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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

結婚式の夜、王太子妃は決行する

作者: 高野 涼

「そっかー、それならもういいや」

つい貴族令嬢にはあるまじき投げやりなセリフをこぼしてしまったけれど、私だっていい加減嫌になってしまったの。


6年前、とある二つの王国間で協定が結ばれました。


近隣諸国の中でも長い歴史を誇る王国の、建国以来の名家と言われる大貴族の長女として生まれた私は、12歳で顔を見たこともない隣国の王太子と婚約させられました。当然ながらそこに私の意思など欠片も入っておりません。隣国へ嫁ぐ前に教育を受けるためと言われて、その後すぐに私は王宮で暮らすことになりましたけれど、国王夫妻を始めとする王家の方々にお目見えすることなど年に1~2回の公式行事のみでした。ただ一人ひたすら嫁ぎ先に対して恥ずかしくないようにと、信じられないほど厳しい教育を与えられましたわ。教育と言うよりは修行と言った方がよろしいかしら。王家による隣国への見栄と、実家である旧家の意地の目いっぱい詰まったそれは、自国の王太子妃教育よりもはるかに過酷で長時間に及ぶものでした。よくつぶれなかったと思います、私。ええ、これでも貴族令嬢としての気概も誇りも持っておりますし、生来の負けず嫌いでしたから。


教師たちは厳しかったですわね。どれほど私が努力しても足りないと咎められ、より一層の奮励を求められました。なぜこれほどと問えば、これは我が国と隣国との関係を緊密にするために必要な婚姻なのだから、私の不出来ゆえに失敗するわけにはいかないと窘められて。最後の頃にはなぜか機密情報の収集や水面下での接触工作などまで教えられました。


それにしても国と国との結びつきならば、どうして王家の姫ではなく、高位とは言え一貴族令嬢に過ぎない私が選ばれたのか。それとなく尋ねてみても、答えを濁されるか相手が不機嫌になるばかり。ずっと不思議に思っていたのですけれど、茶会で王女と同席してみてわかりました。甘やかされて自分勝手で我儘な王女には、国を背負うことになる教育など我慢できるわけがありませんもの。可愛い末娘を手放したくなかった国王夫妻と、先妻の娘である私を差し出すことで王家に恩を売ることのできる父と義母(りょうしん)の利害が一致したのね。年若い私に、親にも王家にも逆らえる力などありませんでした。


15歳。隣国へと送られることになりました。成人前で少し早いけれど、今度は隣国の実情に合った教育を受ける必要があるのだとか。隣国で初対面の教師たちに開口一番「これまで習ったことは全て忘れていただきます。この国にはこの国の流儀があり、優れた教育がございますから」って言われましたのよ。何それ、でしたわ。それなら今まで母国で受けて来た教育は不要だったということかしら?それに加えてこちらにも優れた侍女はおりますからと、母国から同行してきた侍女たちは慇懃な挨拶とともに送り返されました。侍女たちも私一人をおいて帰ることに良心の呵責は持ち合わせていなかったようで、母国へ帰れる嬉しさを隠しきれていませんでしたわ。そうして新しく私付きになった侍女たちは、何か言い含められていたのでしょうね。最低限の生活の面倒は見ても、うちとけた態度は一切見せませんでした。


それから始まったのは教育という名の実地訓練でしたわね。まだ婚約者に過ぎない私に、王太子妃の公務が課せられました。有力貴族たちとの社交、病院や福祉・教育施設への慰問に周辺諸国の外交官たちとの懇親。それらの場には必ずお目付け役が控えていて、私が少しでも国の利益を損じることのないように見張っておりました。でもそれほど多くの場面に私一人が奮闘しなければならなかった原因は、肝心の王太子が全く同行したことがないということに他なりません。それなのに公的記録には王太子の名前のみが記載され、私は単なる代理なのです。国王夫妻すらそれを是としているようで、私を労う言葉などありませんでしたわ。


