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エーリカ・アースキン 第七話


 アンリが出て行ってから、一年ほどが経った。

 娘は四歳になっていた。


 アンリがいた頃。娘の三歳の誕生日には、盛大にお祝いをした。豪勢な料理を囲んで、侍女や執事や乳母まで一緒になって、彼女の誕生日を祝った。


 主役は娘だったけど、人の輪の中心にいたのは、アンリだった。


 娘の四歳の誕生日には、お祝いなどしなかった。できなかった。こんな気持ちで、明るくお祝いなんて。


 国境付近で、争いが起こっている。争いが始まったとき、大きな炎が巻き上がったそうだ。まるで爆発のような、大きな炎。多くの死人が出たと情報が入っている。


 アンリの生死は、未だ不明。


 まだ娘は、戦死という言葉など理解できない。大好きなお父さんが死んでしまうことなど、想像もできないだろう。ただ、生物としての本能なのか、アンリが帰って来ないことに何かを感じているようだった。


 アンリは、侍女や執事や乳母にも好かれていた。そりゃそうだろう。王族なのに、偉ぶったところがない。家事や育児に積極的に参加する。この家の中では、アンリは『怠惰な第七王子』などではなかった。好かれ、尊敬されている人だった。


 みんなに愛されているアンリ。娘に愛されているアンリ。私の大好きなアンリ。彼が不在なのに、明るく誕生祝いなんてできるはずがない。


 夜、寝る前になると、いつも思ってしまう。今日もアンリは帰ってこなかった。明日は帰ってくるかな。明日こそは、帰ってきてほしいな。


 アンリを待ち続ける日々の中、私は前髪を切った。顔が隠れないように。アンリが見せて欲しいと言った、私の素顔。アンリが、外では隠して欲しいと言った、私の素顔。もしかしたら、私見たさに帰って来てくれるかも知れない。もしかしたら、私の素顔を見る男達に嫉妬して、帰って来てくれるかも知れない。


 淡い希望を抱える毎日。アンリを待ちわびる毎日。でも、その願いは、未だ叶わない。


 時間が経つにつれて。過ぎてゆく日々を積み重ねて。


 私の心は、徐々に疲弊していった。いなくなって初めて気付いた、愛してるという気持ち。その気持ちを伝えられない、もどかしさ。アンリの生死が分からない不安。もしかしたら、もう、彼は――そんな恐怖。


 恐怖に駆られて。心を折って。アンリに会いに国境まで行きたくなる。弱った心に身を任せて、全てを放棄して、駆け出したくなる。


 それでも、と思う。どんなに疲弊しても、どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、私は心を折るわけにはいかない。


 アンリは、妻に誇れる夫になるために、この家を出て行った。彼は、娘に誇れる父親になるために、この家を出て行った。彼の妻である私が、心を折るわけにいはいかない。寂しがり、悲しむ娘を、私が支えなければならない。

 

 自分の心に鞭を打った。私は、アンリの妻だ。あの、優しく、賢く、強く、誇らしい人の妻だ。そんな私が、打ちひしがれる娘を放り出すわけにはいかない。アンリが帰ってくるまで、私が、この家を守るんだ。


 アンリが帰ってきたときに、彼を落胆させたくない。


 戦争の報告は、随時入ってきた。ノース王国の兵達は、国境付近で、完全にサウス王国を止めている。だから、国境より内側で戦火が上がることはない。しかし、攻めあぐねているのか、サウス王国を降伏させられない。


 アンリの生死は、未だ不明。戦争で誰が指揮を執り、誰が戦い、誰が戦死したのか。詳細な情報は、一切入ってこない。


 ――アンリが出て行ってから、一年半が過ぎた。


 戦争は未だ終わらない。国境付近での戦いが続いている。争いは激化することもなく、かといって治まることもなく、国境付近での攻防が続いているという。相変わらず、詳細な情報は入ってこないけれど。


 国境での戦いとは別に、国内で大きなニュースが流れた。第一王子であるマシューが、急逝したそうだ。まだ二十九歳。次期王位の最有力候補が突如亡くなったことに、国内は大きく揺れた。国境での戦争が続いていることも相まって、国内情勢は混乱するものと思われた。


