、生きる上でとても重要だ。だが、時には美味しそうなお菓子のクチコミなどにゆるゆると踊らされてみるのも面白いだろう。もしかしたら、予想以上の満足を得られるかもしれない。勿論、全ては自己責任である。

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