毎日婚約者の公務を肩代わりし、彼が処理すべき書類の山を精査して必要な資料を集め、決裁書を整え、最後に王太子が署名だけすれば済むように。夕刻、全てのお膳立てが済んだところで、ようやく王太子は現れるのです。部屋の隅に立つ私などに目もくれず、さっさと机に向かうと内容を一顧だにせず署名だけを済ませて部屋を出て行きます。同じ部屋にいることさえ我慢できないというように。


彼にとって私は自分が有能であると思っていることを隠しもしない、高慢で鼻持ちならない女なのだそうですわ。そんな女に大事な仕事を押し付けているのはどこのどなたかしら。その他にもいろいろと王太子自身が取り巻き連中と声高に悪口を言っているのも知っています。それを伝え聞いた侍女たちが、同じように笑いながら話すのです。ええ、すぐ近くにいる私の耳に入るように。


母国と隣国、いえこの時点では既に私にとっての自国となるはずの国。この二つの王国が手を結ぼうとした最大の理由は、共通の脅威となる大帝国に対抗するため。一国では大帝国に立ち向かえないと判断した両王国としては、国と国との婚姻と言う盛大な祝い事のお陰で、互いに背中を気にする必要はなくなった。ただ残念なことに一枚岩となるには問題も多くて。古くから両国間での領地争いも絶えなかったものだから、一部の貴族たちが持つ私の母国に対する不信感は拭えないのだとか。その鬱憤を非力な私にぶつけてくるだけ。たった一人送り込まれた小娘を下に見ることで自らの優位を確認しようとするなんて、そのこと一つとっても彼らの卑小さがよくわかりますわ。


18歳。いよいよ結婚式が行われる年になりました。母国はその威信をかけて豪奢な花嫁衣裳を作らせ、嫁ぎ先も競うように歴代の王太子妃に贈られるという煌びやかな宝石で私を飾りたてました。二国が強固に結びついたことを周辺諸国へ誇示するための結婚。6年間、密かに軍備増強を図って来た両国に簡単に手は出せないだろうと威嚇するための茶番劇。中身は空虚ですわ。だってとっくに気づかれているのですもの。


ただやみくもに厳しい教育を与えた母国からの使節も、私を便利に使いまわすこの国の偉い人たちも、みんな貼り付けたような笑顔を浮かべて、本心からのように祝いの言葉を述べていますわね。例外は私の隣に立つ新郎(おうたいし)。不機嫌そうな顔を隠しもしないなんて、式の間だけでも王侯貴族的なすまし顔すらできないのね。


事ここに至って、私はもういいよねと思ったのです。そうそう、結婚式の前日に、ご学友とやらが親切ごかしに私に教えてくれましたの。王太子には学生時代から付き合ってきた最愛の人がいるので、私はただのお飾りの妃になるのですって。まあとっくに存じておりましたけれどね。僕があなたを慰めてあげてもいいですよなんて余計なひと言でしたわ。


母国は私を通じて母国が優勢を保てるような情報を迅速に手に入れようと画策しております。こちらの国だって似たようなものですけれど。図々しくもそれに加えて怠け者の王太子の代わりに私を目いっぱい働かせようとしているのです。


幸いと言っては語弊があるかもしれませんが、私には6年間みっちり受けた最高の教育という財産があります。近隣5か国の言葉を自在に操り、どこでも通用する礼儀作法に社交の手管。そして時には大局を見て冷酷、無慈悲にもなれる王族の冷ややかさ。


あなた達が叩きこんでくれたものは、私の唯一と言ってもいい武器になる。これは理不尽に踏みつけられ、人生の一番素晴らしい時を奪われた私が、生き延びるために意地でも身につけて来たもの。生まれつきの地位に胡坐をかくことしか知らないあなた達にはもう用はない。


