悪役令嬢には兄がいる
「え、お兄様が遊学から戻られるのですか?」
「そうだ。さっき、ロードリッヒから手紙が来た」
「三日後に戻るそうよ。その翌日に丁度、宮殿で舞踏会があるでしょう。ロードリッヒと共に顔を出すといいわ」
父親と母親からそう言われた私は「はぁ」と答えそうになり、慌てて「分かりましたわ!」と公爵令嬢らしく返事をする。
そうだった。悪役令嬢エリノアには、兄がいた。
ただ、長年屋敷を空けているから、すっかりその存在を忘れている。兄も兄で、文は両親宛に送って来るものの、屋敷には全く寄り付かないから……。筆不精で割と自由人。記憶を探ると、確かに兄の記憶はあるものの、自分が幼くてあまり覚えていないことに加え、兄とあまり一緒に過ごしていないことに気づく。
というのも兄は子供の頃から、次期公爵家当主として、みっちり教育を受けていた。それはまるで王太子教育並みに過酷で、食事さえ、マナーと社交のレッスンになっていたのだ。よって家族との食事の席にさえ、兄が欠席することも多かった。
この世界での兄の記憶は少ない。ならば前世でプレイしていたゲームでどうだったのか。思い出そうとするが……。
ゲームの人物紹介欄で、兄に関する文字情報は、確かにあったと思う。
ただし、それは兄の個別情報としてではなく、エリノアの家族構成の説明欄に、記載されていたはずだ。
つまり王妃と同じぐらい、兄に関する情報は、ゲームの方でもなかった。
だって確か「兄が一人いる。現在は遊学中」としか記載がなかったような。
その兄が戻って来ると。
文字情報だけの兄が登場することに、ここがゲームの世界であり、リアルな世界でもあると、実感することになる。
同時に。
悪役令嬢の兄が帰国するなんて、ヒロインが攻略対象を攻略中の時には、起きない出来事なのだ。そう考えると確かに、ヒロインはゲースを手に入れ、エンディング(ゲームクリア)を迎えた。つまりこの世界は、紛れもなくハッピーエンド後の世界なのだ。
その割に私には「おーほっほっ」がいまだ求められているようなのだけど……。
とにもかくにも、ここ数日は、父親の手がける女性向け乗馬服作りを手伝っていたので、外出もろくにしていなかった。ゲースの誕生を祝う舞踏会での、婚約解消劇の噂も、そろそろひと段落しただろう。何せ最近、外務大臣と伯爵夫人の不倫が発覚した。社交界では、もっぱらそちらの話で盛り上がっているようなのだから。
宮殿の舞踏会に顔を出すのには、いいタイミングかもしれない。しかも兄のエスコートで行くなら「あら、もう次の男を見つけたの?」なんて噂も立てられないだろう。最適なリハビリになるわね。
久々に御用聞きの商人を屋敷に呼びつけ、舞踏会で身に着ける宝飾品や小物を入手した。そこで女性用乗馬服の装飾品について、考える。帽子に加え、首には男性とは違い、オシャレなスカーフをつけるといいのでは? しかも乗馬専用と謳えば、普段使いのスカーフとは別に、みんな乗馬専用スカーフを買ってくれる。貴族の皆さまは、流行と風潮に弱いから。
よし、いくつか乗馬専用のサンプルになりそうなスカーフも、手に入れておこう。
そんなことをしているうちに、兄が帰還する日になる。
朝から屋敷が慌ただしい。
庭の手入れは勿論、屋敷の掃除、銀食器を磨く……などなど使用人は大忙し。
父親はワインセラーで極上の一本を選び、母親は市場で新鮮な食材を手に入れるよう、指示を出す。
こうしてエントランスホールで両親と共に、兄の到着を待つことになった。
兄を出迎え、そのまま昼食になる。
父親はダークブラウンのセットアップ、母親はマンダリンオレンジの明るい色合いのドレス。私はメイドから「これですよね、お嬢様?」と着せられた、ショッキングピンクのドレス。蛍光ピンクみたいにチカチカするこんなドレス、前世の私だったら絶対に着ないのに! でもなんだかんだでエリノアはスタイルがいいので、似合ってしまう。
「ロードリッヒ様、ご帰還です」
扉が使用人の手で開けられ、そこに登場したとんでもないハンサムに、目が釘付けになる。
兄は寄宿学校を卒業後、そのまま遊学に向かった。結果、通算九年間家をあけ、現在二十一歳。
その存在を思い出し、屋敷に飾られた絵で、兄の姿を確認していた。でもその姿は十一歳の時のもの。頬もふっくらし、手足もむっちりし、身長だってそこまで高くなかった。
それが!
もう別人ではないですか!
スラリと長身で、シルバーブロンドの長い髪は、左側で束ねられている。その顔の輪郭は、かつてと違いシュッとしている。眉はキリッとして、睫毛は長く、瞳は深みのある藤色。鼻も高く、唇と頬の血色もいい。
着ている葡萄色の上衣とズボン。上衣の下の淡いピンク色のシャツに濃紺のタイ、バニラ色のベストと、色彩のコーディネートも完璧。
兄は長らく見ない間に、青虫から見事な蝶へと変貌を遂げていた。
「父上、母上、そしてエリノア、ただいま戻りました」
「うむ。よく帰って来た、ロードリッヒ」
「ロードリッヒ、おかえりなさい」
「お、おかえりなさいませ、お兄様!」
両親と共に、兄が私を怪訝そうな顔で見る。
え、何、今の、エリノアではない!?
違う、ダメなの!?
「まあ、お兄様ったら、割といい男になって帰ってきましたわね。そのお姿でしたら、私のことをエスコートしてもよろしくてよ? おーほっほっ!」
「ああ、驚いたよ、エリノア。僕が不在の九年間で、人格が変わったのかと思った。そうか、僕はエリノアをエスコートすることを、認められたのか。光栄だよ。宮殿の舞踏会の件は、父上から聞いている。ちゃんと連れて行くから、安心するといい」
兄はぽすっと私の頭に手をのせ、よしよしという感じで撫でてくれる。
父親は悪役令嬢エリノアの態度には、基本的に「けしからん!」と怒り気味。でも兄は違う。
な、なんて包容力があるのだろう!
悪役令嬢の兄なのに。兄がこんなに立派でできた人間に成長していたとは。
あ、あれ? でもそんな兄にエスコートされ、舞踏会に行っても大丈夫、私……?
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続きは今晩、23時までに『悪役令嬢は役目を果たす』を公開します。
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