 けれど、それほど大きな騒ぎにはならなかった。


 第二王子であるイヴァンが、いち早く手を回したのだ。大勢の使者を使って、国内に戦争の状況を伝えた。国境付近での争いが続いているが、状況は決して不利ではない。だから、安心して生活できる。また、物資の不足もないから、国内経済が傾くこともない。それを証明するように、国内のあちこちで臨時の物資支援を行なった。たとえ困窮していなくとも、食べ物や生活用品の支援があるのはありがたい。


 戦争が続いていること。第一王子が急逝したこと。それらマイナスの要素を、イヴァンは見事にプラスに変えた。もともと有能だと評判だった彼は、ここにきて、さらに評価を大きく上げた。


 第一王子の急逝は、イヴァンの活躍で簡単に忘れ去られた。国境付近の戦争など、国内で平和を享受している人の目には、映らなくなった。


 でも、私の目には映っている。終わらない戦争。帰ってこない夫。生死が不明な夫。


 自分に言い聞かせた。アンリは生きている。必ず帰ってくる。帰ってきたら、自分の気持ちを伝えるんだ。何度も何度も、繰り返し自分に言い聞かせた。


 だけど、自分でも分かるくらい、私の心は弱くなっていた。溜まった疲労とダメージで、心が泣いていた。もう解放されたい。もう忘れてしまいたい。もう楽になりたい。


 国内で、また大きなニュースが流れた。王が退任し、王位が次世代に継承された。次の王は、当然、イヴァンだった。


 王位継承のパーティが開かれると、報告が入った。王家に関連のある貴族の家系は、皆参加することとなった。


 私にとって、イヴァンは義兄。話したことすらないけど。当然、私にも、参加の声がかかった。


 国境付近では戦争が続いているのに、パーティなんか開くのか。イヴァンの無神経さに、私は苛立った。


 自分の弟――アンリが、国境付近で戦っているのに!


 そんなパーティを開く時間とお金があるなら、もっと戦争をサポートしてほしい。早く戦争を終わらせてほしい。


 アンリを、早く帰らせてほしい。

 アンリを、早く……。


 イヴァンへの憤りと同時に、願いを頭に浮かべて。

 ふと、私は、嫌な考えに体を震わせた。


 仮に、戦争が終わったとして。国境付近から、警備兵のみを残して、他の者達を帰らせたとして。


 アンリは、本当に帰ってくるのだろうか。


 冷静になって考えてみた。


 アンリは王家の人間だ。そんな人間を、激化した戦地に滞在させるだろうか。本来なら、戦争が激化した時点で、帰還させるのではないだろうか。


 アンリが、まだ生きているのであれば。


 それなのに、アンリは、待てど暮らせど帰ってこない。もう、彼が出て行ってから一年半以上経っているのに。戦争が始まってから、一年以上経っているのに。


 心の疲弊は、私に、最悪の予感を突き付けた。今まで否定し続けていた可能性を。縋っていた希望を、否定するように。


 アンリは、もう死んでしまっているのかも知れない。あの可愛らしい顔も、優しい微笑みも、私を包んだ温もりも、もう失われてしまったのかも知れない。


 頭を振って、私は、最悪の予感を振り払った。そんなはずがない。アンリは生きてる。彼は有能だし、強い。そんな彼が、戦争なんかで死ぬはずがない。


 自分に言い聞かせた。これまで何度も繰り返した決意を。アンリが帰ってくるまで、私は、妻としての勤めを果たす必要がある。彼が帰ってきたときに、落胆させてしまわないように。


 イヴァンの王位継承のパーティ。それには、ちゃんと出席しなければ。義兄が王位を継いだパーティなのだから。アンリの兄のパーティなのだから。


 パーティの日の夜。王家の使者が迎えに来て、私は会場に向かった。


 いつかの――私とアンリが出会った、王家王室大広間。迎えの馬車に乗って、会場に向かった。


 ――馬車に揺られながら。私は、予想もしていなかった。


 物語のような展開が、私に待ち受けているなんて。

 私の、宝物の物語。

 物語に出てくるような男性に、見初められるなんて。

 

次回は明日(10/7)の夜に更新予定ですm(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[良い点] 気になっていた一布さん初のイセコイ。思わず一気読みしてしまいました。 一布さんらしいイセコイですね。ちょっと大人向け。でもこれこそ真実の愛を見つけた! という感じです。 そしてここに来…
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