結婚式の行われたその日の夜。私の夫となったはずの王太子は最愛の女性(あいじん)の肩を抱き、取り巻き達と「お祝い」の大宴会を開いていました。今宵は無礼講だと宣言して。私は母国からの贈り物として最高級の葡萄酒を樽ごと運び入れさせました。その他にも手に入る限りの酒を山ほど。王宮の料理人たちが存分に腕を振るえるように食材も充分用意しましたの。彼らは上機嫌で酔っぱらっておりましたし、そのおこぼれにあずかった使用人や護衛たちすら気を抜いて。


私は動きやすい服に着替えて顔を布で隠すと、暗闇に紛れて以前から打ち合わせた通りに城を抜け出しました。私のことなど誰も気にとめていませんから、脱出は簡単でしたわ。私が向かった先には、大帝国の密偵と精鋭部隊が待機していました。彼らは私が教えた警備の手薄な裏口から容易く忍び込んで行きましたが、誰もかれもあれだけ酔いつぶれているのだから、正面から大手を振って入って行っても大丈夫だったかもしれませんわね。


彼らを見送った私はさすがに気が咎めるといった風情で城に背を向けました。そしてこの時とばかりに襲って来た密偵を返り討ちにしてやりましたわ。隠し持った短剣で男の喉を一閃しましたの。刃には毒を塗ってありますから、万が一にも仕損じはありません。密偵の手に握られていたのは怪しげな薬をしみ込ませた布でした。彼は刺客でもあったということ。やはり大帝国も私を利用した後は闇に葬るつもりだったようですわね。残念ながら、私が一番熱心に学んだのは護身術でしたのよ。


刺客の遺体は先に始末された見回りの兵士たちの遺体に紛れ込ませておきましょう。顔を適当に汚しておけば同じ服装だから区別はつかないわ。王太子妃である私の身代わりは、王太子の最愛の女性とやらがつとめてくれるはずです。明日行われる予定だった私のお披露目用の豪華絢爛な衣装を、王太子本人が私に着せるのはもったいないと言い出して、彼女に捧げてしまったのですもの。彼女が大喜びでそれを着こんでいるところは、先程彼らのどんちゃんさわぎ(最後の晩餐)をこっそり覗いて確認済みですしね。王家を抹殺したい大帝国はその場に居合わせたのが王太子妃であると公表するでしょう。


さあ、城中が大混乱しているうちにさっさと逃げましょうか。今頃私の母国にも大帝国の大軍が襲いかかっているはず。両国の軍備増強こそを大帝国は攻め込む口実にしたのよ。防衛の手薄な場所は密偵を通じてちゃんと伝えてあげましたし、母国もこれほど早く侵略されるとは思っていないから、すぐに制圧されるでしょうね。双方の王家さえ誅殺すれば大帝国もそれ以上無駄に国を荒らすことはないはず。戦争景気に沸く大帝国の端っこを私一人が通過しても誰も気にしませんわ。こっそり貯めこんでいた資金も潤沢にあるから、私を受け入れてくれる場所を焦らずに探しましょう。そして真っ当な仕事を見つけてのんびり暮らすの。


******


およそ50年後、遠く離れた海辺の町の片隅で一人の老女が静かに息をひきとった。彼女は亡き夫と共に始めた小さな商店をその地域随一の大商会へと発展させた名士とも言える存在だった。忙しい仕事の傍ら、彼女は近隣の貧困家庭の子供たちを集めて食事と教育を与えることにより、生活向上の機会をも与えた。彼女に助けられ、彼女を母のように慕う子供たちは数えきれないほどだと言う。


彼女は家族や友人たちに囲まれて幸せな人生だったと繰り返し語り、親しい人達に看取られて微笑んで逝った。その頃には古い歴史のあった二つの王国はすでに消滅し、繁栄を誇った大帝国も繰り返される内乱のため力を失って久しかったと言う。



大帝国での内乱も実は反乱分子に彼女が資金援助していたかも…と後から考えました。

お読みいただきありがとうございました。

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